トカトントン。

ちょっと色々思うことがあって必ず月一には渋谷と原宿に行って服を買うっつー俺の唯一のリフレッシュなんだけど去年もギター関係の出費もさることながら今年はキリスト教関係の本の出費が12月から絶え間なく続いていてぶっちゃけ金銭的に両立が難しくなってるんだよね。かといってもなんでもコスパ!とかいってまぁ節約はするけど肝心なところを節約してもしょうがないしなんで節約するのか?っていうと好きなものを買うためってことなんだけど今年なんかあれじゃないですか?外出る機会がほとんどないにしても一気に夏になったよね。

 

先月買ったジャケットを全く着ることなく着用は恐らく秋になるんだなってのを思うとずーっとクローゼットに眠ったままっていうかまぁクローゼットらしいクローゼットではないんだけど洋服自体着る機会が無いって普段全裸でいるわけじゃないんだけど(笑)引きこもりがちになり過ぎるからというのもあって外に出るために洋服を買うっつーのもさすがに続けてると買うのが無くなることはないんだけど買っても着る機会がないとかあんま着てないのに他の新しいやつにとって変わっちゃうだとかボチボチ潮時かなっていう感じがあるんだよね。

 

じゃあ洋服買うの無いから久々にメガネを買うかと思って調べるとまぁ新ブランドとかが結構あってってかれこれメガネは二年買ってない気がするけどメガネ自体もある程度一通り持ってるしなんか面白いのを!って奇抜なのを買ってもバランスが悪くなるのばっかりであんまり着用しないだとかっつーのでまぁこんだけあってもなー・・・っていうのがあっていよいよ買うの無くなってきたなっていう感じなんだよね。

 

ただ結局前からそうだけど毎日同じ生活をしてるとストレス溜まってくるしたまに外出たい!と思うし新しい服とか靴を直で見るのって楽しいじゃないですか?だから良いリフレッシュにはなってたんだけど渋谷原宿通いも飽きてきたなってだいぶ前から書いてるけどいよいよ惰性で買ってる感じがしてきちゃってでももちろん欲しいのが無いわけじゃないんだけど箪笥の肥やしになるだけだなっつーかほぼ着ないまま勝手に気候が変動しちゃうだとかってのもあって(笑)微妙だなーとか思いつつただまぁ買い物って楽しいですよね。

 

でも結局まぁそれってストレス解消なんだよね。リフレッシュと言えば聞こえはいいけどストレスを買い物で発散しているっていうことでもあるわけだよね。あと本にしてもキリスト教関係の本が届いてももはや生活に馴染み過ぎて何にもワクワクすることがないんだけどちょっと違う例えば現代音楽とか前衛音楽の本とかってまぁ出てるの大体買ってるんだけど他ジャンルになると届くのが楽しみだ!とかっていうまぁこれもようは通販中毒と言えばそれまでだよね。

 

起きたらなんか届いててそれが新しい本っつーかまぁ中古でもとりあえず読んだことが無い本ってことになるとテンション上がるんだけどこういうのを維持してると結局まぁ通販中毒になりますよね。だからそういうコモディティ的な依存をしちゃいけない!と思いつつそれ無くすとエンタメ性ゼロな学術的な本ばっかりになるしってまぁそれでも楽しいしこんだけキリスト教続いてるんだったら恐らくもうそれは自分にとっての哲学とか数学と同じぐらいのもんだなって認めてもいいと思うんだけどでもまぁ毎日そればっかだと疲れるよねってまぁそれは先生にも言われるんだけどって前にも書いたけど難しい本を毎日読んでて体動かさないで日光にも当たらなかったら誰でも調子悪くなりますよってことなんだけどぶっちゃけもうそれ以外やることないよね。

 

なんかもう何やってもつまんないんだわ。ゲームも所詮は惰性だしまぁもちろんスカイリム的なビッグタイトルの新作とか例えばボダランの続編とか出たらそりゃやるけどサステイナブルなものじゃないよね。映画にしてもまぁ時間つぶしっつーと変だけどあんま調子よくないときに時間を過ごすために見るみたいな消極的な感じだしあとまぁあれですわ、心霊関係とかも無料有料限らず大体見たり聴いたりしてるよね。あらゆるものを一瞬で消化しちゃうから残るのは時間だけって贅沢なように見えるかもしれないけどその時間を最大のパフォーマンスを発揮して何かできてたらいいんだけど調子悪いことが多かったりすると人生クソゲー感半端じゃなくなるよね。

 

毎日同じからは出られないのはしょうがないしそんなもん誰でも同じだしそこでまぁ他に何かあるんじゃないか?って色々やってみるのもいいけど色々やってきた俺としてはまぁそんなのないですよねっていうある意味内面にしかないんだよね。だからまぁ文化的生活とか哲学的とか宗教的生活っていうまぁ内省的なものになるよね。あーでも書いててダメだわーって思うのがこれがいつも俺が危険だと思う隠遁思想じゃないですか?かといっても無理して洋服を買う必要はないんだけどでも行けば何か見つかるかたテンション高くなるしあとまぁたまに外出たらうまい店開拓するとかね、ただまぁそれも限界に来てるかなっていうところですよね。

 

ただまぁ金常に使い過ぎてヤバいっつっちゃーヤバいんだけどそれで保ててるものってのがあってそれって別に高いのを買うとかじゃないんだよね。かっこいい!とかいいな!と思ったものは絶対買う!っていう原理でいるととんでもない金がかかるってことなんだけどでもそれをゲッチューしてきたから他に似たようなのを買うとなるとこりゃかっこいいぜ!って思うのを超えなきゃいけないわけでそれを超えるものって滅多にないんだよね。それでも探し続けるっていうかまぁそりゃいいなと思うのは買うんだけど結局それって虚しさを物質的な快楽で誤魔化してるだけなんじゃないの?っつーところがあってあとまぁそれも続けるとその快楽にも慣れてくるんだよね。

 

これを馴化といっていいのか分からんけど去年もアホみたいに高いギター買ったりエフェクターもめっちゃ良いやつ買ったりアンプも100Wも含めて4台ぐらい買ったしってまぁ二つは安いやつでもう一個はジャズコだけど全然ギターやってねぇーしまぁギターやってないっていうのはアップした音源聴いてくれてるような酔狂な人ならお分かりのようにってまぁ分かるかはともかくいつも自分は成し遂げるのが早いんですよね。集中するときは凄まじい集中力でやるんだけどある程度それで満足できるようなのが録音できちゃうとだんだんつまんなくなってくるんだよね。

 

かといってもめちゃめちゃやってるだけだからつまんないんだろうと思ってまともな練習をしても結局調性音楽を演奏することに全く興味がないから続かないんだよね。かといってもエフェクター繋まくってギャンギャンやるのはやり過ぎて飽きてるしね。

 

ギターが簡単とは言わないどころかクソ難しいけど俺が上手くなったところで何も生まれないだろうなというのが分かるんだよね。結局ノイズ出してるのが一番性に合ってるし飾らない等身大の自分そのままが音になってるというそれだけのところがまぁそれなんだよなっていうもうそれだけなんだよね。最近昔の音源をサルベージしてあげてるけど20年前のやつとかもあるけど基本やっぱ変わらないんだよね。機材が充実しててもやりたいこととか出したい音ってのが変わってない。かっこつけてるんじゃなくてまぁそうなんだよなっていうそこなんだよね。

 

まぁただあれですよ、当時はっていうか20年前のノイズとかはサンズアンプのディストーションしかなかったしあとはまぁPCで加工するとかで今の機材の充実っぷりといったらないけど別に根本ノイズ出すわけだからノイズのディティールは今の方が細かいけどやりたいことはあんまり変わってないんだよね。だからなんか惰性という感じがするしだんだんつまらなくなってくるんだよね。同じのを作ってもしょうがないしそこでまぁすぐネタ切れになるんだけどね。

 

まぁそういう意味でキリスト教はヤバいですよね。例のお気に入りの上智大学中世思想研究所の修道院思想とかっていうかやっぱ修道院なのかよ!って感じだけど(笑)なんかその感じるところとかこれだな!って思うところが悉く隠遁的なんだよね。それで言うと保田師匠もまぁ隠遁詩人の系譜みたいな島流しにあった名前忘れたけどまぁそういう人の儚い感じの詩の美学とかさ、まぁデカダンスと言えばそれまでだけどそうじゃないんだよね。そんなに単純なもんじゃない。

 

ってことでまだ続いてるから続きは明日貼るわ。あと音源また色々アップしたんでよろしく。んじゃまた。