行方不明の象を探して。その308。

象は我々を覚えている。テーブルの上に置かれた本の余白に、読んだことがあるかどうか、自問した。しばらく書けなくなった。倦怠感が物凄かった。彼が一人で書く理由は偽りを少なくするためだ。半分は夢の世界にいたところを眩しい光によって現実に引き戻された。窓の外には気持ちよさそうな初夏の青空が広がっていた。多分、こっちが夢なのだと思う。普段は暗いし起きているのはやたら夜中だし。

 

なんだか正雄の要素がおかしい。いつものお調子者らしくなかった。なにか悩み事でもありそうな雰囲気だ。愛子が真面目な顔をして言う。ドラッグによる幻覚と幻聴か。マリファナですら吸ったら非人扱いされる日本でドラッグ系をやろうとは思わない。正雄は?正雄は筋金入りのカタギだ。つまらないほどにカタギなのだ。ドラッグ系に手を出すわけがない。仮にやりたかったとしても入手の方法を正雄が知っているはずがない。まぁ僕には関係のない話だ。正雄の服装は際立っていた。黒いモーニングコート、グレーのストライプのズボン、袖口と襟が少しくしゃくしゃになった白いシャツ、彼の服装の一つひとつは、じっくりと観察するに値するものだった。

 

気絶しましたー!頭を打つかと思ったけどそれはセーフな感じで。んですぐに通りの向かいの家が揺れまくって足元が閉まって窓がビバーン!って開いた。頭がイッたのか世界がイッたのか、ただ頭は打ってないけどフラフラするけどね。気絶してたから。寝室とかキッチンとかの小さな部屋とめまいが混乱したシーンが目の前で繰り広げられてて、それに興奮した俺は店に戻った時に、窓がビバーン!ってなる前よりも店自体がはるかに以前より良いサービスを提供するようになったみたいだから、どっかにテレポートしたのか一瞬で世界が変わったのか分からないけど良かったよ。とにかく。

 

俺はそういういたずらな口調で話しながら思わずテレビを見ていた。俺はこのイメージからは遠ざかりたいなって思ったのは、通りを渡ると、影のような形状が窓の1つに近づくのを見て、でもそこで誰かがドアを開けると、明るい前庭が現れて、カーテンの後ろの若い二人を映しだしたから、ガッチャ!って感じで、俺はそれらを興奮しながら見ていた。まさかカーテンの後ろとはね!ざまーみろだよ。あの二人ビビってんだろうな。人間か分からないけど。

 

そこでは幅広い番組がテレビで放送されていた。左で漫才をやって右端でテレビショッピングをやっているような体のもので、おなじみの風景が画面に映る。美雨はテレビを指した。愛子も画面を見る。建物はタレントの後ろに反映されたのだったが、それが引越しを早く始めた家だった。正雄が席を立ち上がった。ニュースはまだテレビに出ている!と正雄は叫んだ。みんなが息を呑んだ。美雨にザーメン飲ましてぇ。ヤルだけなら美雨のほうがいいわ。愛子はそういう感じじゃない。締まりは良さそうだけどね。

 

 そんなザーメン大好き美雨ちゃんは暗い顔をしている。ぼんやりと画面を見ると何かおかしかった。画面自体が彼らの風景を反映しているような錯覚がフラッシュバックして、すでにあまりにも漠然としたイメージは、疲れたときに頭にこびりつくようなパラサイトのようなものだった。ただそれは別に悪くないと思った。ようは問題は疲労だ。僕は刺激をあまり望む人ではないようです。刺激が足りない!つまんねー。もうマジで。慢性的につまらない。惰性で生きてる感じ。自伝っぽくなってきた?いやいや。物語は語らないよん。

 

それから僕はこの慢性的な退屈をどう対処すべきか心配した。心配するより対処するべきなのに心配したってどういうことだ。殺すぞ。こら。腹が減っていたわけではない、なぜなら少し食べてHP回復していたからね。食事を終えたらコートを脱いでバッキバキに折り、床にずっと伸ばして頭を枕のように周りに見せた。みんな驚いてた。さすがにもう頭イッたのかって思われたっぽかったらしいぜ。目を閉じてすぐに僕は怒った。イッてねーよ!ざけんなよ!寝ても寝たくなかったんだよ!寝たこと以外はね、静かな感じでここを脱いで休憩を取って、あ、あとその前に休憩した歌を歌うことにした。

 

ケッ!どうせ休んでも何もならないのに。倦怠感は何も疲れから来ているわけではない。外にも同じような静けさが支配している。その静けさがあまりに確かで軽蔑的だったので、彼は休むことだけを考えていた自分が愚かだったと思った。どうして何もしないでここにいるのだろう。偶然の産物なのだろうが気になって見入ってしまう。愛子が不思議そうに言う。僕が画面を指さすとその指が画面に表示された。やっぱりか。なんだか残念だなと思った。なぜ、来るはずのない助けを待っているのだろう。と、懐かしさがこみ上げてきたが、やがて疲労感だけが残った。

 

あんな変わったものを見間違えるとも思えない。ラーメンを先ほど食べたのにまた腹が減ってきた。人間は食うために生きるべきではないが、生きるために食べるにしても食欲の尽きなさは仕方がない。しかしワイドショーは現場から芸能ニュースへと切り替わった。アイドルなのか女優なのか分からない人間の熱愛発覚で好感度が地に落ちたらしい。処女のフリをしているヤリマンなんで腐るほどいるのに、なぜ処女のフリに騙される男が後を絶たないのか?そんなもの騙されるほうが悪いのだ。

 

体を起こし肘をついてしばらく耳をすました。その静寂は不快なものではなく、敵対的でもなく、奇妙でもなく、ただ不可解であった。僕は自分がまだ家の中に忘れ去られているのを見て、二度寝をしようとした。しかし、まだ疲れが残っているのか、なかなか寝付けない。一瞬のうとうととした後、突然目が覚め、これは本当に睡眠なのだろうかと思った。いや、これは本当の眠りではない。またこれで日差しが差している景色を見たらそれもまた夢なのだろうと思うし、夢であるかどうかというより何が眠りなのか?ということのほうが重要であるように思えた。

 

死すべき沈黙は静止することはない。 断片的な文章はリスクであり、リスクそのものである。それはどんな理論にも基づいていないし、中断と定義できるような定義を導入しているわけでもない。中断されながら、それは続いていく。自らを問うことで、それは問いを共同利用するのではなく、無回答として、それを維持することなく中断させる。それはまだ来ていない現在のあらゆる可能性の後方にある時間である。

 

耳をすましたというより何か声が聞こえたから耳をすましたのだった。後ろから能天気な声が聞こえてきたからだった。どっちが先なのか思い出せない。耳をすましたら能天気な声が聞こえてきたのか逆なのか、振り返ると健次が駆け寄ってきた。僕より二つ年上だ。だからと言って頼りになるわけでもなく、むしろトラブルメーカー的存在だ。

 

ある時、健次は宇宙人を呼ぶと言い出し、公園に変な絵を描いてチャネリングをしていた。最初は馬鹿にしていたのだが、夜空に意味不明の白い点のような光の粒のようなものが現れて妙な動きをしていたので、案外、チャネリングが成功していたのでは?と思った。他にもUFOを目撃したことは何回かあるので、あれはあるものなんだと思っている。でもその中に宇宙人がいるかどうかは全く別問題だ。

 

健次は惜しがっていた。「ベントラーって掛け声がダメだったか……」と相当に残念がっていたのだが、俺としては滅多に見ることが無い挙動が変な光の点が現れただけでも凄いと思っていた。

 

うん。 もうすぐもうすぐだから料理。 良平。 大丈夫、落ち着いて。 もうすぐ着くからだからsiriさん。 以上超効き目が違うらしいよ。また、そんなもんやって大丈夫なん?だって、みんなやってるし、まさか手に入れたの?そう。一緒にやろうよ。ええ、折角帰ったん。だから亮平が勝手にしたことでしょう。じゃあ、さあ、みんなでやっぱりみんな仲間内でキャンプに行ってさ。そこでやろうよ。メール。ピザーラあたしも気になってたよね? 何すごいじゃん? あー、ちょっと楽しくてね。なかなか手に入らないような流行ってるからね。生もないんでしょう。

 

「へー。 ふふふ。 ふうふふわー。 あはあ。 セキュリティ。 メール。 今見てもらった映像がドラッグによる影響の一例です。 ドラッグは中枢神経に影響を与え、気分が高揚したり、身体感覚が変わったりするなどの効果があります。 皆さんも知っているでしょう? ドラッグが危険なのは、常習性があるからです。 効果が切れてくると禁断症状が出てくるので、出してもやめられなくなってしまう。これが悪循環でして、ドラッグを飲み続けると、精神や肉体が確実に崩壊して行きます。 製品への影響としては、まず妄想が挙げられます。 誰かに監視されている誰かが部屋に潜んでいる」

 

健次は目を輝かせながら興奮した調子で話す。ラリってやがんのか。こいつだったらドラッグやってる可能性はあると思う。でもそんなの大したことじゃない。本当にヤバいやつは素でラリってるようなやつだ。本人はラリっているわけじゃないのに周りがラリっているだの異常者扱いしてくる。そんな目に何度もあっている。だから人付き合いが億劫になる。変わり者扱いされるならまだいいと思う。なんかやってるって言われるのはなんかやりたいのにやれないとか我慢している自分にとって凄く心外なことなのだ。

 

健次の下世話な物言いに僕は辟易した。健次は思い出したかのようにカバンから小さな袋を取り出した。袋の中には黒い錠剤が入っている。なるほど。すっごい効くんだ。へぇ。でも何と比べてすっごい効くんだろう。中途半端なトリップ感で、どちらかと言えば吐き気やめまいや頭痛などのほうが勝るような中途半端なドラッグはやりたくない。あんなもの体に悪いだけで損だ。やるなら極上のものがいい。健次がそんなものを持っているとは思えなかった。

 

だがまったく健次に聞いている様子はない。話しているうちに健次はどんどん興奮してくる。話を途中でさえぎるように言った。あまりに一方的な物言いに僕はだんだんとイライラしてきた。きつい口調で詰め寄ると健次の態度が急に冷めていった。健次は錠剤の入った袋をカバンにしまった。ぶっきら棒に言うと健次はふらふらと外に出て行った。テイストが分からないやつはこれだから嫌いだ。とりあえず酔っぱらえればいいと言って安酒を飲む輩とは付き合いたくない。モノの上質さが重要なのになぜそこを気にしない?

 

部屋の後ろは茂みで覆われていて、日当たりがよくない。全然写真と違う。その夜、前庭は突然憂鬱な刑務所の雰囲気に陥った。刑務所に入ったことがないから分からないけど、なんだかイライラするような、何もかもを失ったような、でも生きなければいけないような、外の天気はどうですか?光と一緒に朝起きたと思ったら夕方だった。すべてが遠くに感じられた。僕が覚えていることは、壁に面して部屋の真ん中に横たわっている愛子が落ち着いたふりをして、すべてから撤退した態度を示していることだった。めまいを感じた。

 

そういえばカフカ。ブランショはカフカの影響を受けまくっていた。やはりカフカは凄い。とりあえず凄いと言っていればいいというレベルではなく、文芸を理解するようになってカフカの凄さが分かった。夭折しなかったらどういう作品を書いていたのだろう?こういうものを書いていたのではないか?と勝手に想像して書いてみればいいのではないか。

 

「ああ、ホラーとかミステリーも嫌だな」

 

「いやいや、そういうのにだって優れた作品はあるんだな」

 

「それはそうかも」

 

「じゃあ、その優れた作品のタイトルを教えて?」

 

「悪い。忘れた。何それ?

 

「あ、いたいた」

 

「何々?お邪魔だった?」

 

「そんなことないよ」

 

 「余分に買っちゃったんだけど飲むか?」

 

「いいや、お前からお茶をもらうのもな」

 

「とにかくもらってくれよ。頼むよ」

 

「わかったって。そんなムキになるなよ」

 

「グッ、嫌だ」

 

「どうしたの?」

 

「変な味する?そこの自販機で買ったんだぜ? 賞味期限が切れてたとか?」

 

「まーったく腹を壊したら責任取れよ。貧乏なんだから水道の水を飲んでればいいんだよ」

 

「そりゃそうだ」

 

「いや、聞いてたよ」

 

「特にドラッグと幻覚の話とか」

 

「確かに怖いよね。本当はいないのに何か見えたり聞こえたりするなんて」

 

「だけど、一人で居る時は退屈しないんだよね?」

 

部屋に籠る薄明るい靄が隅の暗さに立ち迷い溶け出してベルベットの感触が部屋いっぱいに彼に触れてくる。その柔らかさに身もだえしたいほどたまらないのに、悶えてしまえばヴェルベッドのひと時はたちまち消えるのが分かっていた。   

 

反復するエネルギー、制限に負担をかける制限、あるいは芸術作品の不在の存在、すべてをもう一度言い、もう一度言うことによって沈黙するものへと向かう。顕在的なものから自らを切り離す以上、断片的な文章は一に属さないのである。そしてまた、経験としての思考、全体の実現としての思考を糾弾する。

 

「こちらは現場のカラオケボックスです。センテンスの方は一時間ほど前に進化しました」

 

「あれ、駅前じゃない?」

 

「なんかあったのかな?」

 

「駅前さ、テレビカメラいっぱい来てたぜ」

 

「お前もキャンプに来ればよかったんだよ。夜中にみんなで飲んでラリってさぁ、もう最高に盛り上がったぜ」

 

「モノが悪いよね。そういうキャンプで騒ぐ輩ってドラッグの質についてこだわりがないから嫌いだわ。俺は信頼できる筋からしか買わないしやらない」

 

「お前も飲めばわかるってすっごい効くから」

 

「っつーかお前からもらうのが嫌だわ。仮に上物でも。こういうセンシティヴなものって誰からもらうか?ってのも重要なんだよね」

 

「飲んだ場所もいい感じでさぁ、近くにやばい空間が虚構なんてどうでもいいって」

 

「どうでもよくないんだよ」

 

「その花はきれいでしょう」

 

「キャンプで摘んできたの?」

 

「あたしもラリってたよ。花言葉知ってる?」

 

「いや、知らない」

 

「酩酊」

 

「なるほどね」

 

「この花がねキャンプ場の一面に咲いていたんだよ。酩酊がそこら中に満ちていたってわけ。最高でしょう?」

 

もし、すべての言葉の中で、本物でないものがあるとすれば、それは間違いなく「本物」という言葉であろう。 断片的なものの要求、極端な要求は、最初は、断片、スケッチ、研究、つまり、まだ作品になっていないものの準備や却下されたバージョンに立ち寄るかのように、怠惰に従わされる。作品とはそれ自身に満足する統一体であるから、この要求は作品を横断し、覆し、台無しにする。