行方不明の象を探して。その377。

そもそも北京に行く前の記憶が曖昧だ。武術留学のつもりはないんですがそういうことで。帰国後の話をするとすれば全く家業をやっているときに自家製詰所みたいになっている場所が片づけられていてまずはその場所を作ることからだったかラリーズとか高柳をアナログで聞きたくてしょうがなかった。Super Disco Fakesというマイナーな12インチの妙に好きな曲があってそれに針を落として聞いているイメージが帰国の前から物凄くフラッシュバック後遺症じゃないんだけど、なんで言えばいいんですか?それは?

 

中国が無理なんだったら台湾に行けばいいと思ってChatGptの課金を再開したのだった。滞在が目的なら語学じゃなく自分の得意分野で入学したほうがいいということでノイズ入学ということになった。ノイズ一芸入学だ。ノイズ一芸入学を目指して帰国したのだった。帰国後はノイズ一芸入学のためにノイズ用ポートフォリオを作ろうと思って色々とノイズ関係の整理をしていたらのめりこんでしまってもう台湾とか中国語とかがどうでもよくなっていた。

 

なら今後どうするの?という課題が一切なくなってひたすらノイズを追求するという方面、中国語ならファンメン、フィィアンミャンっぽい。発音が難しすぎる。way的な。ウェイ的。やり方とかそういうのも方面だった気がする。頑張ったなぁー。中国語。ただ頭は完全に破壊しつくされてしまっていた。「Lifeless」。これだ、今の俺は死んでる。死んでるくせに、全員がそれを生き物みたいに扱う。死んだものを崇拝する宗教。だから世界がこんなに病む。そんなことを考えながら、俺はチェックリストの上にその本を置いた。

 

チェックリストも紙。紙が紙を押しつぶしている。紙の地層。床の代わりに紙がある。音は出した後に死ぬと思いますか?出している瞬間が音であっても聞くまでに時間がかかるわけで死んでる音を聞いていることになるよね?その晩、午前3時のカフェ『マドレーヌ』は、なぜか北京じゃなくて、どこかヨーロッパの湿った路地の奥にあった。これが虚構なのか現実なのか、最初から区別する気がない。俺の生活はもう区別がつかない。手続きの現実に溺れて、音だけが現実で、あとは全部夢のように薄い。だから、店に入った時点で負けている。音だけが現実だって?ウォークマンを持って行ったのに音楽なんて全く聴いていなかったではないか。

 

何より中国とテクノとかヒップホップ、フリージャズでもなんでもいい。中国の風景にある西洋音楽は一切ない。カウンターに座っている男がいた。背中が細くて、肩が少し落ちていて、顔つきは老人なのに目だけがやけに若い。俺はすぐ分かった。デレク・ベイリー。なのにギターがない。正確にはケースはある。黒いケースが足元にある。でも中身がない感じがする。ケースが空っぽでも、ケースはケースとして存在してしまう。その無意味さが今の俺と似ている。

 

「弾けないんですか」

 

俺が訊いたのか、訊かされたのか分からない。ベイリーは笑ったようにも見えたし、笑っていないようにも見えた。笑い方を忘れた人間の顔ってこういう顔だ、と一瞬思って、その瞬間に俺は自分の顔を思い出してしまう。帰国を決めてからの一か月、俺はずっとその顔だった。ベイリーは指を見せた。手はある。指もある。爪もある。皮膚もある。だが「弾く」という運動の回路だけが死んでいる。死んでるのに、手は生きてる。生きてるのに、弾けない。これは残酷だ。

 

楽器のために生きてきた人間の身体から、最後に残るのが「手」だなんて。手は紙を扱うための器官じゃないのに、弾けない手は紙しか扱えない。銀行の書類にサインする手。解約の欄に丸をつける手。梱包テープを切る手。手続きの手。音の手ではなくなった手。引っ越しというよりトンボ帰り。もっと長くいる予定だったはずだ。インサートキーというのがデリートキーに近くにあってとてもデリケート。ベイリーは、俺の前に一枚の紙を置いた。紙。白い。薄い。軽い。生きてない。そこに書かれている文字は、俺がさっき読んでいた会話と同じ湿度の英語だった。

 

—It’s . . . simply the waiver.

 

waiver。放棄。権利放棄。署名。相続。会社。税金。弁護士。誰かの家族。誰かの死。俺は帰国の手続きの中で、何十回も「放棄」に似たことをしていた。日本での生活を一度放棄して、北京に行った。北京での生活を放棄して、帰国する。人間関係を放棄して、音に籠る。音のために生活を放棄する。放棄の連鎖。waiverの連鎖。紙の上で世界が動く。デレクベイリーを今聞いたらどう感じるだろうか?どうせまたもう何もできることはないと感じるに決まっているに決まってらぁ。

 

「あなたは何を放棄した」

 

ベイリーが言ったのか、店が言ったのか分からない。俺は答えようとして、答える前に、口の中に乾いた粉が溜まる。言葉が紙みたいに乾いていく。紙みたいに乾いた言葉を吐くくらいなら、吐かないほうがマシだ。吐かないでいると、代わりに腹が鳴る。腹が鳴る。腹は紙より正直だ。その瞬間、外の木々の葉の隙間から光が落ちた。Sunlight, pocketed in a cloud, spilled suddenly broken across the floor. さっきの本の文がそのまま床に落ちたみたいに、光が割れて、割れた光の中で、ベイリーの顔が一瞬だけ若返った。

 

若返ったというより、過去の録音の中の顔になる。録音の中にいる人間は、死なない。死なないが、生きてはいない。その中間の顔。ベイリーの即興以前のジャズをやっていた頃の録音は残っているだろうか?でもその顔を見たときにジャズをやっているときのベイリーだと思った。俺はその割れた光の中で、自分の手を見た。俺の手はまだ弾ける。弾けるが、弾けるだけで何者にもなっていない。何者にもなっていないから急ぎたくなる。急ぐのはタブーだと分かっているのに、急ぎたくなる。ベイリーの弾けない手は、急ぐことの無意味さを沈黙で教える。教えるというより、突きつける。人間はいつか弾けなくなる。だったら今弾ける手で、何を沈殿させる。紙じゃない。音だ。不可逆の蓄積は、音のほうにしか起きない。

 

「聴け」

 

ベイリーが言った。そう聞こえた。俺は店の奥から、誰かがレコードを回し始める音を聴いた。針が落ちる。ノイズ。ノイズの中から、管楽器の息が立ち上がる。ヨーロッパの即興の匂い。湿った地下室。椅子の軋み。誰も盛り上がらない。誰も「うぉー」と言わない。誰も救われない。なのに、救いしかない。救いが“分かりやすい形”をしていない。

 

救いが地味で、救いが精密で、救いが冷たい。その冷たさが、俺の神経に刺さる。刺さる回路。刺さるから、戻れない。高柳のレコードもあれだ、ローカルなライブハウスとかバーに黒電話の音が入ってたりする。ヨーロッパ即興音楽のマニアックな録音とかも騒いでいる子供の声が入っていたりする。嘘だけどね。子供の声というより客が喋っててあんまり誰も聞いていなさそうな感じとか、まぁそういうのは滅多にないかな。

 

次に目を開けたら、俺はもう帰国後の部屋にいた。ここからがまた意味が分からない。飛行機に乗った記憶もない。空港の司祭もいない。荷物の山だけがある。紙の山と盤の山が同じ地層になっている。部屋は静かだ。静かすぎて、静けさが耳鳴りになる。耳鳴りに耐えられなくて、俺は毎日レコードを回す。回す。回す。ヨーロッパの即興ばかり。