行方不明の象を探して。その331。

裸の男

 

第一章

 

裸の男は凄く真面目だから何で自分が裸でいるのかを理解できずにすぐにトイレを探した。トイレに籠り深夜を待てば捕まらないと思った体。

 

第二章

 

宇宙人だと信じている。だって宇宙人ってタイピングすると宇宙人の顔文字が出てくるんだもの。そういって女は裸になり外に出た。こりゃ凄いハプニングだと街々の人々や性の秘本マニヤなどが思ったのだった。ぼよんぼよんとおっぱいが揺れる。女は裸の男を匿ってくれているトイレに猛ダッシュした。サンダルを履いたら裸にカウントされないから裸足で来た。ぼよんぼよんするおっぱいはともかく足の裏が痛い。80年代のニューヨークみたいに人が通るはずの普通の歩道にジャンキーの注射針が落ちていたりなんだか分からないガラスの破片が落ちていたりしたらそれだけで致命傷どころかジャンキーの注射針を踏んでしまったらエイズとかになるかもしれないわけでそりゃ由々しき事態だった。

 

佐藤はシンギュラリティとメタバースが世間を席巻していた時代を懐かしんでいた。彼はVR技術に強い興味を持ち、特にブーツフェチ向けのVR作品が圧倒的に少ないことに不満を持っていた。

 

「だれかぁぁ!ブーツフェチ用のVR作品作ってくれー!」

 

と、彼は裸で叫びながら走り回ることを夢見ていた。これは、彼が読んだ小島さんの本に触発された衝動であった。厳密にいえば保坂さんという小説家が小島さんという小説家の小説を読んだときにその本を放り出して

 

「小説ってこんな自由でいいのか!」

 

と感動して走り出したくなったという出来事で、保坂さんが全裸で走り出したわけではない。佐藤が全裸で走り出したのだ。ある日、佐藤はAIによって無くなる仕事や、AIで代替可能な仕事について考えながら帰宅していた。彼は世の中が空虚さで満ち溢れていると感じていた。そんな時、彼は柳田さんという人物と出会う。柳田さんはオムライスを不思議な食べ方で食べており、その色彩はまるで天空から射し込む光のように輝いていた。この一瞬の輝きは、佐藤にとって都市の空虚さを満たすものであった。

 

佐藤と柳田さんは、共通の思い出について話し合った。同じ世代で似たような食事を共有していたが、二人の関係はそれほど深くなかった。佐藤は食器を洗いながら、人類の未来について考え込んだ。最近彼は、AIによるストレスの影響で奇妙な幻想に悩まされていた。首筋が裂けて触手のようになる男の映像が頭から離れなかった。佐藤はサブスクリプションを一つ解約するたびに、首触手が出現する確率が高くなるような気がしていた。彼はこの怖い幻想に脅えていたが、同時に興味も抱いていた。それは、現代のテクノロジーと人間の心理が複雑に絡み合った結果なのであって個人的なことではなく普遍的なことだと思っていた。

 

佐藤は自分の問題を解決するためにAIの専門家と話をすることにした。名を田中と言い苗字は不明。年齢は50代前半ぐらい。彼の学術キャリアはMITで恐らく人工知能、つまりはAIなんかのそれ関係の博士号の取得後、国内外の複数の研究機関でポストドクトラルリサーチャーとして働いた経験を持つ。その後、一流大学の教授職に就任した。田中教授は、AIの倫理、機械学習、そして人工知能の応用に関する深い知識を持っており、特にAIの人間の行動や心理に及ぼす影響に関心を持っている。

 

彼は知的で落ち着いた性格で、ラブラドールレトリバーを二匹飼う愛犬家である。物事を論理的かつ批判的に考えることを信条としておりっていうほどの信条でもなく、ただのそういう性格ってことなんだけど、特に学問においては常に新しいアイデアや革新的な技術に興味を持ち、その潜在的な影響を深く考えるのが彼の良いところでもあり悪いところでもあったのだった。

 

倫理的な問題に対しては、慎重な姿勢を取り、学生や同僚にも同様の姿勢を促していた。保守的でつまらないと言われがちだったのでSNS関係は数年前にやめていた。フォロワーが増えなかったことが原因だったのだが、むさくるしい変な理由をつけてSNS関係をやめたのだった。SNS卒業!とかそんな感じだったと思う。

 

学生に対しては厳しくも公正な指導を行い、授業では実践的な知識と理論的な深さの両方を重視し、学生が自ら考え、解決策を見つけることを奨励していた。人間的に面白みが欠け過ぎている人物であり、学生からは、その知識の深さと教育への献身で尊敬されている一方、革新的な学生からは保守的だと批判され続け、それがSNS卒業の原因になったとされるが真実は田中のみが知ることで、あまり俺も興味はない。

 

彼の研究は多くの学術雑誌に掲載され、国際的な会議で発表されている。AIの安全な使用と倫理的な応用に関する彼の意見は、業界内外で高く評価されている。こういう面では無駄に保守的で妥当な研究をすることから研究者としてはまともであったと思われる。私生活では、文学や芸術に深い興味を持ち、静かな読書や美術館の訪問を楽しんでいた。

 

愛読書は中山可穂の「深爪」田中曰く「プルーストだったら200ページぐらい読まなければ出てこない「お!」って思うパンチラインがほんの数ページほどで現れる稀有な作家」、また、学問的な興味を趣味にも反映させ、AIと人間の関係性を探る小説や映画に魅了されていた。ハリウッド的な大げさな映画からインディーズ映画までAIが絡めば文芸でも映画でもなんでもひたすら貪るように見るのであった。

 

ある日、田中教授は自身の研究を元にしたハリウッド映画のオファーを受ける。映画は大袈裟なSFアクションもので、AIが世界を支配するというありきたりの内容だった。彼は映画の科学的な正確性に疑問を感じつつも、自身の研究がポップカルチャーに影響を与えていることに内心で喜んでいた。田中教授は、AIと人間の関係性を探るため、大学のAI研究チームと共同で新しいプロジェクトを始める。

 

このプロジェクトは、AIが人間の感情を理解し、芸術作品を創造することを目的としていた。しかし、AIが生み出したアート作品は、予想外に奇妙で、一部では衝撃を受けるものもあった。AIをハックして倫理性を無視させるととんでもないグロテスクなものや「人間の残酷な死にざま」というテーマを与えると人間が考え付かないような恐ろしいとにかくおぞましいとしか言いようがない結果を大量に吐き出し、AI研究チームクルーの本宮はそれがトラウマになりPTSDを発症しAIチームを抜けることになった。

 

こんなことになったのはハックしたのが原因だったのだが、相手はアメリカの大手の映画会社だったのでアメリカ式の強引な訴訟を起こした。それは簡単に言えばこの映画のために始めたAI研究によりPTSDを発症して、つまりは損害賠償というか、イメージ的には研究中に何かが爆発して再起不能になるまでのケガを負ったので金を払え!という恐喝であった。

 

田中教授とチームは、AIが生み出したアート作品の展示会を開催することにした。展示会は大きな注目を集め、多くの芸術家や批評家が訪れた。しかし、AIが描いた絵画の中には、田中教授の個人的な情報が含まれているような作品もあり、彼はその作品に困惑した。彼は同僚の復讐を考え本宮がPTSDに陥るほどのおぞましい人間の様々な死にざまが生成されたAIアートをアートテロリズムとして展示しようと考えた。考えただけで実際は何もやらなかった。そこが田中の保守的でつまらないところだった。やればなんか色々とありそうなのに田中はやらなかった。つまんねーやつだ。

 

田中教授がアドバイスした映画のプレミアが開催され、彼は特別ゲストとして招待された。映画は観客に大いに受け、AIに対する一般的な認識に影響を与えた。しかし、映画の中で描かれたAIのイメージは、彼の研究とはかけ離れていた。プレミアの後、田中教授はAIと人間の関係について新たな洞察を得た。彼はAIが人間の文化や芸術を理解し、さらにそれに貢献できる可能性を再認識する。同時に、一般の人々がAIをどのように捉えているかについても深く考えるようになった。

 

しかし散々保守的だのなんだのと言われ続けSNSを卒業するハメになり、左翼過激はを思わせる急進的なAI研究を推進するグループや学生からディスられまくり精神的に参っていた田中は本宮の復讐というよく分からない理由を元にAIが生成した例のPTSDを発症するAIアートを展示会で展示されているアート作品とすり替えることをかさくしたのだが、じゃなくて画策したのだが、小心者の田中はそれができずにいた。

 

そんな田中は佐藤にAIによるストレスは現代社会における共通の問題であり、自分の感情を理解し、適切に対処することが重要であるとアドバイスした。佐藤はこのアドバイスを受け入れ、自分の中の不安と向き合う決意を固めた。

 

佐藤はAIとの共存の道を探求するために、新たなVRプロジェクトを立ち上げることに決めた。このプロジェクトは、ブーツフェチをテーマにしたもので、彼自身の情熱を反映していた。彼は、自分の滾り過ぎてあふれ出しているリビドーを創造的なアウトプットに変えることで、自分自身と現代社会との新たな関係を築こうと思っていたのであるが、基本的にはフロイトの安っぽい受け売りで、フロイトだったか忘れたが、成功者はリビドーをオナニーで解消するのではなくてそれを創造性やビジネスに転換するから成功するのだとかなんとか、とにかくそんなことを受け売りしたのであった。

 

VRプロジェクトと言えば聞こえはいいが実態は既存のVRのAV作品に満足できなかったため、ブーツブルセラをVR空間でできるようにするというような性癖丸出しのものであり、世界中のブーツフェチからのニーズをフィードバックさせてアンプを燃やした佐藤はライブハウスに払うアンプの修理代やそのライブハウスの出禁を食らうことよりも意図せずにアンプが燃えたことに情熱を傾け、いつものようにワインも傾け過ぎて「じょぼじょぼー」とワインが全部こぼれ出るのだった。

 

忘れられた夢のようなコーヒーの香りが漂うカフェってどんなカフェ?「知らないカフェ!」というやり取りが永遠と続いていた。カプチーノの泡を作るという平凡な仕事は、真の意味を欠いた行為であったが、彼女はそれに固執した。泡立てたミルクにココアをまぶした殻のひとつひとつが、ひとつひとつという言葉が大好きで、カプチーノ。カプチーノ。ピース、と象が言っていたように、彼女の手は機械的な正確さで動き、視界がぼやけるのは、おそらく彼女の若さの衰えの比喩だろうと思ったのだが、存在における苦痛なのだった、ということを第三者的に見れば明らかなのであるが、主観的に見ると若さの衰えの比喩とかって思ってしまうのだね。

 

どこかの見た目だけ切り抜けばエレガントな街の風景を模したカフェは遠い記憶、つまりはあるはずのない記憶を思い起こさせるもので、無いものは思い起こさせることすらできないので、このような美しさを思い出すという皮肉は彼女には全く理解できなかったのだが、客はおしゃれだなとかって勘違いしているのだと思った。

 

彼女はこの空虚なカフェで働き続けているからこそ、この表層的なおしゃれな空間に空虚さを感じるのだ。感じるのであろうのほうがいいか。言語って不便でさ、感じるのだ以外に感じるんだよーん!とか感じるんだっ!とか感じるんだげどよぉとか色々あってもいいはずなのに言論統制が凄いので正しい日本語ばかりがまかり通ることになる。正しい日本語など存在しないのに。