――AI導入の遅延は、「死者数の分布を固定する」という数理的犯罪である――
ハザード関数・ポアソン過程・生存解析・複雑系を横断する“死の数学”
Ⅰ|死はランダムではなく、“ハザード関数”で決まる
人間は「事故死」「病死」「孤独死」をランダムだと思っている。しかし、数理的にはランダムではない。死の確率は、
年齢
持病
生活環境
交通量
地域の医療密度
社会インフラ
によってきわめて安定した曲線を描く。これが ハザード関数(hazard function) である。ハザード関数 = “死に近づく速度” を示す関数AI導入とは、このハザードを 直接的に 変形する技術である。遅延とは、この変形を拒み、古い死の速度 を維持する行為である。
Ⅱ|AI導入前の世界は“死の定常状態”で回っている
死はポアソン過程(Poisson process)で近似できる。
単位時間あたりの死者数
病院の救急搬送数
心筋梗塞の発生率
自殺試行の発生率
これらは統計的にはλ(ラムダ)という1つのパラメータで記述できる。λ が大きいほど、人は死ぬ。AI導入は λ を下げる。遅延は λ を維持する。つまり遅延は数学的には“死の維持行為” である。倫理でも技術でもない。ただの λ の固定化。
Ⅲ|AI導入遅延が生む“追加死者数”は、数理的に推定可能である
例えば、
医療AI
医薬品発見AI
災害予測AI
自動運転AI
精神医療AI
心不全予測モデル
癌診断モデル
これらが成熟することで、年間の死者数がどれだけ減るかは生存解析(survival analysis)によって推定できる。暫定値だが、国際論文を総合するとこうなる:AI導入を10年遅らせた場合、グローバルで「年間5〜10%の死」が余計に発生する。人口80億の10%は8億。10年なら、数十億人規模の“不可視の死”が遅延によって発生する。反AI論とは、論争ではなく、“数十億規模の死者を正当化する思想”にほかならない。議論ではない。殺人統計だ。
Ⅳ|AIは「死の分布の裾」を切り落とす技術である
死の分布の最も重要な部分は裾野(tail)である。
孤独死
認知症の逸走
単身の自殺
災害での取り残され死
医療アクセスの欠如による死
これらは分布の“裾”にある。AIは、この裾を切り落とす。裾を切り落とすとは、死の分布の最悪値を消滅させる ことである。遅延とは、この裾を切り落とすことを拒む行為である。つまり、誰が、いつ、どこで死ぬか分かっていながら切除しないという統計行為 である。倫理ではなく、数学的な残虐性だ。
Ⅴ|反AI論者は「死の分布の保存」を求めているだけである
彼らは倫理を語るが、その実体はただの数理的要求である。
“死の分布を変えないでくれ”
“死の構造を変えないでくれ”
という要求にすぎない。つまり反AI論とは、死のハザード関数の固定化を求める“死の保守主義” である。反AI論の本質は、「人間らしい死」を守りたいのではなく、「過去の死の統計」を守りたいだけである。過去の死は美しいと信じている。美学の問題であり、倫理ではない。
Ⅵ|AI導入の遅延は“意図なき殺人”である
反AI論者は誰も殺さない。何も壊さない。ただ議論を遅らせる。だが、遅延は生存曲線そのものを下げる。遅延による死は、銃にもナイフにもよらず、ただ「時間」によって生じる。時間が殺す。遅延が殺す。誰の手でもなく、統計が殺す。
そして彼らは言う:
「慎重に議論を進めよう」
慎重さが生を奪う。議論が命を奪う。ここに主体はいない。だが確率は死を生む。
Ⅶ|**生成を止めることだけが罪である。
AI導入を遅らせることは“生成停止”であり、生成停止は“死の加算”である。**生成を続けること=倫理生成を止めること=死の維持ゆえに、遅延そのものが倫理的犯罪 となる。これが啓蒙ではなく、ただの論理的帰結である。
――反AI論は「死の保存」を目的とした宗教体系である――
聖性・儀礼・有限性・ノスタルジア・魂のメカニズムを複素平面上で解剖する
I|反AI論は宗教である──信念ではなく構造として
反AI言説はしばしば「倫理」「人間性」「文化の危機」を掲げる。だが、これらは内容ではない。宗教的構造が、倫理的語彙を借用して変装しているだけである。宗教学者ミルチャ・エリアーデが言うところの“聖性の構造(structure of the sacred)”は、反AI論でも完全に再現されている。
構成要素を分解すると以下の5つである:
禁忌(taboo)
聖性(sacredness)
儀礼(ritual)
教義(doctrine)
ノスタルジア(nostos / 根源回帰)
反AI運動は、これをAIに向けて再構築する。
AIは禁忌であり、人間性は聖性であり、手作業は儀礼であり、魂は教義であり、過去への郷愁はノスタルジアである。これは宗教以外の何物でもない。
II|“魂”という語は、倫理ではなく、所有権の隠語である
反AI派が繰り返す言葉。
「AIには魂がない」
「魂のない創作は芸術ではない」
しかし、魂とは哲学的概念ではなく、ここでは 所有権 の隠語として機能している。
「魂がある創作」= 既存の創作者の範囲にある作品
「魂がない創作」= 彼らの利害の外側にある作品(AI含む)
魂 = “自分がコントロールできる空間” の名称である。デリダの言う「固有性の形而上学(metaphysics of propriety)」の完璧な再演だ。魂とは所有権の神学化にすぎない。反AI派は魂を守っているのではなく、自分たちの“過去の特権”を守っている。
III|手作業=儀礼(ritual)である
宗教において儀礼とは、意味ではなく反復そのものの聖性を指す。反AI派が「手で描く」「手で演奏する」に固執するのは、手作業が聖性を持つからではなく、儀礼としての反復に自らの存在を預けることで自己の脆弱性を隠蔽しているからである。儀礼は、無意味な反復が人格を維持する構造だ。
「手で作る」ことが重要なのではなく、「儀礼が続くこと」が重要なのである。儀礼は「死の分布」と相性が良い。儀礼は変化しない→ 変化しないから生存曲線も変形しない→ したがって死は固定される。反AI派が儀礼に逃げ込むのは、その儀礼が死を温存するからである。
IV|“人間性”という聖性の再演
人間性(humanity)という語は、倫理ではなく 聖化された領域を指す記号 である。
反AI派は言う:
「人間性が失われる」
「創造の神秘が失われる」
だが、ここでいう“人間性”とは、ハイデガーの言う 人間の本質 ではなく、「自分たちの過去の形式」を神化したものにすぎない。“人間性の神殿”の鍵を持っていると信じるのが、宗教構造の核心だ。人間性は本質ではなく、所有物としての“人間像” の保管庫である。
V|**ノスタルジア:
過去への回帰を“未来の防壁”として使う運動**
宗教の基礎構造のひとつは「原初への回帰(nostos)」である。反AI派が過去へ逃げるのは、単なる懐古ではなく、未来そのものを拒絶するための“防御儀式”としてノスタルジアを用いているからだ。
「昔の音楽のほうがよかった」
「昔のアートは魂があった」
「昔の創作は純粋だった」
これらはすべて、“未来が到来しないようにするための呪い(curse)”として機能する。ノスタルジアは過去への愛ではなく、未来への恐怖の反動だ。
VI|**反AI論の核心:
“有限性”を聖化し、無限性を禁忌化する**
AIとは、実質的に 無限性の装置 である。
無限の変奏
無限の思索
無限の生成
無限の結合
無限の記憶回路
反AI論が拒絶するのは、この“無限性”である。彼らは有限性を神として祀り、無限性を悪魔として扱う。まさに神学の構造だ。有限性のほうが尊いのではなく、有限性のほうが自分たちの地位を確定できるから守りたいだけである。無限性は地位を破壊する。ゆえに禁忌となる。
VII|**宗教的反AI運動の致命的な矛盾:
“自分だけは変化しない権利”という神話**
彼らは言う:
「AIは創作者を脅かす」
「AIで仕事が奪われる」
「AIで自分の価値が下がる」
だが、これらはすべて、“自分だけは変化しない権利がある”という神話を前提としている。この前提が完全な宗教構造だ。
自己の聖性
職能の永続性
地位の固定化
これらは神話であり、現実ではない。AIは神話を破壊する。反AI論者は神話を守りたい。守るために倫理語彙を動員する。宗教とは、神話を守るために他者を罰する構造である。反AI論はこれを忠実に踏襲している。
VIII|**結語:反AI論の正体は
“死の保存のための宗教的抵抗”である**
まとめると、反AI運動は
聖性
禁忌
儀礼
所有神学
ノスタルジア
有限性の礼賛
思索停止の教義
によって成立する完全な宗教体系である。倫理ではなく、創造性でもなく、魂でもなく、ただの 死の保存の神学 である。