「頭がおかしい。元々おかしいけどラリってる感じでもないし。アシッドな感じもしない」
僕は大の字型なりに凝然じっとしたまま、瞼まぶたをいっぱいに見開いた。そうして眼の球たまだけをグルリグルリと上下左右に廻転さしてみた。
羽と貝殻が種子袋の右側の底に落ちた後の、数日前、僕は壁から落ちたままだった。バスルームの個人用品と、あと言い忘れたけど、ワードローブには多くの白いドレスがあった。靴は黒いキャンバスに山のイチゴのように膨らんだ靴箱だ。山のイチゴのふくらみを君は想像できるかい?
テーブルの上の本棚にはスペイン語の本があって自分はスペイン語読めないんで、全然意味ないけど置いておいた。それにしてもこのカチカチの騒々しい時計、1分ごとに鳴る迷惑な時計、泥で作られた小さなスペイン語の本、とりあえず全部処分かな。
壁にはカジュラホの遺跡を再現したようなエロティックな彫像が淡緑色に刻まれていたが、正視できるようなものではなかった。そこにあるのはやや低いベッドで、その隣には空の椅子ととても甘い枕がたくさん置かれていた。羽蟻が寄ってこないように防虫剤を撒くと甘い匂いと防虫剤の匂いで全くその枕は使い物にならなくなった。片頭痛がするような感じの匂いがする。実際に片頭痛がしたわけではないのだけど。テーブルの上には一目でわかる様々な形の物が置かれていた。どんなものかは面倒だから書かない。
僕は服を脱いで着替えの下着を用意した。バス・ルームはペンキ塗りの窓もない小部屋でドアにはコカ・コーラの瓶に馬乗りになった金髪の女のポスターが貼ってあった。
別館のスペアキーが入っていた。西側の窓の上。壊れたベネチアンブラインドが、下ろそうとした人の頭の上に落ちてきた。窓の上部のガラスには、飛行機の騒音で小さなヒビの霜が降りている。
「ブーン」
あ、これは飛行機の音だ。
部屋は青と黒のコンクリートの壁に囲まれた2つの側面にのみありまーす! 3つの壁に取り付けられた3つの大きくて縦に長い濡れたガラス窓は三つ三つって煩いなさっきっから!黒い鉄窓と金網で二重に並んでいます。ほら二つにしてあげたよ。数の問題じゃないって?部屋を着飾った感じですよ。それはね、窓のない側の壁柱には丈夫な鉄製のベッドもあったんだけど、入口側に向かって枕を敷いて横になっているやつがいて、その上の白い寝具は食べかけのチキンが敷かれたままである。チキンを一つ。まだ眠っていませんね?あなた。
「やっぱおかしい。いよいよ狂ったっぽい」
僕は少し頭を持ち上げて、自分の身体を見廻わしてみた。こんな時にHさんならどうするだろうか?とりあえず冷蔵庫からビールを取り出し、身体の細部を確認し、首、手首、腰、足首などがちゃんと動くかどうか確かめた後、なるべく音をたてないようにストレッチをした後、サンドウィッチをビールで腹に流し込むだろう。白い新しいゴワゴワした木綿の着物が二枚重ねて着せてあって、短かいガーゼの帯が一本胸高に結んである。
恐々と右手をあげて自分の顔を撫でまわしてみた。特に異常はない。もっとドラマティックにおかしくなっているのかと思ったのに、身体はいたって普通だ。残りのチェックはメンタルだ。念のためもう一度顔を撫でまわし、そこいらをキョロキョロと見回した。こういうチェックをしないほうがキチガイっぽくないのに、キチガイだと思われても僕はチェックをしたくなる。メンタルだ。次はメンタルだってば。
胸の動悸がみるみる高まった。メンタルイッてたらヤバいと思ったから。呼吸がそれにつれて荒くなった。死ぬかと思った。でもだんだん静まってきた。メンタルは狂ってない。体がちょっと驚いただけっぽい。
僕は精神科医のアドバイスに従って車で数時間離れた森の中に小屋を買ったんだったんだ。そして僕は無職の仕事を辞めた。無職って仕事なん?いや、まぁいいや。僕はね、無職の仕事を辞め、山小屋にたまに籠るようになった。誰かとここでセックスしたと思うんだけど、誰だったっけ。ピロートーク的なことで、生計を立てるために共同で小説を書き始めようって決めたんだったんだ!
でも生計は立てられてるし、一方が生計を立てられているのに生計を立てようとするフリってどうなんだろう?昔、音楽で同じような仕打ちを受けたっけ。こっちは必死だったのにあっちは全然金に困ってないどころか実家が大金持ちでやんの。ざけんなってーの。
自分で自分を忘れてしまっている。んなこたぁない。共同執筆者は誰だ。いくら考えても、どこの何者だか思い出せない。妙な暗黒が、部屋の外を取巻いて、どこまでもどこまでも続き広がっていることがハッキリと感じられる。共同執筆者は誰だ。ファックした相手は。
僕は窓を開けようと歩き出そうとしたのだが、体中が軋み、予想外の場所にある違和感がの句を再びベッドへと引き戻した。これだけ生きてきてこんな感覚は初めてだ。尻に何か朝待っているようなとでもいうのだろうか。もちろん何もあるはずないのだが、どうなっているかを確認しようと手を伸ばして自分が全裸なことにようやく気付いた。
窓の前に駈け寄って、すりガラスの平面を覗いた。僕は身をひるがえして寝台の枕元に在る入口の扉ドアに駈け寄った。鍵穴だけがポツンと開いている真鍮の金具に顔を近付けた。けれどもその金具の表面は、僕の顔を写さなかった。只、黄色い薄暗い光りを反射するばかりであった。
控えめに見ても嫌な予感しかしないというか、一体、昨日、ここで何があったんだか。バスでゲロして彼に介抱されてホテルに戻って、それからがあんまり思い出せない。僕は寝台の脚を探しまわった。寝具を引っくり返してみた。スマホがあった。彼からの連絡はない。仮に連絡があったとしてもなんと答えていいかわからないから今はありがたい。そういえばケツの穴のあたりの違和感もそうだけど、カリの裏側がベトベトする。見てみたらカリに沿うように傷がついている。といっても出血するほどではなくて、横一直線に擦り剝けている。触るとベトベトしてピリピリする。
スマホを手にしたままネットの検索ページを開いた。男同士のセックスで尻を使うことがあるのは知っている。だが実際に経験したことも見たこともない。アキラちゃんとやるときは僕が責めるだけで、アキラちゃんのおちんちんが僕の尻に入ることはない。アナルはヴァージンだ。尻に違和感があるからといって想像したことが起こったとは限らない。でも知り合いのバックパッカーがこんな話をしてくれたことがあった。
彼は長距離バスで寝ていて、起きたら尻が多分、今の僕のような状態になっていて、トイレで肛門をチェックしたら精液が出てきたということだった。確認した区で男同士のセックスの動画を検索する。動画はすぐに見つかった。再生を始めるといきなり絡み合う二人の男が映し出された。
既に二人とも全裸になっていて、お互いの肌をまさぐり合っている。男と同士でなければただのアダルトビデオとして客観的に見られただろう。だが曖昧な昨日の出来事があるだけに僕は冷静ではいられなかった。さらに間の悪いことに男の一人は彼と同じ明るい茶髪をしていた。茶髪の男がもう一人の黒髪の男をベッドに押し倒す。足を広げさせその間に腰を進めた茶髪の男がいきり立ったペニスを黒髪の男の尻に突き刺した。ドクッと心臓が激しく鼓動する。本当に入るのだと目の当たりにして自らの違和感に現実味が増してきたせいだ。昨晩、僕はこんな風に抱かれたかのだろうか。
抱かれたかもしれないのに「なぜそんなに冷静なんだ」と言われることがあった。しかし僕の心の奥底はすでに狂っていたのだ。それを聞いて僕は激怒した。LGBT的な理由ではなくて。でも夜の涼しさが心の安定を取り戻してくれた。何しろ僕は自分が誰であるか?ということを失うことはなかったから無にならずに生きてこられた。
僕はその家に行ったが、中には入らなかった。入り口の門から中庭の黒い縁が見えた。あの家のカーテンの裏側で、暗い眼鏡をかけたまま生活していると、だんだん疲れてくる。昼間の光で何かを見たいと思った。
この男は非常に重要ですって言われたから従ってはいたものの、直接話すことなく誰かの生活に密になるっていうとね、生活にそこまで干渉されるのはたまらないってことで、他の仕事場で働いていましたよ。他人はそんな奇抜さを嘲笑したけど、夫は長い間、詐欺師で、奇妙な態度で友達の種を刈り取っていった。彼が関与した刈りの数っつったら計り知れない。アンティークトレーダーをだましたビジネスのスキームを自慢げに話してたことがあったけど、途中で退屈になって動画見てたら若干キレられたのにでも話を続けてたから相当喋りたかったんだろうね。変な奴。
ちなみにその標的になったアンティークトレーダーが扱っているものは全部偽物だったから悪者を騙して何が悪い!って感じなことを最後のほうに言ってたっけな。まぁとくに止める理由もなかったしあんまり干渉しませんでしたよ。干渉ハノーバー。
そして彼女もこの話を書けずに苦しんでいる。あるいはうまく書けずに苦しんでいる。というべきかもしれない。友人のこの話を見せると友人はもっと面白くなければだめだと言う。彼女はがっかりするが確かにこの話に面白い場所は一か所しかなかった。それ以外の部分はなぜ面白くないのだろう、と彼女は考える。
「あそこの陽のあたるところで執筆できます?」
「まだ昼になってないんですが」
「お昼前から執筆し出すと何かまずいんですか」
「いえ」
「では、あの陽の当るところに座りたいんです。お昼になっていなくても」
「あなたに聞いているんですが、あそこの陽の当たる場所に座っていいかって」
「あそこですか?」
「ええ、あの陽の当たるところ」
沈黙があった。
「答えてくれてもいいでしょ?」
色々と話を付け合わせてみたところ彼女が時折都会の連中を迎え入れていたことが人々の知るところとなったのだが、相手が同じであった試しがないし、車も毎回別で好奇心からナンバーを控えるものまであったらしい。そんなわけで表面上は何も変わらなかったけれど、たまに寝酒をあおる癖は抜けきれなかったし、まあ人生っていうのはそんなもんだ、それなのに真相の構造が揺らいでしまって彼女が築き上げてきたものが土台から崩壊してしまった。
そういえば友人がこの話はつまらないと言っていたけど、やはりこうやって書いてみても何がつまらないのかさっぱり分からなかった。いや、正確に言えばこの話を見せたわけではなく、別の似たような話を見せたのだが、そもそも人生ってそんなもんだろうという彼女の考えは変わらないようだった。
俺は読書に常習しながら寒さに数時間凍結してカチンカチンになったとことで、もう輪郭を見ることができず、夕暮れはもはやテキストを見ることができず、暖房をオンにするとすべてが解決したっていうか氷結してラッキーみたいな。ラッキーっていうより必然だよね。暖かくすればいいじゃない?最初から。そう言ってやってください。さっきの俺に。
しかし、自分でできるかい?そりゃ無理だな。タイムスリップじゃんそれ。とにかく作家として最善を尽くしたって言ってたよ。さっきの俺は。だからそうですか?って言ってやったんですよってばに、ありのままの事実だけを伝えることに成功したのはタイムスリップができたわけじゃなくて、さっきの俺が前の俺よりかはすでにこのことについて知ってたからね。認識って大事。それ以上を望むことはできなかったけど、未完成の本が本になったという事実がただ心が痛かった。こういう自己質問と自己答え文が退屈だということに気づいたっていうか自問自答ねそれ言うなら。だから退屈。やめようぜそんなこと。