フォルトゥナはツンデレ。

mimisemi2009-08-16

胃之上奇嘉郎が大好きっつーのはもうだいぶ前に書いたけどさ、相変わらず読み直してみるとさ、特にあれね、E-MAIL OF INVITATIONってやつでさ、女子大生が男にさ、「質問があるんだけど」って女子大生がネットでヤッてる画像を脅しのつもりで見せるじゃん?で、女子大生が不敵に笑うんだけどさ、その表情とか凄いんだよねっつーか俺はこういうところに最高のエロスを感じるね。まぁ相当変態でエロいからだと思うんだけど、なんつーか女性の裸とかってなんでもないじゃん?ちんぽくわえてるとか入れられてるとかもなんでもないんだけどさ、やっぱ一番エロいのってこういうところだと思うんだよね。ホント、この人は分かってるなって思うんだよね。画力が凄まじいっつーのもあるけど、それプラスで「エロさ」ってのを本当に理解してるなって思うんだよね。意外といないんだよ。俺は二次元でも抜いたりっつーかオナニーにまつわるものならやれる限りなんでもやるタイプだけどさ、タイプって言うと面白いよね。タイプ別かよ!みたいな。まぁそれはともかくさ、絵はうまいんだけどエロスが分かってないとさっぱりダメなんだよね。エロ漫画って。桂正和とかは完全にあの人はエロ絵師だよね。別に成人コミック書いてないんだけど、エロいシーンの描写とかが半端じゃないじゃん?どんだけエロいんだ?っていう。


世徒ゆうきとかもすげー分かってる人だよね。絵がうまくて女の子が可愛くてエロいっつーね。なんつーか男の性欲を分かり尽くしてるっつーかさ、どういうので男がムラムラくるのか?ってのを分かってるよね。散々じらされてんで溜まりに溜まった精液大放出するとかさ、エロ漫画の常套手段って意味じゃなくてね、そのエロっぷりが凄いんだよね。創造力が凄まじい童貞がオナニーで想像するようなことをそのまんま描いてるっつーのかな?色々とストーリー作るじゃない?想像で抜く場合。そういう感じね。シゴきながら考えるレベルの妄想っていい意味で高いレベルの情動的な妄想を上手いこと形にしてるっつーのかな?だから凄いのね。


あと最近アニメとかも凄いのね。特に関心したのがソフトオンデマンドのさ、アニメオンデマンドってセクションあるじゃん?で、ぴこの話をしたいんじゃなくて、アニメ風間愛とアニメ八神優ね。フェラチオとかの動きにすんげーこだわってるっつーかさ、動きの精度が高くてんでリアルに無い妙なエロさがあるっつーのかな?すんげー誇張されてる感じね。実際はあんなフェラチオってドラマティックじゃないだろっつーところをリアルを保ちながらリアルとは違うリアルさで表現してるっつーの?んですんげーお下劣だからね。ザーメンでうがいしたりさ、口の中でモグモグしたりさ、まぁでもね、俺がこの手のザーメン遊びで一番好きなのは洋物のさ、プライベート物のやつで女の子がちょっとふざけてみましたみたいなノリでやってるザーメン遊びね。それが最高にエロいと思ふわけね。仲良さそうなカップルが「飲んじゃったの?」「うん。テヘヘ」みたいなノリでやってるやつ?ああいうのが最強だよね。ああいうのはアメリカンじゃないとやっぱダメなんだよ。作為的だとつまんないよね。日本のAVってそういうのが多くて全然エロさを感じないし抜けないから全然見ないよね。特殊なフェチものとかしか見ない。いつも書くけどセックスしてるやつらがセックスそのものになってるのって圧倒的にアメリカのやつが多いんだよね。で、北欧とかさ、ロシアとかのやつもそういうアメリカ的なAVの手法真似てたりするんだよね。逆にガッカリするけどね。ヨーロッパならヨーロッパならではのヨーロピアンスタイルでやればいいのにって思っちゃうんだけど。


いやさ、アニメオンデマンドのやつに戻るけどさ、extreme bukkakeってドイツのハードドコアなぶっかけサイトあるじゃん?you pornとかで投稿されてて見れるけどさ、ああいう下劣さっつーのかな?嫌がる人は気持ち悪いと思うだろうなってレベルの下劣さがハマると最高なんだよね。何十人の男にザーメンぶっかけられて、んでさ、最初からまぁ飲むつもりだから口開けて待っててんで口の中に溜まったやつを最後に全部頑張って飲むやつとかあるんだけどさ、「うわー」って素の時だと思うんで楽しみでも見たくないんだけど、ムラムラ来てハマってるときはたまらないっつームラムラモードじゃないとハマらないやつってあるじゃん?そういうのがエロスの最高峰だよね。つまりはオナニーする側がムラムラ来てそれにハマっていくっつー対象に埋没するってことがエロスなんだよね。そこを勘違いしたAVとかエロ本は全然面白くないんだよね。で、絶対的にそういうのを分かってるってメーカーとか作家少ないんだよ。マジで。フェチものとかでもさ、すぐ分かるよね。制作者がフェチじゃないんだなってのがすぐ分かるやつあるじゃん?脚フェチだったら脚フェチ産業ってのがあって、んで儲かるからっつーんで後追いで作ってるようなやつとかって全然エロくないじゃん?でもマジのフェチの人が作ったフェチものAVとかってエロさが凄いよね。俺のフェチにハマってなくても撮り方とかで「あーフェチなんだなー」っつーのが分かるっつーのかな?これ凄く重要なんだよね。


ちょっとしたエロ話とか出来ないもんでね、俺。もう引くぐらいハードコアな話をしてるのは分かるんだけどさ、まぁそこはウォール伝クオリティだからね。姉ちゃんの乳がデカかったとかっつって騒いでるやつとかさ、何も分かってないよなって思うよね。そんなのエロスでもなんでもないのに。エロスと言えばやはり栗子を思い出すな。エロスってやっぱ見いだしてんで感じるもんだよね。そういうのを表現出来る人ってのが凄いなって思うわけね。逆に女で男のそういうツボを分かってる奴って男をムラムラさせるファッションとか仕草をするよね。女って凄いなーって思うよね。本当に。エロスの大元みたいなもんだからやっぱ使いこなすと凄いよね。ヴィルトゥって名乗ってフォルトゥナを犯すみたいなことをしたいと思うよね。基本的にMなんだけど、なんつーかツンとしてるんだけど遊んでなさそうなんだけど生意気そうっつーかさ、そういうアメリカンガールっているのね。で、全てを私がコントロールしてるみたいな気分になってる女をフォルトゥナと見立ててさ、んでヴィルトゥでそれを制圧したいよね。つまりは「いい気になりやがって!」「やめてー!」とかっつーレイプモノとかってようはマキャベリが言うさ、フォルトゥナは女神っつーか女性だから押し倒したりしないとダメだし、あっちも女なんでそういう男気があるちょっと乱暴なやつについていくみたいなさ、「嫌だと言ってても体は正直だな!」みたいなのってまさしくマキャベリ政治学の本質だよね。運命を女神と見立てたマキャベリは天才的なレトリシャンだね。過去から色んな哲学者を魅了してきただけあってさ、マキャベリって凄いね。マジで。


フォルトゥナは気分屋のお嬢様なんで、そこに必要なのは草食男子的な思慮深い行動とかよりかは必要なのは男らしさっつーか勇敢な感じなんだよね。気分屋なさ、変動的な政治的なものをレペゼンするかのような気分屋の女神に必要なのはそれに対応する勇敢さなんだよね。それが権力とかパワーって意味でのヴィルトゥね。で、そこは女らしさってのがあってさ、フェミニストには大反対を受けそうだけど、気分屋の女神を押し倒してさ、んで犯してヴィルトゥのチンポを味わわせてその快楽に依存させるっつーのかな?フォルトゥナはツンデレなのね。でも強い男と強いチンポがあるとそっちになびくみたいなね、そういうのを分かってない男がまぁ女に騙されたりするんだろうね。政治とか社会と一緒なんだよね。そういう意味だと。「わたくしは用意周到であるよりは果断であるほうがよいと考えている。なぜなら、フォルトゥナは女性であるから、彼女を征服しようとすれば、うちのめしたりつきとばしたりすることが必要だからである。フォルトゥナは、冷静な行きかたをする人よりもこのような人達に従順になるようである」ってちょーエロくない?ちょーエロいレトリックでしかもすんげー上手いこと本質を説明してるっつーのかな?凄いよね!!


contingencyみたいなのに任せてもそれは全然フォルトゥナの手中だからさっつーかお転婆女をそのままにしちゃいけないって話なんだよね。ムフ的な闘技的民主主義とかもさ、そこに権力が介在しないとそれってお転婆女同士の言い合いになるからね。つまりは公的なものが無くなるっつーか公私混同された利害関係によるただの争いになるんだよね。公的なものと私的なものを分けるものは何か?ってそれってやっぱ公民の役目じゃん?まぁそれが市民だったらいいけど、まぁ市民と公民は違うよね。同じような扱われ方をするのかもしれないけど、基本的に公的なものを分節化して配置するっつーのが政治の役割でさ、まぁ政治家ね、で、そこに必ず介在する恣意性とかさ、フォルトゥナのお転婆加減ってのに対峙するものとして力とか権力としてのヴィルトゥが必要なんだよね。そこを民衆に任せるというのはつまりは政治が脱政治化されるってことでさ、公的なものが私的なものと混ざり合って、んで本来政治が持っているべきシステムとしての公的なものの分節化された物というのをさ、壊す事になるよね。だからそこはやっぱ守らなきゃいけないんだよね。それが公共性というものでしょう。個人の利害ではなく社会の利害ね。いや、自分で書いてて自分で「なるほど!」って思っちゃったよ。


私的なものと公的なものを混ぜ合わせないで完全に政治とか社会というものを対象化して考えれる人ってどれだけいるのよ?って話だよね。政治家ですら無理なんだからさ、まぁ政治家だからこそ無理なのかもしれないけど、まぁ大衆は無理だよね。そんな高度な考え方なんて出来ない。政治ってちょームズいよね。ホントに。まず必要なのは公人としてのシステマティックな思考法だよね。思考システムというかなんというかさ、そこにマキャベリ的な思想がビルトインされてないとダメなんだよね。つまりはさ、ポピュリズムというのは大衆迎合で行われずに哲学的統治という意味でのマニュピレーションで行われればそれがベストなんだよね。そういう見せかけだけの民主主義があればシステムは現状のままで良くてさ、だから結局必要なのって新システムっつーよりかは優れた政治家とか統治者なんだよね。で、まぁ一気に話を飛ばすといつもの賢人政治みたいになるけどさ、政治的なものと哲学的なものがクロスするみたいなことではなくてさ、まぁそういうのが出来ればベストだけどほぼ無理じゃん?だとしたら社会の利害を考えながら権力を振るう事が出来る公人が必要になるよねって話なんだよね。で、そういう公人が哲学的なレイヤーでも物事を考えられるようになればなおよろしいって話だね。公職ってまぁそういうことだよね。


「でもそんな人いるのかな?」って話をすると政治の不可能性ってのにたどり着くよね。そんな人は滅多にいないし、いたところで政治家にはなれないだろうし、なれても強欲な連中に潰されるだけだろうってことになるよね。ってことはさ、政治って政治に見える私的利害のぶつかり合いってことになるよね?俺は公的なものの調停が政治だと思うけど、実際は私的なもののぶつかり合いなんだよね。で、さっきの公的なものの分節化の話になるけどさ、出来る人はいないっつってもアイデアはあるじゃん?俺みたいなやつでも書いてることなんだからさ、「それなんだよね。本来的な政治って」って思考はあるじゃん?だとしたらそれをどうパワーストラクチャに組み込むか?だよね。それはやっぱ政府を潰すとかじゃなくて、政府を内部から綺麗にしていくって話になるよね。ってことでやっぱ本当の革命はパワーストラクチャ内で起こるんだよね。下から上ではなく上が上自体で自浄するっつーかね、まぁ自浄を促す何かが必要だけども、やっぱ俺はそこは思想だと思うんだよね。政治哲学とか政治学とか社会科学とかっていう学問ね。


特に思想が凄いのはさ、運動とかと違って偶発的に単発で散種されていれば世界各地でそれが解釈されて何かに結実したりするっていう可能性があるようなウィルスみたいなもんってことなんだよね。ウィルスっつーと聞こえは悪いけどさ、それは可能性というよりかは潜在性だよね。それがある限り常にそれに関する何らかの可能性があるんだよね。それが凄いと思うね。


ってことでまぁ今日は溜めからだったんだけども。

北一輝――国家と進化 (再発見 日本の哲学)

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