部屋に入ると美雨が花瓶に花を飾っていた。花をいじりながら美雨は嬉しそうに言った。僕は黙って首を左右に振った。そもそも花言葉なんてひとつも知らなかった。美雨の鼻ニキビはあんな風にいじらなければ酷くならないのに、しょっちゅう触ってるからどんどん赤くなっていった。美雨は得意げな顔をしている。鼻ニキビが大きくなったら可愛い顔が台無しだ。いや、結構いいんじゃないか。美雨。ゴスロリにありがちな地雷感が無いし、あくまでファッションとしてゴスロリを好んでいる感じで、凄く健全な子だよな。美雨が錠剤くれれば飲んでたかもしれない。
首を傾げていると美雨が続けた。花言葉と言えば普通は希望とか愛ではないだろうか。正直、花言葉に興味はないので適当に調子を合わせた。結構、花言葉について長く話したりするタイプなのかな。だとすると結構普段キツいよな。話聞いてるだけでキツいわ。俺を怖がらせようとしているのか?ずいぶんとホラーなことを楽しそうに喋るじゃないか。でもホラーはご法度だぞ。やけに美雨の顔は楽しそうだ。この程度の話で俺がビビるわけないじゃないか。動じない俺を見て美雨はムキになって話を盛った。ムキになってからの話がモリモリ過ぎて全く怖くなくなっていた。
そういえば健次も同じようなことを言ってたな。彼女の表情がわずかに曇った。僕が買ってきたKFCのチキンに食いつきすぎていたせいか、美雨の口調が深刻になってきた。異様な食欲に引いているのか、話を真剣に聞いていないことに憤慨しているのか。戦前の建物なんて別に珍しくないし、個人的にもっと怖い体験をしている俺としてはそういう話をされても「ハイハイ」という感じになってしまうというより、早いところ話の核心に入って欲しかった。パンチラインさえ言えれば美雨も満足だろうから。
僕の顔色をうかがいながら美雨が小声でささやく。美雨が真剣な顔をして見つめてきた。さすがにその表情はマズいよ。多分、これならだれでも一時的にであれ美雨のことが好きになるだろう。そして鼻にニキビ薬を塗ってあげたくなるだろう。そんなに頑張らなくてもいいんだよって抱きしめたくもなるだろう。そういうのを美雨は計算しているのだろうか?
あっさりとパンチラインを言うと美雨は頬を膨らました。美雨にしてはなかなかよくできた話だった。そうでもないな。でも美雨の魅力に気づいてしまった俺は愛子と付き合うことになっても美雨のことも気になり続けるだろう。魅力を感じてしまったからもうしょうがないことだ。小さく舌を出して美雨はうなだれた。ピンク色に近い舌だった。凄く綺麗な舌だ。舌が汚い女は大嫌いだ。美雨の舌は綺麗だ。子供の舌みたい。
あまり触れられたくないことを言われた。書いているものが進まないとか、本の余白が気になっているだとか、書いても書いてもどうにもならないだろう的なこととか、確かにそうだけど他人に言われるとムカつく。コピーをすることに後ろめたさなんて全く感じないと言ったら美雨はなにか勘繰るような目をした。刺さるような視線が送られてくる。結構好きになってしまったのかもしれない。俺が何を書こうが自由だから何を言われても動じることはない。言っている内容よりも美雨のクリンクリンな目がこちらを向いていることに何か照れのようなものを感じてしまう。
本当は用事など何もなかった。愛子がキャンプに行かないというので僕も不参加を決めたのである。愛子もドラッグの質を気にすることについて、それに対して非常に独自の見解を持っている人間なので、野外パーティーのようなもので回ってくるドラッグなどに手を出すようなことはしないのだ。上質なドラッグがないキャンプなんて炭酸が抜けたコーラのようなものだ。僕にとってはまったく価値が無い。
寂しげな声に少し困惑した。そんなことを言われてどう返答すればいいのだろう。結構可愛いとでも言えばいいのか。美雨は僕の言葉を待っている素振りだった。正直な気持ちを呟いた。内容は意外に結構可愛い顔をしているということと、鼻ニキビをあまりいじらないほうがいいということだった。
美雨の可愛い顔をそれ以上、確かに鼻ニキビは「触ってくれ」というような感覚で独特の痛痒さを醸し出してくるので触りたくなる気持ちは分かる。でもそこをやはり触らないでくれといいたい。大きくなり過ぎると触っていた頃のこそばゆいような痛痒さは無くなって、ただひたすら鼻が突っ張ったような感じになって、痛みが増して何の面白みもなくなってしまうのだ。それ以上触り続けると青くなってくるはずだ。鼻ニキビの悪化の次の段階だ。
それにキャンプの機会が別にあったとしても良いブツがない限り僕は行かないだろう。そんなものが回る場所はハリウッドのセレブのパーティーぐらいしか思いつかない。それ以外では個人同士以外ありえない。一般人がキャンプで回せる代物なんてたかが知れているのだ。
それっきり会話は途絶えた。ドラッグ観の違いはしょうがない。文学観の違い然りだ。恋愛観ぐらいなら埋め合わせができるかもしれない。でもドラッグと文学は譲れない。重苦しい空気が部屋に流れる。なんだかいやな雰囲気になってきた。思いつめたような言葉だった。そう言うと美雨は部屋を出て行った。
僕はa matter of perspectiveと言った。別にアメリカ帰りを自慢したかったわけではないし、英語を喋れるぐらい今の時代、大したことじゃなくなっているので、マウンティングしたかったわけではない。性的には若干マウンティングしたかった気がしないわけではない。でも観点の問題だ、と言ってしまえばそれまでで、英語のほうがオブラートに包めるような気がしたし、概念的にもmatterとperspectiveのほうが言語的な正確性が高いように思ったからだ。僕は大きなため息をひとつついた。
美雨と付き合うべきなのか、それともドラッグや文学テイストをシェアできる愛子と付き合うべきなのか、美雨は明らかに俺に気があると思う。愛子はよく分からないし、過去にとんでもないスペックの男と付き合っていたりしていたのを知っていたので、いろんな男を持ち前の魅力で転がしているんだろうなんて思えばキリがない。
でも二人の魅力は独立している。比べられる代物ではない。ドラッグじゃないんだから。部屋に入ってきたのは通称チャゲと呼ばれている時代遅れのアナーキストと容姿端麗の和代だった。極左の活動家に容姿端麗の彼女がいるだなんてゴダールみたいな世界感だ。でも俺は彼らの60’sな感じが嫌いではないどころか好きだった。俺は現代が嫌いだ。何もかもが薄っぺらい。
だから何もかもをドープに攻めていくということは時代に逆行することで、それは時代に抗うことなのだ。そういう意味ではチャゲも俺のことを認めていて、政治思想は相いれないけれども、良い友人関係を長年キープし続けている稀なやつだった。こないだも火炎瓶がどうのって話をしていたけど、いつか捕まるだろうなと思いつつ、和代もそれを承知でチャゲと付き合っているのだから肝が据わった女性だと思う。彼女の政治思想については知らない。あまり彼女と話したことがないのだ。
小さく頷いた僕にチャゲはスマホを突き出した。返答をためらっているとチャゲからデジカメを押し付けられた。ショッキングな映像に声を失ってしまった。淡々とした口調でチャゲが言う。スパイ静粛なんて見沢知廉じゃないんだから!とふざけて見てもチャゲは笑わなかった。政治に関しては本当にシリアスな男だ。俺をオルグしようとしているのか?そうじゃないだろう。俺もこのぐらいのことをやってるんだから、お前もなんかもっとドープなことやってみろよ、みたいな挑発なのか?
映っていたスパイが静粛されたかは分からない。ただボコボコだった。酷い有様だ。死んだかどうかなんて知りたくない。あんな悲惨な映像をチャゲは冷静に静粛することの正当性を冷静に語り続けている。和代が迷惑そうな顔をするとチャゲは苦笑してデータを消した。こういう感じでチャゲが行き過ぎないように和代は常にチャゲのそばにいるのだろう。和代がいなかったらチャゲは今頃獄中かもしれない。
ところでバイザウェイ、静粛と書いたけど粛清が正しいのだと思う。でもチャゲが粛清をした動画を見たなんて言ったら俺も共犯みたいになるだろう。ならない?ただ間違えただけなんだけど、静粛でいいと思う。でも本当に映ってたスパイが死んだかどうかは知らない。
こういう断片的な命令は、象と結びついている。断片化、それは象に到達するために解かれなければならないという点で、より強固な一貫性の印であり、分散したシステムを通してでも、システムとしての分散を通してでもなく、断片化とは、全体として、実際にも理想的にも存在したことのないものを粉々に引き裂くことであり、将来のいかなる存在においても再び組み立てられることはあり得ないのである。
そんな話は僕も聞いたことがあったしネタバレをしたい。どういうイデオロギーで書いているのか、でもそれは知らされたものなんであって自分が知ったものを書いたわけではない。イデオロギーなんてそんなものだろう。僕は差し出された腕に大きく寄りかかり、一歩前に出た。僕はいくつかの廊下をつなぐ円形の部屋に出た。上から半分隠されたランプが照らしていた。
ほこりの多い布で覆われた座席は、空の空間の周りに幾何学的精度で配置され、そこには誰もいなかった。僕が見つけたものは椅子の一つで、それと美しい金色の織りで飾られた帽子を見つけたが、その部屋は小さくて丸く、光よりも多くの影を落とす薄暗いランプが付いていた。今、この家は外から想像できるよりも豪華で快適に見え、すべてが清潔でエレガントに装飾されているようだった。しかし、だからといってそこに行きたいとは思わなかった。
壁に絵がある。小さな部屋では、すべての詳細が大きく見えるような錯覚を覚えるが、詳細を見ないと全体を見ることはできない。それは面倒な割に面白い作業ではない。僕が一つ一つ見た壁は彫刻された平板で飾られ、人のように見える小さな動物がいた。自分も知らないこれらの動物は、明らかに人間の目にはエイリアンだった。彼らの動きは複雑で洗練されていたが、すべて完全なまでに異様だった。そして彼らはすべて同じように見えた。ある動物は長い鼻と耳を持ち、他の動物は短くて丸い耳を持っていた。
ある動物は大きな口ひげを生やしていた。また別のものは、 大きな牙を口から覗かせているものもあった。これらの動物たちは明らかに他のものと異なっていたが、それにもかかわらず、これらは同じものでしかなかった。彼らはみな、何かが欠けていた。