「書くべきか、片づけるべきか?」という疑問が空間に漂うが、答えはどこにもない。氷の結晶が夜の闇を切り裂き、シャロンストーンは氷の微笑だったよね?ヤッてから殺すのはジェイソンだ。ジェイソン童貞説というのがある。なんで激しいファックをしているカップルのセックスの最中で殺すのか?それはリア充カップルが憎いからだという理論がアメリカでも存在する。遠くで誰かの笑い声が砕ける。テントスラッシュされる前のデビーの相方の男だ。ページは風に舞い、文字は意味を忘れてただの形に変わる。沈黙が全てを覆い尽くす頃、唯一残るのは冷たい空気と、決して語られない物語の断片だった。
さらに、夜の深淵で漂う音は、過去の記憶と未来の予感が交錯する。崩壊した都市の残骸の中で、ひとつの時計が逆回転し、針が時間を切り裂いていく。空虚な建物の窓からは、見えない景色が漏れ、暗闇の中で言葉が形を失う。
「ここはどこ? 私は誰?」と、消えかけた声が木霊する。きれいではなくてこだまと呼ぶ。知らなかった。変換したらびっくり!出てきた。影は伸び、溶け、そして再び形を取り戻す。その一瞬一瞬が、存在と不在の狭間で揺らぎ続ける。「AIロボットさえあれば・・・」お片付けロボットのことだ。
片付けでどれだけ引っ張るつもりなのか?書くネタがないのではない。自分にとってリアルなことしか書かないことを信条としている俺としては去年から永遠と続く片付けなきゃいけないというプレッシャーから来る心労との戦いだった。なんか文章がおかしいぞ。なんで正しい文章を書かなければいけないのか?なんで小説らしい小説を書かなければいけないのか?音楽でも小説でも共通しているものがある。読者のことを考えて・・・的なことが本当にファッキンヘイなのだ。ファッキンAという意味なのだろうがケネェイってなったりヘイになったりアメリカン英語は色々あって楽しいです。読者のことを考えて書いているから同じような小説が蔓延ってそういうものに人が群がる。
似たようなことをショーペンハウエルも言っていたしカネッティの眩暈のあいつ、キーツだっけ?あいつも言っていたな。砂の上に書かれた文字は波にさらわれ、記憶の断片だけが残る。氷の結晶が輝き、闇の中に小さな光を投げかける。しかし、その光もすぐに消え、再び沈黙が支配する。片付けで困ること。例えば全くやらなくなった単語帳ももうしまうべきか否か?ここまで俺がレイジーだとは思わなかった。遠くから聞こえる足音は、過ぎ去った時の残響なのか、それともまだ訪れていない未来の予兆なのか。
壁はすべての音を吸収し、空間は無限に広がる。アメリカに行く前はスーパーでバイトをしていたんだ。よくあんなパワーがあったもんだ。当時は今ほどモノがなかったので部屋の片づけなんてする必要がなかった。散らかるほどモノを買うお金がなかったというのが主な理由であーる。やがて、無数のページが空を舞い、言葉が意味を持たない記号となって降り注ぐ。冷たい風がその断片を運び、誰にも読まれることのない物語がここに刻まれるなーんて言うと大げさだけどつまりはそういうことです。不毛なものを二時間も書き続けている。この時間を片付けに充てたら相当片付いていたに違いない。でもそんなことはインパッシボー過ぎる。そもそもそんなことができたら片付けなんてとっくに終わっている。
夜が明けると、霧は新しい輪郭を描き、薄明かりの中で影が再び踊り始める。冷え切った空気は、昨日の記憶を静かに包み込み、時間はただ流れ続ける。空には名もなき星が瞬き、地平線は終わることのない夢を映し出す。目覚めた瞬間、アンネは自分がとんでもない存在になってしまったことに気づいた。片付けをやりながら小説を書くの繰り返しが負担になったのだろう。14時間寝ていた。フライトの時間とか残りの準備の予定とかが狂ってしまう!俺は狂っている!
もっとADHDというのが「なんとなく」ではなく完全な病気や症状として認識されればこんな自己嫌悪もないのだろう。「ADHD 片付け」と検索するとガチで片づけられないADHDの人の悩みが深刻に綴られているといってもページにもよるし考え方にもよるしそれを言い出したらADHDはビジネスだとかビジネスってビジーネスってことで忙しがることを職業とするのをビジーネスって言うんだとか、こういった考えのすべてが自分に収束し、彼女こそが世界の根源であるかのような錯覚、いや、確信。根源といっても神ではない。神が世界をおつくりになられたのだったらこのばらばらになった世界を片付けることはできないだろう。破壊しに、とデュラスは言った。
破壊なら簡単だ。片付けにしてもモノを徹底的にすべて捨てるなら簡単だ。分別が大変なのだろう。分からない。シャブに似た成分を持つ薬があってそれは日本ではほとんど投薬されなくなったのだがその薬がキマると一気に片付けができたりADHD的な障害があってできなかったことが一気にできるようになるらしい。俺もその薬を飲んだことがあるのでよくわかる。シャブが欲しいわけではない。合法的に一時的にでもその薬が欲しい。その薬を飲む前と飲んだ後の部屋の様子がビフォアアフターで描かれている、写真をアップロードした書き込みをした主が、主が、なるほどな、凄く薬が効いているのだな。
鬱の人が脳に電極かなんかを埋め込む手術をしたら一気に部屋が片付いたんだそうで、これは片付けという規模の狭い世界での話だが、もしかしたら脳をいじればそんなにできなかったことができるようになるんだったら人生が変わったり職業も変わったりするのかもしれないっていうかなんて言えばいいのか、片づけている最中に出てくる小説、村上龍でも春樹でも大江健三郎でもいい、とにかくうまい。文章がうますぎる。あんなの書けない。無理。でも脳をいじれば書けるようになるかもしれない。でも今は片付けが優先だ。
でもその感覚は、誰にも見られることのない怪物としての孤独と、それに裏打ちされた壮大な希望を同時に孕んでいて、孕ませたくはないのだが、男は孕ませる薄い本やAVなどに興奮するのは動物的本能なのだろう。明日は寝起きからもう片付けに入ろうと思ったら起きたら夜の8時だった。所謂20時というやつだ。無理をしてるから頭が疲れているのだろう。でも片づけをすると書けるようになるのはなんなのか?例えば渡航までになんのタスクもなかったらおそらくいつものようにダラダラ過ごしていることだろう。でも片づけがあるので。
あ、思い出した、留学していた頃のルームメイトの日本人の友人は受験の時、特に苦手な歴史とかをやるときに何ページまでやったらオナニーできる!と思ってそれで頑張ったそうで、つまりはこれは報酬系のようなスキナー的な装置を自分で作り出すということだ。片付けを30分したら書いていいよ。書けるんだ!と思うと片づけられる。つまりは片付けという行為が消える。書けるのだから片付ける。デリヴァランス2はクリアまで150時間かかるそうだが淡路恵子症候群の俺としては面白いゲームが終わるのが怖すぎるのでデリヴァランスの1をどの辺まで進めていたかは分からないがそもそももう5年以上前のゲームだ。でも最後までやらなかった。
だから1をやろうと思ってインストールしている。そうすれば膨大な時間がかかるゲームが2つあることになり安心できる。渡航までにやるゲームがなくなることもない。そんな状態の中、彼女は俺と行動を共にしながら、俺との関係の不透明さに別の理由を見つけるようになった。たとえば、俺の過去がまったく見えず、彼自身が歴史を持たない存在であること。これは異常ではないか?アノマリーという小説を思い出した。フランスの小説だったか。
小説の中盤ぐらいで「そうだったのか!」と驚くような仕様になっていたと思う。小説を熱心に読んでいたのは熱心に書いていたときで今後も熱心に書き続ける生活になればいいなと思うよ。そんな一種のある種の種のある観念を抱き始めると、もう止まらなかった。まるで言葉というものをただの実験材料のように放り投げ、何が起きるのか試したくなる衝動が俺を支配したのだ。1000万字まで何年かかるのか。でも小説投稿サイトでは海外も含めると余裕で1000万字を超えている小説があるので別に1000万字を超えたところで大したことはない。でも当初の目標はそうだったので達成したい。
しかし途中で象が見つかったり、例えば失われた象などいなかったと分かってしまったら?そんなことを考えてもしょうがないか。そう思った瞬間、俺は突如として視界を奪われた。モバイルフォーンが輝いていたのだ。モバイルフォニックアンサンブルというバンドは存在するようで存在しない。いや、輝きというにはあまりに禍々しい光。視界の奥が歪み、モバイルフォニックアンサンブルの姿はまるで実在しない幻のように揺れ動く。それでも俺は目を閉じ、呼吸を整え、全身を陶酔の中に委ねた。こんな素晴らしい音楽を聴いたのは久しぶりだ。携帯が光っただけなのに。
こういうごまかしで俺は生きてきた。「小説書いてるんすよー」って最初に誰かに言ったのはコロナ前かコロナ初期か、もう4年経つ。「私小説ですか?」と言われたので「そうです」とは答えなかった。目を開けば、そこは元の部屋。結局、小説を書こうが書くまいが行く先は墓石。表膜よりも鼓膜に響く小説を書きたいし、どの道、死んでも墓石。破壊しに、とデュラスは言った。すべてが墓石に戻る。レザレクションを書いたのはとんでもないサディストだと田川建三は言っていた。聖書が色んなやつらが書いたコンピみたいなやつだから一貫性に欠けるというのは、あとあれ、バリバリ聖書原理主義の環境で育ったのに「違うじゃん!」と気が付いて高等批評だったか聖書の成立を研究す分野に特攻したバート・D・アーマンという学者がいるはずなのに、もはや彼女は求めてさえいなかった。なぜなら彼にとって、それは「秘密」ではなかったのだから。