ウォール伝、ディープWebアンダーグラウンド。

わたしがウォール伝を書くのは地上に平和をもたらすためだ、 と思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために書いているのだ。

ほどほどに孤独。その13。

サクラメンタルのやつをRepostでまとめたら通ったんでっていうか最近の神学再ブームでまた神学モチーフの曲を作ろうか?とかって思ってたんだけど過去音源聞いてるとだいぶやり尽くしてるんでまだやってない感じで今やりたいっつーかこないだ思いついたモチーフっつーか雰囲気のやつがあってそれ今作ってるんで出来たらまたRepostで出すんでよろしく。

Sacred Works

Sacred Works

  • 発売日: 2021/02/19
  • メディア: MP3 ダウンロード
 

 っつーか一気にMOBAやらなくなって思ったけどやり尽くすってことが重要なんだよね。神学モチーフ曲もほぼやり尽くしてるからいいんであってそのやったっつーことがいいんだよね。やるなりアウトプットを出すってのがやっぱ一番だわ。

 

んでまぁあんま書くことないんだけどあれなんだよね、ジンメルの晩年の走り書き集みたいなやつで面白い一節があって色々と感じやすい人とか考えちゃう人は良い意味での鈍感さが必要で精神が鋭いままだと狂気に陥るか自死に至るかでロクなことにならないとかって書いててなるほどなとかって思ったんだけど俺が全然政治とか考えなくなったのもまぁこれだよなとかって思ったよね。

 

26世紀少年みたいなidiocracyがデフォだってのを思ってればなんとも思わないもんね。なんか一時期熱中してた政治哲学の理論とかがバカバカしくなるぐらい基礎がもうグラグラだよね。だからそれよりも実存なんだと思うんだよね。そういう意味でなんつーのかな、宗教的な契機って何も俺みたいに特定の宗派とかに帰依しなくても自分の存在意義とかを考えるってのがすでにもう宗教的契機なんだよね。

 

そこで別に何々教とかに入るとかじゃなくてその問い自体が宗教的なんだよね。何しろ客観的には意味なんてあるわけないわけで、でもそれが自明で問うってことはもうある意味宗教的なんだよね。もしくは存在意義なんてのを問わなくても意義が明らかだったりする場合は恵まれてるよね。思うに意義が分からないって状態ってまぁ言わば不幸なわけでさ、まぁ衣食住足りてる時点でいいじゃんって話だけど次のフェーズってあるじゃん?

 

んでそれがくだらない承認欲求とか見栄とかだったりしたらまぁそういうのに飲まれて無意味だって気が付くのもステップアップで色々と経て行きつく先がやっぱり存在意義だよね。逆に言えばバカなやつの場合、承認欲求とか「俺を見てくれ!」とか「かまってくれ!」っつー欲求とかナルシズムだけで終わるっつーかそれを老人になっても引きずったまま死んでいくやつがいるわけでそれはご愁傷様なんだけどまぁそれはそれでいいよね。

 

ただまぁ存在意義とかを問うことに気が付いた場合、もうそれは宗教だってことだね。でも別に宗教に答えがあるわけじゃないんだよね。ただ問い自体はもう宗教的なんだよね。ここがなんかすでにブルトマン的な実存的な契機としての宗教ってのが理屈じゃなく立証されてるっつーと変だけどそこで仮にキリスト教に感化されたり啓示を受けたらもうそれって実存的じゃん?家族がそうだったからとかって場合は別だけどそういう意味でまぁ哲学もそうよね。

 

っつってもまぁ存在意義とは何か?ってのを問うのが哲学なわけじゃなくて、ただまぁ問いとしてはあるんだけど一般的に哲学的って言われるんだけど実は宗教的なんだよね。それはまぁようは魂の問いじゃん?科学主義的に唯物論的に考えたら魂なんて無いわけで、かといっても唯物論とか客観主義になるとまぁそれも主観だけどニヒリズムと相対主義に陥るのは当然でこれはもう近代の宿命だよね。

 

でもそこで超人になるんだ!とかって言ってるニーチェはツァラトゥストラとかのモチーフがそもそも聖書でっつーかキリスト教勉強してるから余計にニーチェがキリスト教的に見えるっつーかキリスト教ネイティヴだからこそアンチで打ち立てたニーチェ哲学ってのは実は構造的に神学的っていうね。

 

ただまぁ宗教は長らくイデオロギーだったし弱者の傷のなめ合いとか逃げ道だったわけでそういう意味でマルクスが言うようにアヘンだったのは間違いないんだけど安っぽく言うとある種自己啓発的な宗教の本来の構造を使ったのがニーチェって気がするよね。それ以前の場合、スピノザとかもっと前だとエックハルトとか所謂、正統から見れば異端なものが本来のキリスト教的なものだったと思うんだけど、そういう意味で現代においても本質的にキリスト教的なものってデフォから見ると異端なんだよね。

 

だから別にキリスト教とかに属する必要もないわけで最近は神学をやってるとは思ってるけどなんかまぁ結局哲学だよなっていう今までやってきたことの地続きってのを改めて思うんだよね。例えば自分が哲学とかを読んできて決定的になってるテーゼっていうと大げさだけど得られた認識とかが宗教的な論理で覆されることは絶対無くてむしろそれは究極的な理の部分だからそれが崩れるものは宗教というよりただのオカルトだと思うんだよね。神秘主義的なものは別だけどねっていうかまぁこれも個人差がある実存的なものだよね。

 

例えばこれって臨死体験と似ててってなんかオカルトチックになっちゃうけど(笑)脳死状態でありえないものが見えたとか体験したってことだったらまぁそりゃ劇的に考えが変わらざるを得ないよね。それまでデフォだった常識がデフォじゃなかったんだってのが分かるわけだから。まぁそのくらいそれが変わるかはまぁ個人差があるんだろうけど宗教って別にあっちの世界っつー話ではないんだけどただ自分が経験できる範囲だったり神秘主義的だったりオカルト的なのを除いたもので知れる範囲のことだと形成されるコモンセンスみたいなのが静的なものになるよねっていうかある程度頭が回って色々と知ろうとするとそうなるよねっていうスタンダードがあるんだけどそこから踏み出す感じがあるよね。宗教には。

 

逆に地に足がついてるから変なスピめいたもんとか胡散臭いもんに急に目覚めることもないだろうなっていう究極的な帰依の先みたいなのも見えてきたりするんでそれに関する知とか認識を深めよう!ってことになるじゃん?それがまぁある種の中世とかの修道院っぽい生活なんだろうなって思うよね。内省的というか勉強してなんかやってやるぞ!っていうような野心ではなくてより認識を深めるっていう内面的なものだよね。

 

元々自分はそういう動機でしか物事が出来なかったけどそれは今も変わってないんで(笑)こないだまで実学的だ!って感動してたファッションデザインとかも全く考えなくなったね(笑)逆になんかそういう時になんだったか分からないけどまた神学に戻ってくるきっかけがあって戻ってきた結果、またディープなことになってるっていうね、ただまぁなんかこれはもう「あ、これが当たりなんだな」っていう実感しかないよね。

 

俺って人を見る目が無いし鈍い部分は鈍いんだけどただまぁなんかやってて「これだな」って思える正解だなとかさ、合ってるなってのって分かるじゃん?向いてないのって常に違和感あるからね。最近っていうかここ数年で言うと調性音楽的なものを頑張って弾こうとするギターとかね(笑)明らかに興味ないし向いてないんだけどやってみたい!ってのがあるんだけど体がついてこないんだよね。

 

だからそういうのをやるには努力が必要になるんだけど努力が必要になってる時点で向いてないなってのが分かるじゃん?逆に神学とか宗教学とかだと努力いらないからね。知りたい欲が凄いから頑張ろう!とかって思わなくてもそれが生活の中心になっちゃう。

 

まぁただ宗教学っつーと語弊があるかもね。社会学的な宗教社会学っつーのかな?そういうのも一応読んでるけど結構読むのが大変っていうか神学の特に思想的な部分とか核心の部分を突いたものとかに比べると読むのが面倒なんでやっぱりまぁ気が進むのを優先したほうがいいなっていうまぁこれは一種のセンサーですよね。

 

それでも旧約は興味無さ過ぎて努力しなきゃ勉強できなさそうだ・・・って思ったけど成立っていう観点から考えると一気に興味が湧いてきたしそっからまぁ自然と歴史にも興味が行くようになるよね。哲学ってぶっちゃけそこまでヨーロッパ史とかやらなくてもいいと思うんだけど宗教に関しては歴史と一体だからまぁ言い方同じになるけどセットなんだよね。その時代背景とか戦争によって変わったとかドミナントなイデオロギーがなんであったか?とかってのが自明じゃないと理解も浅いものになっちゃうよね。

 

っていうかまぁこんなところでいいかな。

 

ってことでまた続きあったら書くんでんじゃまた。