行方不明の象を探して。その357。

バイク野郎との変なテンションの戦いが始まったが全くついていけない。そのテンションに。全く面白くない。でも義務感から最後までやるだろう。一応見るドラマみたいなもんだ。刺客の腕は刃を握るために存在していた。何も考えずに刃を握るためだけに生きてきた。指は緊張していたがその緊張は握力とは無関係だった。刀の重心と手の位置が精密に調和し関節の角度がそれに従っただけである。関節の角度が変わるたびに肘と手首のわずかな摩擦が発生したがそれは刺客自身にとって無意識の出来事に過ぎなかった。酒場の扉は開いたまま傾いた木の蝶番がかすかに揺れている。その揺れは風の力を受けたものではなく直前に出入りした誰かの動作の余韻が残っているのだろう。最初のリメイクは良かったのに。

 

良いというか佳作だがああいう感じで作りなおしてくれればよかったのに。期待はしていなかったけどね。去年はエルデンリングのDLCとWokongの年だった気がする。俺の生活は特に何もなかった。留学が決まるまでは。扉の表面には剥げ落ちた塗料がまだらに付着し青みがかった緑と木の地肌が不規則な模様を形成している。床は濡れている。酒の液体、洗い落とされた脂、そして少量の吐瀉物が混ざり合い、不均一な光沢を放っている。

 

クラウドが逃げる際の変な会話、隊長が襲撃犯なわけはありません!襲撃犯は若い女だと聞いています!隊長はどうしても一人になりたい理由があるんですよね?変なことを言って申し訳ございませんでした。映画の台本だったらオッケーが出ていないはずだ。なのにこれでオッケー出しで金かけてムービー作ってやがる。金の無駄遣いだ。映画やるなら映画やれ。なぜMOBAのほうがおもしろいのか?ただの携帯ゲームなのに。いや、ゲーム性だ。グラフィックとかじゃない。あんなもん慣れると何も感じない。床板の隙間には埃と砕けたガラスの破片が詰まっているがそれらが何年前からそこにあるのかを知る者はいない。リメイクの最終作に期待するものはいない。床を踏むたびに靴底が湿った音を立てる。

 

音は規則性を欠いているがその欠如自体がこの空間では一種の規則となっており部屋の自分という存在の不在そのものが自分自身に語りかけてくる。例えばスタミナという言葉。抽象的過ぎてさっぱり分からない。スタミナ弁当。腹が膨れて眠くなってスタミナどころじゃない。スタミナ弁当が置かれているカウンターは長く木製の表面には幾千もの傷が刻み込まれている。それらの傷はすべて異なる方向を向いているがどれも無目的で片付けも無目的になったほうがむしろやりやすくなる。

 

誰かが刃物で削ったのか、それとも何か重いものが繰り返し叩きつけられたのか、あるいはその両方かもしれない。表面には薄く乾いた泡立つ液体の跡がこびりついている。カウンターの端には空のグラスが三つ並び、いずれも不揃いな形状をしている。一つは縁が欠け、もう一つは底が少し歪んでいる。それらのグラスは使用済みなのか、未使用なのかは明らかでない。北京にいる、と書いたが北京にはいない。厳密にはそろそろ北京にいるということだ。ただこれの続きがさらに書かれる頃には北京にいるので北京にいる、ということになる。

 

中国の映画だと思ったら台湾の映画だったという場合が多いのはネットフリックスあるあるだ。あるあるという言葉を使いたくないが使いやすいので使うのは結局、着づらい凝った洋服を着るのも脱ぐのも面倒なので着やすい服ばかりを着るようになるのと一緒で渡航前だというのに全く中国語の勉強をしなくなった俺だけどね、台湾の映画は2時間半、じっくり見てしまった。映画自体が普通に素晴らしかったというのもあるのだが、中国語字幕である程度見れるようになったのはやっぱり留学が決まってから色々と頑張って勉強をした結果なんだと思う。だからもういいだろう。現地で勉強すれば。そもそも考え方自体が間違っている。

 

現地に行った後と行く前は別に断絶されているわけではない。この消化試合みたいな日常が続くだけだ。それはアメリカで散々経験しただろう?環境が変わってワーキャーするのはワーキャーって意味違うだろうけどワーキャーするのは慣れるまででましてやアジアだったらアメリカより慣れるのは早いに違いないし寮というのは初めてだけどそういうことよりも一人部屋を使い続けるということが確定してないというところとかそういうところがもどかしい。言語をナメるわけではないが俺は自分を信用している。

 

つまりは現地に行けば必死にならなくても自然と勉強をしてしまうようになるということだ。常に頑張っていてはいつかは燃え尽きる。頑張らないということが大切というのは鬱なんだからとっくに気づいてそうなものであるが概念的には概念Cとして気づいていたものの気づきと理解はまた別なのだなと思ったりした。頑張らないというのは怠惰なわけではない。村上春樹も言っていただろう。小説を書くのは長距離走だって。

 

スタートダッシュでガーッ!っとやっても息切れして燃え尽きたら終わりだ。マイペースでも毎日走ってるやつが最終的にゴールにたどり着くのは当たり前だ。むしろ頑張ることのリスクは高すぎると思う。理由は色々あるけど考える時間が必要なので書かない。

 

まぁあれだよね、燃え尽きるってことだよね。でもマイペースなら関係ないだろう。マイペースで食事をしていて不快にならないでしょう。ガツガツ食べたら食べ過ぎたとかなんとかね、そういうことになるわけでマイペースでやっていれば基本的に問題がないわけです。もちろん頑張っているというセックスアピールはできませんね。でも結果で見ればいいんですよ。頑張っていたあいつは嫌になって帰国したよ、とかじゃダメなんですよ。

 

生活をエンジョイしながら生活の中に語学を当たり前のものとして取り入れるという頑張らなさを徹底することで中国語をモノにすることができるわけです。いや、そもそも言語自体多分大体そうだろう。萎えるような一か月でマスターしてしまうような天才の話はしないようにしよう。あくまで一般的な話だ。そこそこ頭が良い人だって英語がやたら下手という場合もある。一方で頭はあんまりよくないのにネイティヴ英語が身についたりするやつもいるからそれは厳密に言えば言語野がどうだのこうだのってことなんだろうけど別にそこまでインテリジェンスにがんじがらめにならなくてもいいんじゃないですか?

 

そもそも俺はまぁまぁのインテリジェンスを持っているから中国語を頑張ろうとは全く思わない。そんなのできて当たり前だからね。そうじゃなくて中国語を学んで何をやるのか?っていうことでしょう。永遠と倦怠感が続く今の環境が変わるわけなんだから何かインスピレーションが湧くかもしれないしやってみよう!って思うようなことができるかもしれないでしょう?そういうところを考えなきゃ。でもそれは考えることではないよね。感じることだからね。

 

アメリカにいるときだって結局こうやってカタカタと書いている時間が長かったわけで生活の形態や場所が変わるだけで生活するのは俺なんだからドラマティックにドラスティックにラディカルに変わるわけではないでしょう。むしろ地に足がついた日常を送れるからこそ次の人生の1ページをめくることができるわけです。めくりまくり論争がありました。

 

でもそれは俺の中だけでした。ジャンプしてガードの位置が変わるやつですね。格ゲーの。でもめくりっていう用語を見たのはスト2の攻略本だったからあれって俺がまだ小学生の頃だからそんな昔からめくりって言葉があるのか!っていうより俺が小学生の頃っていうのがそんなに昔ってことになってしまうのか!っていうぐらい俺が歳を取っていることがショックなのではない。勢いでショックだとかって書かなくてもショックじゃなかったら別にショックではなくて昔になってしまうのか!って思っただけということを書けばいいし言えばよろしい。

 

夜の中ほど、私は音もなく立ち上がり、静かに片づけを始めた。この感覚はあれだ、ところで先に書いておこう。誰も私に気づかなかった。そもそも世界で私に気を留める人は一人もいなかった。Kingdom Comeデリバティヴっぽいデリヴァランス?意味が分からない。1はさほど有名じゃなかったときにやっていた。感想を書いたら「文章が気持ち悪い」というコメントを書かれた。1は初期段階ではバグだらけだったが色々と改善されて口コミで独特な感じの良さが広がって800万本売れたらしい。その2が出た。剣で戦うとすぐ死ぬので弓で戦うほうがいい。1では恐らく何かをミッションで行くはずの城か要塞みたいなものを守っている兵士を弓で一人残らず殺害した。そして装備品をはぎ取っては売るというのを繰り返した。

 

でも私は例えば路上の人間を殺すだとかそういう無粋なことはしない。RPGというのは世界観が大事でそれをぶち壊すような行動をプレイヤーがしてしまったら最悪だ。こういう感覚は子供の頃に従兄やRPG好きの友人から教わった気がする。「これが効率が良いから」という方法があっても太いストーリーがあるRPGの主人公が金や自分のスキルのレベルアップのためにそんなことをするか?しないだろう。例えば強盗とかね、悪のロールプレイをするなら別だが本編でノーブルの従者という役割をしながら金稼ぎのために旅の途中の人間を殺すなんて世界観がぶち壊れてしまう。でも弓を極めるために弓一つで要塞を落とすというのはかっこいいではないか。

 

装備品をはぎ取って売るのはサイコな気がするがそれを言い出したら弓一本で要塞を落とそうとするほうがサイコだ。その頃、獲物たちは狩場に集まっていた。彼らは、自らが狩られることを知らないまま、要塞を適当な感じで警備していた。兵士たちは、己をピースの一つにすぎないと信じていた。私は墓を掘っていた。彼の周囲には、無数の穴が広がっていた。彼の手は、何度も土を掘り返しながらも、ある一点で抵抗を感じた。その墓はすでに埋まっていたのだ。それは彼自身の墓だった。彼が自らを埋めようとするたび、そこにはすでに彼の亡骸が横たわっていた。彼が死んだのか、生きているのか、それすらもわからなかった。