風花雪月にドハマリする。

ファイアーエムブレム風花雪月にドはまりしてしまってさ、昔からのファンからはアニメっぽいとかって批判があったんでダメになったのかな・・・と思ってやったらヤバいじゃないですか。

 

何なの4周できるゲームって(笑)育成要素も相まってときメモで全員の女の子を落とすみたいな周回を連想させる感じでさ、いやね、なんかあれじゃないですか、RPGとかでもさ、FFとかそういう傾向にあるんだけど、やたらグラフィックが良くなってストーリースッカスカみたいなさ、それがもうあれなんですよ、言葉で言い表せないぐらいいいのね。

 

いや、フィクションということを凄く考えることになってさ、ってことになるとまぁようはあれも文学なんよね。戦記モノの文学という捉え方をすると本当によくできているというか、ネタバレになるけどさ、どの学級でどのルートで進めるか?で世界の見え方が変わるってまさに文学的手法だよね。

 

例えば教団には教団側の言い分があるって統一教会じゃなくて(笑)っていうか統一教会とか本当にニュースでもダメになってきたわ。もう気持ち悪くなっちゃう。メンタルが弱くなってるのか過敏になり過ぎてるのか、もうああいうのが情報として入ってくること自体がもうダメになってるわ。見たいものしか見なくなるっていう典型的なアレだけどさ、見たくないものを見るメンタルの幅が無いってことなんだよね。余裕がないか俺みたいに特に悪に対して凄く憎しみを覚えることに関してはなんていうか奥が深すぎると自分が闇落ちするんだよね。ディミトリ状態(笑)

 

まぁいいや、話戻すか。いや、ヤバいんですよ。日本のゲームがダメになったって言われて洋ゲーの時代になって洋ゲーが結構ダメになってきてまた和ゲーの時代が来てるとかっていうけどファイヤーエムブレムって歴代でも地味っつっちゃー地味なシリーズだったんだよね。硬派というかさ、トラキアとかいくつかを除いては全部やり倒してるけど、学園システムとキャラものというそのキャラを前面に出すことで超絶的に化けた気がするんだよね。

 

ペルソナが3ぐらいから化けたのと同じのを感じる。で、もう何百時間やってるんだけど(アホか)無双もあるじゃん?無双ってもう飽きてるんだよね。過去作やり過ぎて。あとあんま武将とかに思い入れないっていうか。あとまぁドラクエ無双とかもやってるからシステム自体に飽きてるんだけど、ファイヤーエムブレム無双は見事に風花雪月というキャラものというものを踏襲して無双パートがどうでもよくてもストーリー追いたくなっちゃうっていうね。

 

なんかあれは一つ作ったなって感じがするんだよね。フォーマットを。3DSバージョンをもっと進化させた感じなのとキャラをもっと際だたせてるっていう感じで延長ではあるんだけどさ、いや、すげーよ。マジで。アツいしね。かつての旧友と戦わなきゃいけなくて、んで旧友が死ぬのが辛いんだよね。ガンガンレベル上げしてクリアする!っていうより毎回絶妙な悲しみがある。あとまぁ3DSのやつでさ、別の派閥のキャラ同士でも支援会話があってすげー量があるんだけど風花雪月だとフルボイスじゃん?凄いんだよね。

 

あとファイヤーエムブレムと言えばエンディング後に彼らが後にどうなったのか?っていう後日談が出るじゃん?醍醐味ですよね。なんかあれなんだわ、やり過ぎて頭おかしくなってるのか最後に残しておいたクロードのクラスのルートやってるんだけど、これ終わったら全部終わっちゃうなっていうかDLCもやったから、急にロスが出てきてさ(笑)すんげー悲しくなってきちゃったんだよね。

 

そんぐらい没入してたんだけど、それだけキャラとか世界感がばっちりで、各キャラに色んな御家事情があったりさ、悩みを抱えていたりとかってのが描かれてるってのがさ、こういうのってある種、ゲーム外のことじゃん?そこまで作りこまなくてもゲームとして成立させるんだったらいいのにそこを作りこんでるのが凄い。

 

全部のキャラが自分の学級の生徒だから愛着湧くんだよね。やり取りと会話が豊富だから一種のドラマを見ているような感じでっていうかまぁそうなんだよね。生活の中に組み込まれるフィクションって意味で俺は見ないけど朝ドラみたいなもんだよね。あまちゃん思い出した(笑)

 

ゲームのロスなんて久しぶりだよ。マジで。まだ二学級ぐらいあればもっとできるのに!ってのがあるのね。まぁ無双はちょっと触ってやってないっていうかクロードのルートやってないからネタバレみたいになるとあれだから風花雪月をクリアしてからやろうと思ってるんだけど、俺的にエルデンリングぐらいのレベルの神ゲーっぷりなんだよね。

 

まぁ近年のペルソナのコミュシステムに影響を受けたのだろうなとは思うけどさ、メインとは違うサイドのキャラ同士のやり取りってホント、重要だよね。そこにドラマがあるわけだから。そこがすっかすかなのが大半のゲームだよね。やたら派手なんだけどストーリーがすっかすかでさ、深みも全くないのね。

 

あとあれじゃん、勧善懲悪じゃなくて思想の違いで戦争が起きてるってのもさ、ポイントだよね。んでどちらもやるとどちらにも言い分があるってのが分かるんだよね。もちろんやってるルートだと敵対側がモロに敵っぽく描かれるようにはなるんだけどさ、何かその辺の見せ方のあたりの細かさが凄いなって思うんだよね。

 

で、結局、政治じゃん?ディミトリとエーデルガルトの対立って裏側の政治のことで生まれた亀裂で本人たちに責任ないんだよね。でももうそうなっちゃったから対立せざるを得ないということになるっていうね、まぁ最初にエーデルガルトのルートで教団ルートでやったからエーデルガルトが帝国という名もあって某国を思わせる戦争のおっぱじめ方なんだけど帝国ルートでやると教団の暗部も分かるしエーデルガルトは帝国というものを背負ってはいるけど、ようは中央集権的な欺瞞的で腐敗と不平等が蔓延る世界を平等な世界に変える!っつって立ち上がった革命勢力なんだよね。

 

実際に帝国ルートのエンディングで毎回あの各節ごとに出てくるイコンみたいな、平面絵あるじゃん?あれがドラクロワの民衆を導く自由の女神になっててさ、ようは紋章の有無だの貴族がどうだのっていう特権的なものを徹底的に解体するっていうラディカルな姿勢を示したわけだよね。だから帝国と言いながらっていうか、ここも面白くて教団ルートとかでやるとファシストにしか見えないんだけど、帝国ルートでやると実は革命軍だったってのが分かって、んで面白いのが見え方が極めて主観的なんだよね。

 

教団ルートでやるといかにも帝国がファシスト的で平和な世の中を脅かすものっていう描かれ方をされるんだけど、それがようは教団目線っていう視点で描かれてるってのが凄いんだよね。で、帝国だと帝国目線で、なるほど貴族だの紋章の有無だのなんだのっていうのを失くすっていう民主的な革命だったのか!ってのが分かるしさ、かといっても教団が実は凄まじい悪だったというわけでもなくて、まぁそういうもんで今までやってきてましたっていうことなんだよね。

 

王国制を民主制にしようとしたのがエーデルガルトで革命の女神なんだよね。でも最初に教団ルートでやるとすんげー悪って見えるし、ディミトリルートでは闇に蠢くものから力を得て化け物になったエーデルガルトが出てくるわけでさ、完全にあいつら狂ってる!ってことになるんだけど、ようはその違いが主人公が誰を導くか?っていうことでストーリーが変わるっていうその全体の造りが素晴らしいんだよね。

 

クロードルートはまだ途中だから分からないけど、教団か帝国か?で言うと主人公がどちらを導くのか?で話が変わってくるから、選べないんだよね。どっちでも正しいというかなんというかさ。ヒューベルトなんて闇魔法使うし、いかにも悪の側の参謀っつ見た目してるのに帝国ルートでやるとちゃんと統治を考えてて闇に蠢くものとか、ディミトリとエーデルガルトをああいう対立にしてしまった裏のやつらってのがいるじゃん?伯父様とかね。ああいうやつらが邪魔だ!って思ってて実は全然悪じゃないんだよね。ヒューベルトの評価がすんげー変わるのがまた面白いんだよね。完全に最初から悪だくみをしてたんじゃん!って教団ルートでは思うんだけどさ、まぁあとあの見た目だからね(笑)でも全然違うんだよね。

 

個々にちゃんとした正義ってのを抱えててそれがぶつかり合ってっていうか、まぁぶつかり合う原因が裏の連中ってのもあるんだけど、でも裏の連中は別にしてもエーデルガルトとしてはやっぱり現行体制じゃ不平等は広がるばかりだからやっぱ革命が必要だって思ってるわけなんだよね。その辺が革命好きの俺としては最高にシビれるんですよ。

 

シミュレーションで戦記モノで神ストーリーってやっぱりあれですよね、タクティクスオウガですよね。子供がやってもあんま深いところ分からんだろうっていう大人ゲーじゃないですか?あれ。話の作りこみが半端じゃないっていうところがね、んで主人公の名セリフがあるよね。「僕は革命のためなら死ねる!」いやーシビれるね。

 

思想的に俺は変わりましたよ。でもやっぱ基本革命が好きなのね。ましてや話が教団やらなんやらって話でタイムリーじゃないですか(笑)この辺のセンシティヴな話って適当に言うととんでもないことになるから言わないけどね(笑)まぁでも統一教会に関しては俺も色々経験があるんですよ。ニューヨークなんだけどね。

 

まぁすんげーあやふやに話すとさ、英語学校の同級生でオルグして留学生の身ながら現地の統一教会に入ることになって入ったのはいいんだけどって良くないんだけどさ、ある時そいつがすんげー青タン作って学校に来たわけよ。全然似合わないグラサンしててさ、青タン隠すためだったんだけど、統一教会ですんげー奉仕の活動させられて断ったりすると暴力が日常茶飯事でその時もボコられてたんだよね。そしたらまたもう一人のクラスメートがオルグされちゃって、ずーっと笑顔で留学生同士でちょっとした喧嘩があっても「まぁまぁ」なんて言う笑顔を絶やさないみたいなやつがいきなり人格変わっちゃってさ、みんなを睨みつけて誰とも話しなくなっちゃったんだよね。

 

「なんかあったのかな?」とかって思ったら統一教会にオルグされてたって話なんだけど、なんでそれが分かったのか?っていう話はいいや。別に消されるとかってことじゃなくて(笑)まぁ目の当たりにしたのでね。霊感商法どころの話じゃない団体なんだよね。あそこ。ヤクザ以上のヤクザだよね。政界に手を出してるってことでヤクザ以上のヤクザだわ。やってることがヤクザ以上の外道っぷりだからね。

 

信教の自由っつっても組織がさ、あ、Oshoっているじゃん?最終的にカルトになってオクラホマだかの片田舎で武装し始めて軍が鎮圧したっていうさ、あれが不思議なのがさ、ラジニーシの瞑想メソッドとかOshoタロットとかが普通の書店で売られてるんだよね。「ジム・ジョーンズの教え」みたいなのが思想の自由の名のもとに本屋で今も本が置かれてるってそりゃないでしょ?麻原が出した本もまぁアマゾンとかでは買えるけど、さすがに書店はないのは実際に事件起こしたからだよね。

 

でも事件起こさなかったら多分本屋とかのヨガとかスピリチュアルのコーナーに普通に売られてるのを見るとさ、ようはそこがヤバいんだよね。ヤバい団体という面を教団は隠すじゃん?で、良いことだけを書いたヨガのメソッド本とかを出すわけじゃん?そうすると興味を持った人がヨガの会に入ろうとするんだけどそこでオルグされて洗脳されるっていうさ、そこってやっぱ情報リテラシーの問題以前の話なんだよね。

 

オウムの本読んでオウムに入ろうと思ったなんてキチガイだ!って思われるかもしれないけどそれって典型的な事後的な考え方だよね。サリン事件とか殺害事件があったからそう思うんであってさ、ああいうシンボリックな事件がなかったら無害な世に警告を鳴らす指導者がいる教団みたいな感じに見えなくもないわけだから、この辺ってやっぱ取り締まらなきゃダメよね。

 

まぁ統一教会と政治の話がガンガンディグられてるけどさ、すげーシンプルに言えば公共善に明らかな害をなす集団ってのは思想とか信教の自由以前の問題で反社会的勢力なわけで、ようはヤクザと一緒なんだからさ、撲滅しないとダメなんだよねっつってもヤクザって全部のヤクザがダメなのか?っていうとそうじゃない面もあるのがヤクザじゃん?現代ヤクザは食えなくなってるからエグいシノギをするしかなくなるから悪徳なヤクザばっかが目立つようになるけど、統一教会みたいなところって悪しかないじゃん?ヤクザは必要悪という話はいつもしてるけどさ、それって良い部分もあるから必要悪なんであってね、悪しかないものなんてのは社会的に排除されなきゃいけないのよ。

 

ようはあれなんだよね、ヤクザ関係の法律が厳しくなってヤクザと絡んでた芸能人とかが干されたりさ、知ってて関係を持ったらなんだっけ?なんか法律的にダメなんだよね。それでまぁヤクザがやっていきづらくなってるんだけど、でもまぁ一昔前なんてのはっていうか例えば芸能の世界なんてヤクザがいて当たり前の時代があったのは例えばシナトラとイタリア・マフィアの関係とかを見ても分かるように、ああいうショービズ系に関してはヤクザってセットだったんだよね。

 

まぁ良くも悪くも貢献したところってのがあるんだけど、カルト教団って人が不幸になったりテロ起こしたり変な教義でみんなで自殺したりなんの良いところもないんだよね。人を進んで不幸にするものなんてのは許容しちゃダメなのよ。なんかだから俺ってやっぱ思想は変わりましたよって書いたけどさ、やっぱネオコン的な革命主義者なんだよね。

 

エーデルガルトじゃないけど手段が結構えげつなかったり現代民主主義の論理とすり合わなくても潰さなきゃいけないものは絶対にあるんであってね、それが何か?っていうと社会の脅威だからなんですよ。自分は関係ないで済まないわけ。

 

まぁ俺はニューヨークの経験で身近な人が統一教会のせいでボロボロになっていくのを目の当たりにしたから本当にやべーなってのを見てるから思うんだけどね、自由っつってもどこまでの自由が許されるの?ってところだよね。アナーキーになっちゃダメなんだよね。なんでもありだと基本悪の力は強いし人が本来宿してるものが悪だし悪を育む要素が善を育む要素よりも何千倍も大きいからさ、だからもうそれって制度的に抑制しないと本当にヤバいことになるんだよね。

 

ネットの書き込みで人が自殺に追いやられるみたいなのもあってそういうのも法的に厳しくなってるけど、そんなの然るべきなんだよね。市民社会においてさ、こんだけ税金払ってるんだからそこは政府がやらないとダメなところなんだよね。政府にお願いするっつーより民主国家の場合、主権者が民衆だから俺らが主権者なわけよ。

 

だからそれが仮に民主的な原理に相反するものでもダメなものはやっぱダメだろって思えばダメって決められるのが民主主義の良いところなんだよねっつっても実際は悪用されたりする場合が多すぎて民主主義はオワコンってニューヨークの頃から言ってるけど(笑)でも建前にしても国民が主権を持ってたら革命権みたいなのがあるわけでね、上が言ったから従わなきゃいけないんじゃなくて上は俺らなんだよね。

 

アメリカとかだとすんげーその意識が強いから政治家は国民の暴動が起こらないようにするためにどうするか?ってのをビクビクしながら考えてるわけなんだけど、日本ってそれがないでしょ。最近はだいぶ違うとは思うけどね。

 

まぁどっからファイヤーエムブレムの話から統一教会やらカルトの話になったのか分からんけど(笑)主権は我らに!ってことで今日はこの辺でいいかな。まぁでもさ、裁判で明らかな悪の組織も論理的にはそうであっても法的にそうじゃないとか悪だと立証できなければ悪とは言えないってことだとしたらね、んでその悪の組織が大量の人間を不幸に陥れてる存在なんだとしたらさ、法律って国が国民を縛るためにあるんじゃなくて市民的生活を送れるために市民のためにあるもんだからね。憲法ってのはそういうもんだから。

 

国民のためにあるものが国民に害を及ぼしたらそれはダメなのよ。で、変えちゃダメっていう決まりはないからいくらでも変えられるのね。じゃあなんで変わらないの?っていうのが闇深な利権ってことなんだけど、なんかファイヤーエムブレムの話と繋がってきたな(笑)まぁ笑いごとじゃないんだけどね。

 

なんかさ、無辜の人間が悪の組織によって不幸のどん底に陥れられてるってことはあっちゃいけないことなのよ。市民社会ではね。何が正しいかとかじゃなくて、もうそれ以前のアプリオリにアウトなことなんだよね。すんげー当たり前のこと言ってるけど当たり前のことを言えば言うほどラディカルになるのはラディカルってのはまぁ根って意味だからね。根源的って意味だから。

 

過激と根源というのは相反するものじゃないんだよね。急進とかっていうけどさ、悪の組織があったらそれを一刻も早く潰して被害者を失くすとか、被害者の脱洗脳プログラムを国家的にやるとかさ、そんなの人として当たり前だよね。急進も糞もないんだよね。善は急げって言葉があるけど、これが急進の意味なんだよね。悪って過大に見ておいたほうがいいんだよね。善と違ってウィルスみたいに伝播して増殖していくものだから、そういうものの根を絶たなきゃいけないのね。がん治療と同じよ。だからよく社会のガンとかって言われたりするけど、そんなの放っておいたらダメに決まってますよね。

 

まぁそんな感じでんじゃまた。