またクラウド化みたいな話。

いやーmixcloudのアクセス数といったら凄いね!ぜんっぜん無い(笑)まぁそりゃそうだろうなぁーとか思いつつ他のそんなに有名じゃない人のページとかどうなんだろう?って見ると1年で400とかそんなのばっかで、そんなもんなのかぁーって感じだね。まぁーそりゃそうだよね。あんだけミックスがあってなんで誰か分からないやつのを聞かなきゃいけないんだと。ましてやmixcloudっつってもプロの人達がミックスあげてたりするから土俵が一緒なんだよね。プロ/アマチュアみたいな区別が無くてどれもイコールなんで、んだからネームバリューがある人とかにアクセスが偏るし、あと質に関してもある意味でプロとガチで勝負するようなもんだから勝ち目がないよね。


http://www.mixcloud.com/Mimisemi/


いや、ネットコンテンツってそうなんだよねぇーっていう。普通に使ってるから気がつかないんだけどさっていうか意識したことなかったけどよく考えたらそうじゃん?ってよく考えなくてもそうか。別にアマチュアのみが配信するものじゃなくてプロも無料コンテンツを配信してるし、ましてやブログなんつったらそれこそ有識者がちゃんとした文章を書いてるところもあるし、いや、落書きが多いっつーけどそれはあれだよね、どれを取ってくるか?ってことが問題なわけで、落書きが増えることは問題じゃないよね。それはむしろポピュラー化すれば必然的なわけで。


コンテンツもそうでまぁなんだっけ?コンシューマーなんたらっつー使う側がコンテンツを作るみたいなのが割と言葉として定着するほどメジャーな現象になったらしいけど、でも全然これはプロとは関係無いと思うんだよね。プロ顔負けのものもあるんだけど、結局はやっぱ本にしても音楽にしてもマーケットに有料で出すって前提のもんは手がかかってるっつーかさ、丁寧じゃん?ってまぁそんなことないなぁー。あーダメだ。書こうと思ってたことがあったんだけど全然そんなことないなぁーとか思って書く気無くしたわ(笑)


リミックスとかDJミックスとかマッシュアップでもめちゃくちゃ良く出来てるのがデフォ評価なのってようはそういうのが当然よく聞かれるものでさ、元々は無名の人のリミックスとかマッシュアップってマイナーなものだったんだけどクオリティが高いやつに関してはそれだけはメジャー化したんだよね。でもああいうのって本来素人が作るもんだし、素材とかマルチトラックで生でもらってるわけじゃないからさ、音のバランスとか悪かったりするじゃん?でもそれは悪いのが当たり前なんだよね。


そもそもリミックス用の素材とかじゃないわけだし無理矢理作ってるわけで。でもたまにプロ顔負けの凄いやつがあるんでそういうやつはアクセス数が凄くて有名になるじゃん?で、別に素人リミックスとかマッシュアップみたいなもんが割と有名になったんだよね。でも基準がその「有名になったもの」ってのが基準だからすんげー敷居が高いんだよね。ああいうのって本来は「ラップ乗っけちゃいました!」的なノリっつーかさ、「トランス風にしてみました!」とかさ、そういうのだったのになんかもうプロ化してるよね。クオリティが高いのを作る人達の場になってるっつーかさ、いや、それがmixcloudとかとも同じ並列化ってことなんだよね。


聞く側は別にアマチュアだろうがプロだろうが関係無いじゃん?だから「いや、無理矢理ラップ乗っけただけだから・・・」みたいなノリが理解されずにってまぁ理解はされないだろうけどさ、それがあたかもちゃんとしたリミックスと思われたりさ、で、ちゃんとしたリミックスっつーかまぁただのマッシュアップなのにリミックスって観点から見ると音のバランスが悪かったりラップが乗り切れてなかったりさ、でもそういうのってマッシュアップだったら大目に見るところじゃん?そこが面白さなのに完全にリミックスカルチャーになっちゃってるよね。だからすんげーつまんないなっていう。無理するのがマッシュアップなのに普通に聞けるような妥当なリミックスっぽいのばっかが評価されるっつーかまぁそこがあれなんだよね、別にそれがリミックスだろうがマッシュアップだろうが関係無いってところなんだけど。


んでも俺はこのリミックスとマッシュアップが混ざってるような感じが凄く嫌いなんだよね。マッシュアップって大胆さじゃん?これにこれ持ってくるかね?普通?っていうような倒錯を楽しむもんだと思うからさ、で、リミックスだったら別にマッシュアップじゃなくて自分で打ち込めばいいわけじゃん?それこそ最初からリミックス作ればいいわけで。その辺がなんかごちゃごちゃになっててつまらないよね。マッシュアップってすげー乱暴なもんで原始的なもんだと思うわけよ。それこそレコード2枚同時再生でBPM合わせました!っていうような実験っていうかさ、そういうどちらかと言うとターンテーブリズム的なものだと思うんだけど、なんつーかもうリミックスカルチャーになってるよね。


なんかあれだよね、ムンベとかハウスとかテクノがメジャー化して毒気が抜かれたような感じだよね。いや、アングラ的なのはそれ自体としてあるんだけどメジャーカルチャーとして流通するものは大抵浅いとか毒気が抜かれたものになっちゃうっていう。まぁしょうがないんだろうなぁー。これは。ネット発だから大胆でぶっ飛んでるのか?と思ったら全然そんなことないようなのばっかだもんね。なんかこれはネット系のコンテンツ全般に言えると思うんだよねっつーかいきなり話は変わってディスプレイの液晶が割れたんだよね。妹のマックで書いてるんだけど良い感じでネット離れが進む感じで。ヤヴァイんだよね。最近。ゲーム熱が一気に冷めて娯楽がネットぐらいしか無いから、なんかそれすらもとどめをさされた感じで。っつっても外部ディスプレイを買えばいいだけの話なんだけど価格が微妙なんだよね。アダプタと合わせて一万5000円ぐらいかな?


買い替えかなぁーってほどの致命的なダメージではないんだけど、でもディスプレイの半分以上が見えないんでどうにも使えない。といってもディスプレイを買うっつってもそんぐらいするし、まぁいつかはいらなくなるじゃん?じゃあ汎用性がある良いディスプレイを買おうか?ということになるとそこそこするからね、だからなんかまぁ困ったもんだなと。


妹のパソコンでネットとかそりゃー普通のことは問題ないけどズリネタにアクセスできないじゃん?まぁネットで見ればいいんだけどやっぱ気分的に嫌だしね。そりゃーまぁそうだよなぁー。家族のパソコンでエロサイト見るのは気が引けるよね。別にバレてもいいんだけど心理的な問題ね。まぁでも思えばズリネタぐらいなんだよなぁー。ミックスの新作があったんでアップしようと思ってたんだけどちょうどディスプレイが割れてアップできないわけでっつってもmixcloudの生々しいアクセス数見るとそもそもアップすれば誰かが聞くって発想がそもそも間違いなんだってのに気づかされるよねぇー。だからまぁ別にアップしてもしなくても聞かれないなら一緒じゃん!とか思うわけだけど。


オリジナル曲なんてなおさら聞かれないよなぁー。しかもクオリティ高くてもそんなのありふれてるんだもんね。バンドにしても昔だったらメジャーデビューしてたぐらいクオリティの高いバンドが聞いてほしくてタダでCDR配ってるんだもんね。デフレっつーと用語的に間違いか。いや、それ自体の価値は下がってないんだけど、クオリティが高いものがありふれてるってことになっちゃって相対的価値が下がるってことね。だから歌謡曲とかでもさ、よくB'zとかが売れてたよなぁーって言われるじゃん?あれってまぁようは価値の変化だよね。あんなもんが売れてたんだけど今はありえないじゃん?昔にさだまさしとかみなみこうせつとかが売れてたのと一緒だわ。


俺のミックスなんかも別に取り立てて凄い!ってところはないからね。本当に音楽好きのあんちゃんが作ったミックスなわけで、それ以上でも以下でもない。それでもまぁそりゃー俺自体は好きだけどねってそりゃー自分が好きなのばっか混ぜてるから当たり前なんだけど。それ自体が良くてもCarl CoxとかLaid Backとかが同じ場所でミックスアップしてるわけでさ、他が強過ぎるっつーの!って感じだよね(笑)


いや、それが今回書いてることのポイントなのよ。みんながクリエイター!っつっても何もかもがクラウド化されたネット上ではそれがアマチュアなのかプロなのかっていう境が無いから、だから単純に質によってそれは比べられるというか判断されるじゃん?いや、ブログの記事とか文章全般も一緒なんだよね。どんどん境がなくなってきてるから価値がないものの価値のなさが際立ってると思うんだよね。あとはオピニオン系もプロかほぼセミプロみたいな人がブログ書いてたりするからレベルが高いわけよってまぁレベルが高いという言い方は語弊があるけど、それはネット上の議論のレベルが高いんじゃなくて、何もかもが並列化されてるんで質が高いものが上に来るのが必然的になってるってことなんだよね。


あとは「こうなのではないか?」と言っていても科学的なエビデンスとか数値的なことはすぐ調べられるから臆見に基づいた意見なんかも本当に意味が無くなってるよね。あと学校なんかもより意味がなくなるよなぁー。専門的なことならともかくとして、先生が例えば「ソクラテスは・・・」とかって言い出したらググればその先生の説明よりも詳しい説明がネットに出てたりするじゃん?もちろん情報リテラシーレベルありきの話だけど、逆に情報リテラシーがあればほぼネットで事足りちゃうよねっつってもそんなこんなでたまたま読んだ本が面白かったんで張っておくわ。




あ、2冊とも同じ本ね。いや、内容について触れるのはやめるけど、結局でもさ、著者も言ってるようにメールだとかブログだとか書き込みとかに気を散らされることがいかに害悪なのか?ってのがわかりつつもやっぱりでも必要でそれはインフラ化してるから避けられないんだよねーっていう。著者は本を書くときは色々とネットだとかブログの更新を止めたりだとかって色々と遮断したらしいんだけど、でも書き終わったらまた元に戻ったって言ってたもんね。それがいいのやら悪いのやら、とりあえず戻ってしまった的な不可抗力的なことを書いてたね。本全体が凄くユーモラスでついつい読み進めちゃうぐらい面白い本だったらかおすすめなんだけどね。


んでもさ、その気が散っちゃう情報といっても結局はリテラシーレベルじゃん?所詮はネット情報だとかっつっても情報リテラシーレベルの問題でちゃんとした書籍と同じぐらいの信用性がある情報ってのもいっぱいあるわけじゃん?ようは情報がクラウド化されてるってことだよね。だからよく便所の落書きと言われるけどそれはさ、便所の落書きを見てるからだよね。書かれたものっつって便所の落書きもあるけどちゃんとした論文もあるわけじゃん?んでもどっちも同じネット上にある文章だもんね。だからどこにアクセスするのか?ってのが問題になる。


で、さっきのミックスの話では無いけどテクノのミックスっつてカールコックスのミックスがただで聞きたい放題なら誰が素人のテクノミックスを聞くのか?って話だもんね。まぁ別にカールコックスってたまたまmixcloudで見つけたからプロ代表として名前を出してるわけだけど、ようは意味合い的には圧倒的なクオリティのプロの作品ってことね。昔はCDでしか聞けなかったようなのがネットでタダだもんね。だからむしろフリーコンテンツっつータダっていうのが強みだったアマチュアの作品のタダの強さってのがなくなっちゃったんだよね。だからもう質対質になっちゃって圧倒的なプロにとてもかなわないっていう。まぁ勝ち負けじゃないんだけどね、あとはまぁ初音ミク的な同人的なのはむしろネットにしかないからそういうやつは相変わらず強いんだけどねっつーかむしろそれがワン&オンリーで敵がいないからね。


でも普通の音楽のミックスなんてもう素人じゃどうにもならんだろっていう。で、それはネットコンテンツ全般に言えるってことなんだよね。アマチュアの強みだった無料ってのがなくなってるってのは結構デカいかと。まぁそんなところを強みにしてもしょうがないんだけどね。だからネットユーザーがどこで時間を消費するのか?っていうところで言えばさ、そりゃ楽しいところに決まってるじゃん?だから自ずと質が高かったり、あとはまとめサイトとかまともなブログとかにアクセスが行くのは当たり前だよね。昔はちゃんとしたやつは雑誌とか書籍でネットはネットって感じだったと思うんだけど今は無いもんね。それが。少なくともネット上ではなくなってると思う。差があるとすれば利用者だよね。未だにネットはあんま使わないとか詳しくないって人もいるからね。年齢関わらず。


5年ぐらいまえはまだ「所詮ネット」って言えたと思うけど今は全然違うよね。もうそれは完全に言えないと思うね。それはもう思い込みでしかない。ようは昔から言われてきた「所詮はネット」という固定観念がある人がそれを思い続けているだけで、ネットの実際のところは違うもんね。ニュースサイトもゴシップもまとめサイトも著名人のブログも有識者の科学的な意見も分析も全部ネットにあるもんね。あとはなんたら事件のあらましだとかまとめとかもあるしまさしくデータベースだよね。


んでもそんな中で佐々木中みたいな時代遅れの思想詩人みたいな人間の本がベストセラーになったりして、なかなかあきれるところもあるんだけどね。あの人のデータベースの定義の誤謬感は半端じゃないよな。情報に対する認識があの程度でその上で思想とかやってるような化石みたいな人ってまだいるんだなぁーと。で、そんなのが売れたってのが絶望を与えるってのはすげー分かるよね。でもあれってようは文芸作品が売れたんだよね。あとは詩とか。哲学とか政治ではないよね。でもあたかも哲学とか政治の本が売れたようになってるけど、実際はロマン主義的な文学主義の読み手に幻想を与える、また幻想好きな人たちがただ群がったってだけだよね。


でも現実的に政治を考えながら哲学とか思想をやってる人間から見ると凄まじいイライラ材料になるよね。東浩紀がどうでもいいけど3万部はないよなぁーって嘆くのはすげー分かるわーって古い話でスマンね。で、311とかがあって、んでそっからなんか詩的な意味での希望とか思想ってのがまた力を取り戻してるとしたらそれはただの退行ですよね。retardationです。実際はどうなのか分からんけどね。俺もだから「諦めるな!」的なさ、私的な意味で言ってるんじゃなくて自分としても諦めたらもう何も無い死ぬしか無い側から言ってるつもりではあるんだけど、そういう言葉ばかりに何かを帰結させるってのが凄く嫌になってきてるのね。


基本はまぁこれでさ、ニーチェ的な力への意思の実践なのは変わらんけど、でもいつか書き込みしてくれた人が指摘してくれたように、それを実践できる人たちばかりじゃないじゃん?耳蝉さんみたいにパワフルな人ならいいけど普通の人はどうするんですか?ってそれ言われると痛いもんね。俺は元々パワーがあるというよりかはパワーを出すようにしているんだけど、それでもまぁそれができるってこと自体がパワーがあるってことになるなら、そこまで無い人はどうすればいいのか?ってそれ言われると困るところはあるもんね。それでも諦めるな!とか魂を磨け!っつーのはもう精神主義でしかない。


だからまぁ現実的な意味での新自由主義的な枠組みでのBIとかを考えてるわけだけどね。仕事が無い、超優秀な人材しか求められてない、職の流動性が無い、景気が悪い、だとかなんだとか、まぁそこを全部力への意思で超越しろ!ってただの超越系の人の自己啓発になるもんね。それこそ自己啓発本にありがちな、あなたはそれができるかもしれないけど普通の人は無理ですよー的な実現可能性が無い方法論みたいなことだもんね。


あとちょっと意味合いは違うけどさ、ゲームにハマる子供の視力を守るには?っていうので医者が40分置きとかに休憩を入れて遠くを見るとかってことをしてくださいっていうじゃん?いや、それ無理じゃん?時間を忘れてハマるのがゲームなわけでさ、それが医学的には妥当であれゲームにハマる子供にとっては全然有用性はないじゃん?ようは実行可能性が無さ過ぎる。だから妥当な意見でも全く意味がない。詩的な思想とか希望とかも同じなんだよね。社会が安定しているときはいいけどこういうときにそれはないだろうっていう。全然リアルさが足りないというか、象牙の塔感が半端じゃないっつーか、んでまた文化人みたいなのが絶賛するから余計にムカつくよね。結局みんな政治とか社会ってのをリアルに考えてないんだなってのが分かっちゃうから。


まぁみんなってのは語弊があるけどこんな状況なのにまだ浮かれたことに幻想を持つ人が多いんだなってのが分かるってことだよね。それを突きつけられると結構キツイもんがあるっていう。幻想で言うとあれなんだよね、こないだ書いたような脱原発イデオロギーね。結局あんなことをやっちゃうって人たちが大勢居て、んでまぁ例のスローガンが空虚なシニフィアン化してしまうっつー最悪のサイクルのさ、まぁようは民意とかイデオロギーの空回りだよね。そういうことをやってるほど余裕は無いのにまだそういうのやってるから凄くイライラするんだよね。


まぁなんかもう今日はいいかな。ここからはまた例の原発の話の繰り返しになりそうだし。んじゃまた。