言葉よりも体験だなと。

最近テンガにドはまりしちゃって一日二回ぐらいやるときもあるぐらいで、なんか過去のネタとかもテンガでやるとどうなるんだろう?とかって意味で中学ぐらいのオナニー覚えたてぐらいのペースでやってますね。だからもうなんか色々と捗らないっつーか時間があっという間にオナニーで過ぎていく感じだね。

 

まぁでも面白いのが動きが女性器に入れたときのピストン運動だから俺的には倒錯したネタで抜きたくてもオーソドックスな出し入れをしてるやつのほうが息子が反応するっていう面白さがあるよね。これはまぁ生理学的なことなんだろうか?って思ったりね。まぁ映像と刺激のマッチ度が半端じゃないからね。それにしても逆になんで今までテンガを使ってこなかったのか謎なぐらいオナニーにおける損失をしていたなって感じだよね。まぁ逆にそれを損失と捉えずに楽しみが増えたってことにすればいいんだろうけどなんかオナニーだけで一日が過ぎていくって凄まじいよね。

 

相変わらず自分の性欲はすさまじいなって思うし抗うつ剤飲んでてこれだから飲んでなかったら絶倫だろうなって思うんだよね。一晩三回とか普通にできると思うんだよな。まぁそれはともかく書こうと思ってることがあるんだけどオナニーのし過ぎで時間が無くて最低読書に二時間は割きたいしテンガのせいで積読が増えちゃって読書時間が激減してるんで書く時間がないんだよね。マスをかく時間はいくらでもあるのかという話なんだが。

 

まぁそれはともかくだな、読書と言えば例のインド哲学の人の影響があって言葉の世界というのに急激に興味が失せてきてるんだよね。で、もっぱらの興味と言えばオナニーは別として直接体験とか神秘体験とかの宗教的なことからジャンル的にはオカルトであろう透視とか念力とかそういうのに興味があってっつーかこないだスプーン曲げ4時間ぐらいやってたらやっと曲がったんだよね。念はあるなって確信したね。何より一番硬いマジックのやり方とかで曲げられないやつだったからっつーかあれって曲げるというより柔らかくするっていう感じなんだよね。

 

んでまぁ最近やってる瞑想だ太極拳の気だ超能力系の本で得た知識なんかを総動員してやったら曲げれたんだけどいきなり曲がるというよりだんだん柔らかくなってぐにゃぐにゃになっていく感じだね。もちろん曲げなきゃいけないんで力は入れなくもないけどそもそも力を入れて曲げられるもんじゃないんであくまで柔らかくしたものを曲げていくっていう感じなんだよね。まぁいつかパキン!って折れるぐらいの念力を身につけたいなとか思いつつね。

 

あ、んでだから言葉の世界っつーか神学でもカントだヘーゲルだってのが出てくる西洋哲学系の神学の語り方とか系統が本当に興味無くなっちゃってもっぱら初期教父の文章とか神秘主義者の本とかあとまぁシャンカラみたいなのからヴィッパッサナー系の認識論とかあと禅とか仏教のがやたら多いっていうかマインド面でプラクティカルなのってモロにこういうのだからね。

 

キリスト教の霊性って仏教に比べると軽視されてるのかあとまぁマテリアリスティック過ぎるロゴセントリックな西洋のおかげで体験そのものみたいなのが東洋なんかと比べて低いものとされてきたっていうか、あくまで言葉で語りつくす!みたいな感じだったんだよね。

 

だからそういう系統にあるものが全く面白くなくてそんな言葉で神を定義できるわけでもなければ京都学派の禅関係のアンソロジーにも書いてあったけど禅僧の瞑想の状態を観測して脳がこうなってるとか体がどうなってるってのを分析したところで直接体験とは何の関係もないじゃん?

 

だから神だとか合一とかも言葉にならないもんで、まぁただ体験した後には言葉にできるんだろうけど体験してないうちに語ってもしょうがないか、あとはまぁ神学っつージャンルの中のおしゃべりになるなってのがあってどちらかというと読む必要が無かったり興味が無くなってしまったのが大量にあってそういうのをパラパラ読んでは実家の倉庫送りにしてますね。

 

まぁああいうのを読んでて退屈だって思えるのはすげーレベルが上がったってことだよね。でもそれは読んできたおかげで今の精神性とかへのベクトルがあるわけだから無駄だったわけじゃないんだよね。

 

ってことで今日はそんな感じで。

 

んじゃまた。