FMP、ICP、Incus、Companyの亡霊、名前はどうでもいいが、あの“世界が紙に回収されない瞬間”だけを求めて、針を落とす。レコードを買いすぎて北京で金を使いまくっていた時と同じような出費になってる。ヤバい。一旦止めようか。ヨーロッパのオリジナル盤だから単価が高い。いや、でもセシルテイラーとかも買いつくしたというより昔、持っていたのに売ってしまったのだよな。そんなにシリアスじゃなかったんだろう。アイラーも売ってしまっていた。全部買いなおした。レコード断捨離をするときにも絶対にセシルテイラーとかアイラーは売らないようにしよう。北京の話はあまりしたくない。
俺は引きこもる。引きこもるという言葉は安いが、現実としてそうだ。外に出ると紙がある。役所、病院、銀行、宅配、請求書、通知。全部紙だ。紙が俺の神経を削る。だから俺は部屋に籠って、音を聴く。音は紙じゃない。音は証明書がいらない。本人確認もいらない。二段階認証もない。音は鳴れば勝ちだ。鳴った瞬間に、世界が一瞬だけ、紙の宗教から外れる。子供を認知するかしないか?という言葉があるが二段階認証とか認証という言葉が絡むたびに認証と否認で避妊から着床などと色々と言葉が繋がって子供を孕ませる感じになるのだが、夜、たまにベイリーが部屋の隅にいる。いる気がする。いるかもしれない、という曖昧さではない。いる、という確信でもない。ただ“そこにいるという取り扱い”だけが成立している。彼は弾かない。弾けない。なのに、彼の沈黙が俺の演奏の姿勢を決める。
俺がギターを手に取ると、ケースの空っぽさが横目にちらつく。弾けるうちに沈殿させろ。薄い模倣になるな。紙みたいな音を出すな。そういう命令が、言葉じゃなくて、部屋の空気の密度として来る。弾けなくなったベイリーの代理をするためにギターを弾く。ただすぐに単調なメカニカル練習に飽きてしまうのでYoutubeを見ながらアンプに必ず繋いで練習しろとか正しい弾き方をしないと変な癖がつくとか、そんなことで脅すやつらは一体どういう神経をしているんだ?NoWaveの連中が真面目にギターを練習したいとでも言いたいのか?パンクの連中でもいいんだが。なぜそう思うのか?
ベイリーがいるような感じがするのかというとYoutubeと関係している。というのは怪談を解禁したからだ。お笑い動画は全部見つくしてしまう。俺が闇断ちしている間に怪談は相当ブームになっていたようだ。ブームになるちょい前ぐらいに死ぬほど聴いていてその後、闇断ちして聞きたいのに聞かなくなって戻ってきたら怪談ブーム。関係ないジャンルのYoutuberもとりあえず再生数が稼げるっつーんで怪談をやったり心霊写真がどうのとかってやってらぁー。心霊写真は北京で一枚撮れた。通りすがりのおっさんの顔がありえない歪み方をしていたのだが気持ち悪いので消した。ベイリーと霊界通信するスウェーデンボルグのような俺。霊界インプロ。
レコード棚の大半はアシッドを作っていた頃に毎月100枚ぐらい買っていたテクノコレクションで覆いつくされているが今はインプロ。そもそもヨーロッパのインプロだとかESPだとかBYGだとか高い印象があって買おうと思わなかった。でもインプロしかやることがなくなったし何よりあれだ、ヒップホップ系とかソウル系の人たちのディグ量を考えればいい。彼らはDJでかけることができればそれもヒップホップだと再定義してプログレロックだろうが昔のロシアの歌謡曲だろうが掘り続ける。それに比べたらインプロにフォーカスしている現在の俺は全然彼らに比べればマシだ。限界があるでしょう。そんなに多いわけじゃないもの。ある程度買ったら買いつくせるから多少高くても買おうと言う気になる。あと最近はアナログの再発盤自体が5000円ぐらいしたりするんでオリジナル盤とそこまで差がなかったりする場合もあるんでしょうがない。
俺は弾く。弾くが弾くことより、聴くことのほうが長い。聴いて沈殿させてあくびをしてまた聴く。刺激が強すぎてあくびが出る。あくびが出るのは正しい。脳が過負荷で逃げ道としてあくびを出す。逃げ道は任意だ。任意だからこそ逃げない。逃げないで聴く。聴き続ける。聴き続けていつか自分の音が紙から離れる。その日まで外には出ない。紙の外に出るために、部屋の中で音の深いほうへ潜る。机の上にあのwaiverの紙がまだある。署名欄は空白だ。空白のまま、紙は俺を見ている。lifeless。死んでる。死んでるから、俺はその上に盤を置く。盤は重い。重いものは逃げられない。逃げられない重さが俺を救う。救いが重いってことを世間は知らない。
180グラムだとかっていう盤自体の重さではない。インプロに救いがあるということを知らないから紙の軽さに回収される。俺は回収されない。回収されないために今日も針を落とす。ノイズが鳴る。息が鳴る。椅子が鳴る。誰も盛り上がらない。だが、これでいい。これだけが俺の帰国後の現実だ。椅子が鳴るのは嘘です。紙とは形而上学的な意味での紙幣のことです。でも誰も理解できないインプロに沈殿しすぎて貧乏になるのは嫌だけど何しろ残りの人生でやりたいと思うことが無い。このハンバーグはコクがないと言っていたやつがいた。修学旅行の頃だったはずなのに小学生が言っていたから小学校の修学旅行でもあれだ、年下という印象があるから5年生6年生がまとめて行ったんだろう。日光に。
「だから、入れたんです」
ベイリーが言った。ベイリーの声なのに声が床に落ちない。声が落ちる前に紙の方へ吸い込まれて紙の繊維で掠れて終わる。俺はその掠れが嫌いだ。嫌いというより、俺の神経を紙が撫でる感じがする。撫でるな。触るな。
「入れたって何を」
「死亡記事です」
「誰の」
俺は窓を見る。窓の外の木々は、その会話に一切参加していない顔をしている。参加していないから美しい。参加していないから、切られる。切られるときだけ参加させられる。それが法だ。
「でも記事は間違いだろ」
「ええ。紙が走り始める。紙が走り始めると、止めるのが難しい。音より難しい」
音より難しい。ここが嫌だ。俺は音の人間で、紙は苦手だ、という設定を自分で作るのも嫌だ。設定なんて嫌だ。俺はただ、紙に殺されるのが嫌なだけだ。ベイリーは椅子に座ろうとして、椅子の肘掛けを外した。外したというより、肘掛けがベイリーから離れた。意思があるみたいに。俺は肘掛けを拾いながら、拾うという行為がもう裁判の一部みたいに感じてくるのを止められない。拾う。拾う=証拠。証拠=秩序。秩序=法。法=紙。紙=死。死亡記事。全部ひと繋ぎ。本も捨てるのばっかりだ。20年ぐらいのオリモノというかあの例のまたから出る異臭がする痰みたいなやつ。一回読んだら終わりみたいな本をその都度捨てることがなかったので膨大な量になっている。テクノのレコードも失敗したやつもそりゃ3割ぐらいあるから断捨離するべきか。レコ屋は買うも売るもディスクユニオン一択だ。
「ボタンが取れてます」
俺が言うとベイリーは自分の胸元を見た。見たのに分からない顔をする。視力じゃない。視力の問題じゃなくて、位置情報が破綻している。身体が“ここ”にいない。ベイリーはもう、ベイリーの身体からずれている。
「取れてますか」
「取れてます。黒い糸あります?」
「黒い糸なら……」
ベイリーが言いかけて、そこで止まった。止まったまま、別の声が続けた。
「黒い糸なら、ここにある。カーペット糸。スーツより長持ちするやつ」
俺は一瞬、言葉の主を探す。ベイリーの口は閉じている。閉じているのに声が出た。亡霊だ。ベイリーらしき亡霊。ベイリー本人よりベイリーっぽい。本人はいつもこうだ。本人より“本人の影”の方が強い。影の方が強い音楽家を、俺は何人も知っている。知っているし、俺もそうなりたいような、なりたくないような。俺は針と糸を取り出す。縫う。縫うという行為が怖い。縫う=直す。直す=秩序。秩序=法。法=紙。紙=死亡記事。こうやって全部が戻ってくる。戻ってくるのが嫌だ。
「ボタン直すの、嫌ですか」
亡霊が聞いた。
「嫌というか、縫うと“終わる”感じがする」
「終わらないものが好きですか」
「終わらないものしか信用できない」
「即興は終わりますよ」
「終わる。でも、終わり方が汚いから好きなんだ」
汚い終わり方。切断。空白。中断。途中で誰かが席を立つ。眼鏡を落とす。紙をばら撒く。話が逸れる。木の話になる。水道局の話になる。法律の話が続く。続くのに、意味が分からない。意味が分からないまま“強制的に”成立する。成立するのが法。成立しないまま“放置される”。それが即興。アンソニー・ブラクストンと殴り合いの喧嘩をしたという話を僕にしてくれた。事実かどうかは分からない。
ブラクストンは即興ながらも構成にこだわっていた時期があってベイリーは即興にこだわるあまり構成すらも拒否していたのでお互いに酔っていた時に殴り合いの喧嘩になってその時にビール瓶で腕を切ったという傷跡を見せてくれたがブラクストンが暴力的な人物だとは思えない。ただその話をベイリーから聞いてからブラクストンとベイリーのコラボが異様にレコードとして残っているのでコンプリートしたくなったが金の上限がありすぎて今月は無理だ。来月だ。