現実はオワコンという認識からはじめませう。その18。

では続きですっつーかそんなに残ってなかった。


でもそもそもその成功とかが関係ないからこそ空しいんだよね。概念だとは言ってもあまりに抽象的で大きすぎてまとめようがない。でも思いついちゃうっていうそんなジレンマの中を生きてるっていうさ、それってすげー辛いことなんだよね。色々とレベルの差はあると思うけどこれは俺は人間類型の一つだと思ってるんだよね。色々と共通して同じようなタイプが見られるってことは人間類型だよね。考えちゃう型の人間類型っつーかなんつーか。でもなんでこんなに鬱が多いんだろうな?とは思うよね。鬱だってことにフォーカスしてピックアップするわけではなくてなぜか多いんだよね。で、文学者とか芸術家にも多いっつーけど本当に何なんだ?って思うよね。まず間違いなく言えることは彼らは馬鹿ではないってことだ(笑)色々と見えるから鬱になるんでしょう。色々と分かっちゃうからね。そう思うとある程度頭が良いと鬱にならざるを得ないってことになるよね。そもそもの全ての意味なんてすぐ崩壊するもんな。修行者とかって崩壊した後にそこから抜け出そうとして修行を始めるらしいね。あとは人によってそれが芸術であったり文学であったり。でも表現できるって方法があるって凄いと思うんだよね。


考える才能があって表現する才能もあるって凄いよな。なんか俺は前者だけって気がするんだよな。表現に関してはイマイチ上手くない。表現だと思ってやってた音楽なんかも結局独りよがりっつーか伝わるわけが無いようなもんを作ってたって気がするしさ、なんかそれで行き着いた先がマッシュアップってすげー皮肉だと思うんだけどまぁあれも絶望の表れだよね。すんげー暗いアンビエントとかよりも暗い音楽だよね。ああいうのって。しかもなぜか異様にレベルが低いYou Tubeの世界ってのがあってもうゲンナリするよね。You Tubeにコメントを書くやつらとかユーザー全般っつーのかな?日本に限らず海外でも酷いんだよね。まとめて処刑したほうが世界が良くなるレベルの凄まじい馬鹿がいっぱいいる。ニコニコとかにちゃんなんて全然マシに思えてくるぐらい底辺の世界なんだよな。恐ろしいよね。中田ヤスタカ系のやつってやっぱり聞いてるのは馬鹿が多いからそれもしょうがないとは言え、それにしてもまぁ全般You Tubeのレベルは凄いね。もう本当に気持ち悪いレベルだもん。


いや、そんな意味でさ、俺がネットに可能性なんて微塵も感じてないってのはよく分かるでしょ?ソーシャルメディアがどうのとか結局使う人間がクズだったらどうしようもないわけでさ、そんなところの期待なんて全然無いんだよね。で、ナイーヴなバーチャルリアリティー論とかゲームが世界を変える!的なやつも労働者が革命起こすと思ってる左翼と同じような考え方で人々に対する期待が高過ぎるんだよね。いや、もっと実地を見てから言えよ!って思っちゃう。無理でしょ?そんなの?っていう。そういう意味で俺はネットでもリアルでも底辺と普通の人よりかはよっぽど接してきたと思うんだよね。それってすげー良い経験なんだよ。凄い人とばっか接してるってそれはそれで感覚狂うからね。悪い意味で現実と乖離しちゃうからね。俺がリアリストたる所以はやっぱり凄く強固な俺の経験ってのがあるわけよ。だから幻想なんて抱けないわけよ。だから俺は諸悪の根源である現実に依存しないでもやっていけるようなシステムってのが欲しいんだよね。でももちろん馬鹿は入ってこれない選民的なコロニーですよ。そりゃ。馬鹿が入ってきたら荒れるからね。もうそれは夢だよね。本当に。これって選民ができてなおかつ現実でジェノサイドを起こさなくてもコロニーを作れる方法じゃん?全てを変えるんじゃなくて人を選ぶってことだよね。


で、人もそれを選ぶっていう。でもそれが仮想現実とかまぁ少なくとも現実の世界に作るわけじゃないからさ、だから戦争とか起きないじゃん?危ない思想でも方法論が安全だからいいんだよね。で、馬鹿は勝手に現実世界でやりたい放題やってればいいわけだから。いや、そんなの関係ないよねって言い切れるぐらいの強固な基盤が欲しいしそれを欲してる人たちが大勢いるってのはよく分かったんだよね。まぁ凄まじいニーズがあるってことだけは間違いないわけだ。ニーズがあるってこれだけで凄まじい可能性だからね。いや、ニーズって金稼ぎって意味じゃなくて場を求めている現実に居場所が無い人たちのための場ってことね。まぁそういう中でのいざこざはしょうがないんだよね。ある程度の人間同士のいざこざならネットの罵り合いのレベルにはならなくて大抵まぁ話し合えるわけでしょ?そこがまた生産的なんだよな。でもそれは人を選ばないと不可能なんだよね。何なの?それ?と言われてもあれだ、構想としかいいようがないわ。俺が見たい世界を作って何が悪い?ってことじゃん?で、現実には一切迷惑はかけませんってことなわけだから。なんかそのさ、すげー悩んでたりどうしようもなくなってたりさ、引きこもりとか登校拒否とか鬱とかパニック発作とかでもいいんだけど、なんかそういう人たちがただとりあえず居られる場って作りたいよね。


そこで話し合うとかじゃなくて居るということが可能な場ね。でもそれは掲示板とかじゃ無理なわけだ。具体的なスペースじゃないといけないわけで。なんかそれこそそこでボランティアのカウンセラーとかがカウンセリングとかしてもいいわけだしさ、なんかそういうインフラって全然無いよね。なんでこんなに現実に居場所がなくなってる人たちが多いのにインフラ作りが進んでないんだ?って呆れるよね。で、そういう人たちには申し訳ないけど死んでもらうしかありませんって言っちゃってるんだもんね。冷たいよねぇー本当に。でもそれが現実なんだからしょうがない。何も期待できないからこそ自分たちで作るしかないわけで。


っつってなんか具体的なプランとかあればいいけど無いからアレだよね(笑)まぁでもなんかこれはライフワークとしてできればなって凄く思うね。それこそこういう場があることで自殺をせずに済んだとかさ、不登校という道を選べて孤独になることもなくその場での自分とか人ってのがいてさ、んでなんかその中で正気を保てることで現実との折り合いもつけられるっつーかまぁとりあえず不登校ってのを選んで、んで大学行くとかさ、その前に死んじゃうのが問題なわけじゃん?結局は居場所がなくて死んじゃうわけだから必要なのは場なんだよね。存在が肯定される場っつーかさ、否定しかない現実がどうのって言ってても変わらないから肯定できるような前向きになれるような場って絶対必要だもんね。でもなんかメンタル系の人たちがやってる集まりとかって独特の世界があって俺はああいうのが凄く苦手だからもっとオープンなさ、まぁ心のケアとかも一面ではあるけどやっぱりオープンっつってもまぁすげー選民的だけどオープンなスペースっつーのかな?こういうのをオフでやるって残酷なんだよね。外に出られない人たちを閉ざしてるわけだから。だからこそオンラインなんだよね。対人恐怖症とか関係ないわけで。


ってのでなんか終わってた。恐らく続きはあったんだろうけど書かなくて、んで何を書くのか忘れたんでとりあえずこんな感じですかね。あ、んで次回はあれだ、いや、なんでこんなに延ばすのか?ってさ、書くことが多すぎて面倒になってるのね。次は今読んでる本の話なんだけどさ、いや、次っつっても実質的に年明けぐらいから読んでるやつの話だから色々とあるんだよね。あ、バーチャルリアリティ論とかまぁネット系のやつとかなんだけどね。まぁあれだ、世界で言えば本当にあれだわ、アニメの世界とかAKBの世界とかさ、そういう世界だよね。ポパーが世界3とかって呼んでるものに近いかなっつーかポパーってあんなことも書いてたのね。全然知らなかった。


なんつーかね、前にも書いたけどアイドルの世界とかゲームの世界とかさ、そんなもん元々あるんだよね。それこそ古代ギリシャの演劇とかそういう話までさかのぼれるわけだ。ただの目の前にある現実だけじゃなくて、それこそ物語とかも仮想世界にしちゃえば仮想世界なんてのは常に人類の中にあったわけだよね。それが文化だったりするわけだ。で、今回の俺の場合はね、結局あれなんだよな、現実はまぁ凄くつまらないと。政治とかも考えれば考えるほど無理なことばかりでやるせないってまぁ諦めるわけではないんだけど、そんな感じでさ、んじゃあ余生をどう過ごせばいいのか?って話になるわけよ。で、現実だけ見てても興味あることが少なすぎてあとは社会的なものに繋がるものが無さ過ぎて途方に暮れていると。んでそんな中であれだよね、そこをさ、フォーカスするところを生きるってところにするんだよね。どう生きるか?というところにフォーカスして、現実の中でやっていかなきゃいけないっていうところにばかりフォーカスしないってことだ。現実というよりかは自分がどう生きたいのか?って話なわけ。もちろん現実との折り合いもあるんだけど、そこでなんつーか考えられる世界ってのを別に現実オンリーで考える必要はなくてさ、いや、それこそアニメがあれば生きていける!とかアイドルがいれば生きていける!とかさ、いや、そういうのを俺はネガティブな逃避だと考えていたんだけど、そもそもそれは生き方のテクネーとして凄く重要なんじゃないか?って思うようになったってことだよね。


で、俺で言えば没入できるような世界観とか一つの世界と言えるぐらいの雰囲気を持ったようなゲームってのをさ、ようはつまらなくてもそこに居ればとりあえずやることがあって割と楽しいっていうね、んでもそれはゲームだから駄目だみたいに考えてたわけよ。学問を究めねば!とかって思ってたんだけどさ、そもそも自分の生活ってのを考えたときにね、それがまぁ今回気がついたことだけどゲームってのがすんげー重要なファクターになってるんだってことなんだよね。これがあるから現実との折り合いがつけられることが多いわけだ。だからようは現実から逃げるんじゃなくて現実で生きるために他の世界にフォーカスするとかさ、それこそ世界を作るとかそういうことになるわけね。現実は現実でしょうがないから嘆いててもしょうがないって話だわ。そこの現実のどうしようもなさに関しては諦めて、それがあればやっていけそうな世界を探すってことだよね。だからまぁベタな話で熱中できることを探すってことなんだけどさ、まぁ別にそれは所謂趣味だからなんでもいいのね。そこで現実から何を言われようがそれが確固たる自分の世界ならそれはそれでいいのね。


で、まぁそのアイドルにしてもネットにしてもゲームにしてもバーチャルなものって何気にもうインフラ化してるんだよね。昔からインフラだったのかもしれないけど、やっぱりパソコンとネットってのがあって常備されてるからインフラ化が進んだってことだよね。良い点ばかりではないけど。で、存在を色んな場所に置くことでひとつの物語が崩壊してもまだこっちがあるから大丈夫的なね、存在を分散させる感じだよねっつっても匿名でブログをやるとかそういう話ではなくて、そこにいられるとかそれに接しているということで実存的なバランスが保たれるっていうような機構をいくつか持つってことだよね。そこでいつも言うようにアニメオタクとか鉄道オタクとかはもう確固たる世界を持ってるから全然オッケーなわけだ。とにかくそこそこ楽しくやってるやつが最強ってことだね。幸せになるとかってことじゃなくて、まぁまぁ楽しく過ごすってことだよね。


そこがなんつーか生きるってことが時間を過ごすっていう連続体によって形成されているから生きるってことはようは時間を過ごすってことなわけだ。だから強度ってのが大事になるんだよね。それがバーチャルであろうがアイドルのライブであろうが凄まじい経験をできたらもうそれは凄いわけだ。まぁようはこれって西洋的な発想だよね。クラブカルチャーってようはこの過ごすとか強烈な経験をするためのものなんだよね。ハレとケの話だよね。でも別にそれがドラッグとかクラブじゃなくてもそれはアイドルでもゲームでも強烈な経験ができればなんでもいいわけだよね。あとつまらないよりも死ぬかもしれないけどやってみたいことがあるんだったらそれはやってみたほうがいいんだよね。最悪なのはロボットみたいに時間を過ごすってことなわけだから。でも現実を生きるってことはもうイコールでロボットになるみたいなことになっちゃってるけど、そこを時間の過ごし方っていう観点から生き方の形成を考えるってことだよね。だから日々の行いとか経験が生き方の形成になるんだよね。


だからお金とか地位とかがあってもそんなに幸せにならないんだよね。まぁそれ自体が楽しければいいけど、それってまぁただのモノだったり概念だったりするからさ、まぁお金があることで強烈な体験ができるっていうんだったらいいけど、お金で幸せになるってことは不可能だよな。楽しく過ごすために必要なのがお金っつーんだったら分かるけど。でもあとはやっぱり工夫だよねぇー。これもテクネーなんだよね。俺がFPSでスナイパー的なものにこだわるのもようはテクネーなんだよね。凝っても意味は無いけど本人が楽しいんだったらそれでいいっていう。いや、あまりにも好きすぎてさ、スナイパースクールに通いたくなっちゃってさ、色々と調べたら精神病があるやつは駄目ってことでまぁ無理っつーかそれ以前に無理だろうっていうまぁそれは置いておいてさ、なんつーかスナイパーっていう技術とテクノロジーと知識が統合されたタクティカルな感じに凄く惹かれるのね。何でか?っつーは分からない。でもどうでもいいんだ。好きなんだからしょうがない。これがようは人生の財産なわけだ。いつかは飽きるかもしれないけど今は楽しいから過ごし方としては最高なものになってる。だから何か見つけたら意味無い病に陥るんじゃなくてとにかく無駄に懲り倒すってことが必要だね。それは絶対強度に繋がると思うのね。そういう観点から数学も取り組もうかなと思い始めたら気が楽になってさ、いや、別にそれで飯を食うとかじゃなくて、過ごし方として有意義なものだったらそれでいいじゃん!っていうそれだよね。スナイパーへの憧れとか数学への憧れとか現実とは関係なくてもまぁそんなのどうでもいいって話だわ。なんでそんな現実を軸に考えなきゃいけないんだ?ってことなわけで。まぁでも数学で飯が食えたら最高だとは思うけどね。それは余裕で全然まだ諦めてないんだけど。


これってまぁ仏教的に言えばそれそのものをそれ自体として見るってことだよね。で、結果まぁ何もないわけだ。ただあるだけなんだよね。あとは無かったり。まぁでさ、そっからどうするの?って話なんだよね。でもこれはそれそのものとして見てたら所与の価値観って関係なくなるじゃん?こういうのが良いとされているとかこういうのがステータスになるとかそんなのがいかにただのしがらみなのか?ってのが分かってくるから勝手に自分の世界を生きるってことになるよね。そんな中で社会的なものにコミットできるとようは根底に信念みたいなのがあるから現実に軸をおきすぎないで自分の信念みたいなのに軸を置いたほうがなんかいいと思うんだよね。長いものに巻かれろ的なことにも陥りづらくなるし、そういう迎合を要求されて無理なんだったら自分の生き方とはフィットしないからやめて自分で勝手に続けるってことだよね。だからまぁ究極的に言えばアナーキーに勝手に生きろ!ってことになるわけだ。思想的に言えば一遍上人とかと似てると勝手に思ってるんだけどね。


あと一休なんかもさ、晩年は盲目の女性と恋に落ちてセックス三昧だったらしいけど、一休いわくクンニをしていてもただクンニという事実があるだけで一休の性欲とか一休がクンニしているとか盲目の女性がクンニされてるとかどうでもいいでしょってことらしいんだわ。ただクンニという事実があるだけでなんでもないっていうさ、性欲に動かされておかしくなってるんじゃなくて、それそのもの的な認識を踏まえたうえで即物的にやりたことをやってるから主体とか我が無くてただクンニというアクションだけが残るんだよね。これって凄いよね。教科書とかに載らない内容だろうけど一休の認識は凄い!まさしくこれだ!ですよ。俺がオナニーしてても誰にも言えないようなネタでオナニーしてても数学やってても哲学の本を読んでてもスナイパーに憧れてスナイパー研究してたりするのも別に俺がどうとか世界がどうじゃなくてそれをやっているという事実があるだけでそれでいいじゃんってことなんだよね。本人が楽しければいいんじゃない?っていうまぁすげー簡単な帰結だよね。ただオナニーに懲りすぎて身を滅ぼすことになったりね、それは駄目なんだよな。おぼれるということは違うわけ。ただそれ自体があるからこそただそれ自体としてそれを行ってそれを行って時間が過ぎたという事実だけが残るわけだ。で、それの積み重ねが人生ってことになるわけね。だから連続体としての人生ってことになるんだよね。結局まぁドゥルーズの生成論とかニーチェの考え方と結果的にあんまり変わらないと思うよね。別に意識してたわけじゃなくて話を進めていったら類似性が現れてくるんだよね。


だから一休がセックス三昧だったのは凄く分かるんだよな。覚者のクンニだよね。クンニ連続体みたいな。だからもう何でもありだからおしっこ飲んじゃってもいいしうんこ食べちゃってもいいし、連続体に足したい強烈な経験とか行為とかお気に入りのことがあればどんどんやらないとただつまらない時間だけが過ぎていくってことだよね。まぁそこで幼女をレイプとかそれは駄目だけどね。何をやってもいいっつってもモラルコードありきですよ。当然。でも世の中には幼女をレイプとかじゃないとその連続体のあり方が満たされない人たちが居るんだよね。で、もうそれはしょうがないってことだよね。容認するわけじゃなくてもう牢屋にぶち込むか処刑するしかないと思うね。更正なんてできるわけないんだから。いや、幼女へのレイプ願望をロリ漫画とかロリイメージビデオとかで満たせてるならいいんだよね。それこそストッパーとしてバーチャルな児童ポルノってのは凄い有用な役割を果たしてるわけだ。だから規制なんてむしろ反社会的行為だよね。


とにかくキーワードはバーチャルですね。あと一休のクンニ。この二つが組み合わさったのが今の俺の頭の中にある中心のことって感じだな。まぁそんな感じで今日はこの辺で。


あ、んでAKBって最近騒動が多いけどさ、ファンがあれだけ熱狂したりさ、キンタロー。を殺すって言ったりなんなりってまぁようはこれが世界だからだよね。彼らの世界を壊すものに関しては殺意を感じるのは分かる気がするんだよね。たかがアイドル程度で・・・って思うかもしれないけど、俺が今回書いてきた世界の話で言うとAKBメンバー自体が不祥事を起こしたりしたらそれって物語自体の破壊じゃん?キンタロー。の物まねはいいとしてっつーか個人的にはすんげー好きなんだけど、ようは俺が言いたいのはあの恐ろしいぐらいのファンの熱狂度ね。で、何が言いたいのか?っていうとそれはAKBが凄いというよりかは世界というものがあれだけの力を持ってるってことだよね。だからまぁ宗教も同じなんで世界観の整合性が保てなかったり協調できないもの同士で、ようは彼らの世界をめぐって戦争が起きるわけだ。で、俺はこの世界という概念をね、もっとなんか生きることに役立てたいなって思ってるっていうそれだけね。まぁ俺の理想の千年王国建国ってまぁそういうことなのよ。場所じゃなくて世界ね。っつっても宗教とかではないんだけど。で、別に俺が建国の主になるとかそういうんじゃなくて勝手に世界が作られるってことね。それがまぁようはさっき書いた日々の「過ごす」というところから建国が始まっていくってことなのね。