求道の人生。

例によってsteamのサマーセールで色々買ったんだけどっつってもすげー消極的にそんなにやりたくないけど安いから買うかみたいなんでスルーしてたやつとかあとまぁ俺ぐらいの重度のブーツ及び脚フェチがニーアをやらない手はないだろうっていうことでニーアも買ったけどやっぱ予想通りハマれなかったね(笑)

 

まぁでもあれってストーリーモノだから最後までやりますけどね。んで楽しかったのがある意味本当に歳を取ったもんだっつーのが戦国無双4-2なんだよね。時代物の光栄のノリが好きなのもあるしまぁ最近の流れである時代物ってのもあるんだけど何より単純でいいよね。単純で爽快というね(笑)

 

んで三国無双も買ったんだけどっつーかPS2まではコンシューマー機持ってるからまぁ過去にやったことはあるんだけど三国無双はそんなにハマらないってのがやっぱ日本の戦国時代じゃないからなんだよね。まぁ一応やるけどね。あとまぁ前のやつがことごとくダメで惜しいSniper Ghost Warrior3なんだけどさすがにフルプライスでやる気はしないけど2500円ぐらいだったらちょうどいい感じでんで弓あるんすよね今作。最初押しっぱなしにして引くってのが分からなかったから全然当たらなかったんだけどコツをつかんでからというものまぁスナイパーライフルが当たるなんてことは当たり前だから弓を当てるってのがなかなか楽しいのとやっぱ弓好きにはたまらんよね。ようはリアルで弓引けないときはヴァーチャルでも弓引きたいっつーそれだけなんだよね。まぁそんな感じで楽しんでるわ。

 

弓オンリーで outpostクリアとかfar cryでやったりしてたけどこれでもやってるね。んでも使いこなせれば変な話、セカンダリーのアサルト系より強いんだよね。ステルス性高いしほぼ一発だし。あとまぁサイレンサー直さなくて良かったりとかっつーかまぁスナイパーライフルの弾薬とサイレンサー節約にもなったりして何気に使いやすいんだよね。

 

まぁいいや。書きたかったのはそういうことじゃなくてまぁんであれですよね、ゲームやってある程度楽しむとだんだん冷めてきてディズニーランドの帰りみたいな気持ちになったりするわけなんだけど(笑)まぁこれってさ、ようは普段がつまんなかったり子供の頃だとあー明日からまた地獄のような学校の日々が続くのか・・・っていう落差から来るもんなんだよね。

 

だからまぁ学校の日々を過ごしてる分にはっつってもまぁ俺はストレス凄くて大変だったけどまぁ今の日常にしてもそれなりに辛くはあってもなんとかやっていってる感じはあるんだけど「楽しい!」っつー時間を経験すると落差が凄いよね。だからいつも書くようにゲームをやるとその落差によってリアルの虚しさが如実に表れるということでそういうことの体験が恐ろしいものになるんだよね。別に楽しくなりたくないわけじゃないけどまぁゲームってそういうのありますよね。

 

あとまぁ最近リアルで恐ろしいリア充カップルの存在を知ってさ、まぁそりゃリア充カップルってのはいるけど身近にいるとなんか自分の取り残された感が半端なくて(笑)一体俺は何をしてるのだ・・・という気分になったりしてなかなか寂しいものがあるんだけど、まぁ恋愛となるとそれなりに大変でんでもまぁ例えばディズニーランド現象にしても好きな人と過ごせたという思い出が残るっていう意味で子供の頃のただ楽しかった!ってのとは違うよね。

 

だから大人になると恋愛絡みで娯楽を楽しんだり旅行を楽しんだりするわけだよね。まぁでも人間関係だから楽しいことばかりでもないしそういう意味で恋愛的な意味でのリア充ってのはあくまで自分に無いものが凄く良いもののように思えるという錯覚でしかないんだよね。

 

んじゃあ自分は人生に何を求めているのか?っていうことを自問するとようはやっぱ精神的な成長とか魂の成長なんだけどこれってパラドクシカルで特に今年に入ってからの俺が顕著だけど魂のレベルが上がった結果、よりいろんなものが虚しく感じたり満足できてたもんが全然満足できなくなってたりとかするんだよね。

 

だからこれって逆説的に低いままでいれば刹那的な娯楽とか今をただ生きるっていうことだけでそれなりに思考停止的に楽にやれたりするんだけどそうは自分の魂が許さないわけで常に成長を求めるとどんどん世俗的なものと遠ざかっていくんだよね。娯楽的なものも楽しめなくなってどんどん精神的に苦しくなる。んでもそれは成長してるからそうなるんであって成長の結果なんだと思うと受け入れられるよね。

 

そこでまぁマトリックス的な二択になるけど幻想の世界で楽に生きるか砂漠のような現実をリアルに生きるか?っていうことになるんだけどまぁ俺は後者を選ぶわけだよね。だからそれは必然的にハードコアなもんとなって決して楽しいもんじゃなくなるよね。それに加えて魂の成長を常に求めるわけだから無駄な時間を過ごしたりすると凄まじい喪失感があったりたまにはそんな時間があってもいいのにすげー適当に時間を過ごしてしまった!ということで後悔したりとかまぁ精神的に辛い日々が続くよね。

 

でもそれをなくしたらただのその日暮らしになるわけだしクソみたいな人生になるわけだよね。辛いけどより成長を求めるっていうところだよね。別にそれが必ずしも幸福と結びつくわけじゃないんだけどでも俺はそうせざるを得ない気質というかそういうものに生まれついたというか、だからまぁそれがミッションなんだよね。

 

でもこればかりは最近よく書いてるように知識を増やすとか頭を使うっていうことをしていればいいか?っていうとそういうことではなくて認識的な気づきみたいなのを日々の日常の中でどうやって得るか?っていうところでなんかある意味ずーっと禅的な座りをしているというか瞑想をしているというかさ、んでもまぁこういうのって悲劇のほうが多いじゃん?修行中の僧侶が永遠に分からないままで絶望して自殺とかさ、求道的だからこそ辛くなるところってのがあるよね。でも求道的にしか生きられないんだよね。

 

んでもその求道という道が何なのかが分からないっていうさ、漠然と魂の成長ってのはあるにせよこれをやれば成長できます!ってことが明らかだったりするわけじゃないし日々何を積み重ねていいか分からないっていうね、もちろん考えるっていうことはコアとしてあるけどさ、まぁそれをやめるということはまずありえないにしろんでも考えすぎるから不幸になるとも言えなくもないんだけどんでも考えないとより不幸になるんだよね。それは凄くユニバーサルなことなんだよね。

 

ad hocに何をやればいいのか?とか何を職業にすればいいのか?とかそういうことではない認識的なことなんだよね。だから別に仕事がなんだろうがそれは別に全然関係ないわけ。言わばまぁどう生きるか?ということですよね。それはまぁようは精神性の話でどういうライフスタイルとか生活のオリエンテーション的なことではないんだよね。まぁ簡単に言えば抽象的なことっていうことになるんだけども。

 

そうなると現世的な利益とかそういうのではない精神的なものってことでまぁ語弊を恐れずに言えばスピリチュアルってことでもあると思うんだけど現世的な利益から得られる刹那的だろうがなんだろうがとりあえずは存在する享楽というのから徹底的に離れるということになるよね。それは承認欲求なんかも含むんだけどこれはもう無くなって久しいしでも無くなると寂しいというか仙人みたいになっちゃうからあったほうがいいだろう!と思ったこともあったけどやっぱり本質的にどうでもいいことなんだよね。

 

だからまぁこれはすげー前から書いてたことだけど自分の生を肯定できるかどうか?っていうそこにかかってるんだよね。だからそれの軸が恣意的な恋愛だったり快楽だったり承認だったりってことになるとそれは脆弱極まりないし低俗極まり無いよね。あ、あとまぁマテリアリスティックな欲望の充足なんかも含めて低俗だよね。でも普段の日常で得られる満足感ってのは大体そういう低俗極まり無いものが大半で、んでもそういうものじゃないんだと分かっていてもじゃあその精神そのものが満たされるようなハイブローなものというのは何なのか?っていうとそれがイマイチ分からないということになるんだよね。

 

まぁでもそれは別にコンテキスト依存ではないんですよね。別にハイブローとか低俗とかっていうことではなくてまぁ精神の糧になってるかどうか?っていうのと認識のステイトが上がるっていうところに収束しているか?っていうことなんだけど結局それは物理的に現実的なそういう場を作るとかそういう場に身を置くということではなくて精神的にそういう場に身を置けるか?っていうところに尽きるんだよね。

 

ようは凄まじく抽象的な精神世界に生きるということになるんだけどでもそれは精神世界といってもオカルト的なものではなくてスピリチュアル的ではあるにせよ凄まじく唯物論的でニヒリスティックなものなんだよね。それがようはさっき書いた砂漠のような現実を生きるっていうことなんだけどそれはまぁそのままイコールで砂漠のような実存を生きるっていうことなんだよね。

 

その実存を受け止めてなおかつ肯定できるか?というところででも現状に満足するわけはなくてより高いステイトを求めれば求めるほどそういう理想と今の自分というのはかけ離れているもので凄くデプレッシヴだったりするんだけどんでも難しいところはその高いステイトを求める理想ってのがこうすればそれにたどり着けるというような分かりやすい方法論みたいなのが無いというところなんだよね。

 

まぁそれを逆説的に考えれば精神がそれを求めていれば求めるというところから来る偶発性による気づきとか体験との出会いということが頻繁には起こらないにせよブレイクスルーになったりしてそういうものの繰り返しで精神修養というのができる気がするんだよね。んでもそれは何がブレイクスルーになるか分からないし何かの修行をすれば見えるとかそういう類のもんでもなくてんでなおかつコンテキスト依存のものでもないんだよね。さっきハイブロー云々書いたけどそういう気づきのきっかけはどうでもいい卑近なものだったりする場合もあるし別にそれがハイコンテキストとは限らないんだよね。

 

だからまぁそれは実存の潜在性ということになるんだけどでもそれは偶発性によるものでなおかつ唯物論的に考えれば常に来るべきものという未完な状態というのが永遠に続くようなことでもあったりするんだよね。んでも何かが来たらすべてが解決!というようなものでもないし何かが来たらまたそれを糧にして次のステイトに・・・っていう永遠と終わらない実存的な葛藤っていうことになるよね。

 

そういう尺度から見ると本能的な欲求に発するようないろんなことってのは本当にどうでもよくなるよね。だからまぁそりゃあったほうがいいしあることを望むけどでもそれが答えになるわけじゃないのは明らかってのがまぁようはそういう現世的な物理的な欲求とか欲望の充足ってことになるんだよね。それはまぁその場限りのもので長期的な人生のサステイナビリティには繋がらないんだよね。

 

だからまぁ難しいわけだね。低いレベルだけどぶっちゃけ羨ましいものってのがリア充だったり恋愛だったりしても長期的に見るとそれは一時のディズニーランド状態とほぼ変わらないわけで最初に書いた俺が戦国無双をやりながら感じている楽しさみたいなものに過ぎないよね。まぁもちろん恋愛ってもっと深い世界で深い愛の世界ってのはあるしそれは否定しないけどそんな深いレベルの恋愛を求めてもなかなか得られないでしょうってのが現実なわけだしそこってまぁソウルメイトみたいな言葉があるけど精神的なレベルが合ってないとそりゃ無理なわけでだからまぁなかなかそんな人いないでしょうってことになるよね。

 

あー可愛い子だなと思っても結局は恋愛ってのはそういう精神的なものの相互的なやり取りというのを考えるとなかなかそんな高いステイトにいる人なんていないでしょうっつーかまぁそれがようはパラドックスなんだよね。どんどんそういうのを高めていくと世俗的なものとはどんどん遠ざかるということになるわけで孤独を伴侶とするぐらいの覚悟が無いとそりゃ極まらないんだよね。

 

結局普段の自分を見ても「いいなー」って思うのは世俗的なものばかりで結果的にそういうものを得られたり満たされたりしてもなんの実存的な答えにはならないし今みたいになかなか先に進まないということは変わらないんだよね。なんだろう、それはなんか例えば温泉に入ってる人を見て俺も温泉に入って「はぁーいい湯だなーとかって思いたいな」っていうような物理的なレベルの話なんであっていい湯に入っても実存の問題がクリアされるわけではないのは明白なんだよね。

 

眠くなってきたからそろそろ終わるけどとにかく高いレベルを渇望するということに尽きるね。幸せを捨ててでもそれはやっぱり得るべきなんだよね。まぁ高いレベルに至ってなおかつ幸福ということもあるわけで別に幸福をあきらめる必要はないんだけどね。

 

そんな感じでんじゃまた。