文学三昧な日々。その15。

文学関係は知れば知るほど泥沼やな。前にも書いたかもしれんけどこっちを放置し過ぎるのもアレなんで書くけどあれだよね、もうあれっすよ、500冊は読んだかもしんない。1ジャンルじゃなくて合計ね。ここ二か月ぐらいで。

 

そうするとあれじゃないですか、文芸の辿ってきた道と終焉っつーのが分かってくるよね。その理論的にっつーより肌で分かる感じね。で、どんな芸術でもそうなのかな。俺ってまぁざっくりと浅いけどモダンアートと音楽は詳しいと思うからまぁ音楽の歴史ってまぁ知ってるけど照らし合わせるとあれよね、似てるよねってさっきも書いたけど。

 

調性音楽がやりつくされてシェーンベルクだのさ、あと誰だっけ?まぁ調性音楽もやるけどあ、ウェーベルンとかか。ああいう音が出てくるのが必然っていうかさ、で、文芸ってもっと早いんだよねっつっても数十年ぐらいの差だけどベタな物語がある線形の小説ってのが陳腐化して新しい表現方法ってのが出てきてドストエフスキー的なバフチンが言うところのポリフォニー的なさ、まぁっつっても同時代の小説家って相変わらずって同時代じゃないけどモーリヤックとかは作者が神の視点にいるだとかまぁそういう話してんだけど、基本行き詰るかあとはなんだろうね、音楽っつったらクラシックしかなかったのがロックとかジャズが出てきたっつーのがまぁビートとかさ、近代小説よね。

 

まぁあとあれか、ジョイスみたいな超前衛で意味わかんないやつとかも20世紀初頭にあるから文学は早いんだよな。んでポストモダンよね。ポストモダンってまぁ時代精神だよね。先鋭的な人だったら古典から現代まであらゆるものを読みつくしててそれが自明になるからやらされつくしてるってのに自覚的にならざるを得ないんだけど、それで言うとヘーゲルとかの芸術の終焉とかの話もあるからまぁアレなんだけどね、いつの時代でも言われるんだけど、ただまぁポップアートとかっていかにも終わった後の芸術って感じじゃん?

 

芸術!っつーよりあれか、なんだろう、普通のフィールドレコーディングで録音した色んな人の会話を文字起こしして小説にしちゃうみたいなさ、まぁなんつーかポストモダン文学って言われるのはあれだな、ポップアートとかまぁアヴァンポップとかって言われてたみたいだけどその辺と繋がるんだよね。音楽の前衛はもっぱら現代音楽の分野でアカデミックで難解なのに対して文学はポップでポストモダンっていうね。

 

んでそっからケルアックとかバロウズとか初心者だからあんま名前出てこないけど(笑)あとまぁヌーヴォー・ロマンか。で、それ以降のポストパンク作家とかさ、バロウズのチルドレンとかさ、ピンチョンとかに影響を受けて書き始めた作家たちってのがいて、んでもなんか日本だとかなりマイナー文学なんだよね。邦訳とか出てなかったりあとまだ出版がそこまで景気悪くなかった時代だから出せたみたいなのがあってさ、面白いんだけど邦訳されてないのが圧倒的に増えてから今に至るみたいな感じか。

 

多分あれなんだよな、今のビッグネームの日本の作家さん達ってのは海外文学なんて意識しなくても当たり前のように海外のSFとかミステリとかいろんなのを読みつつ日本文学も読んできたって人たちで若くなればなるほど蛸壷化して海外小説と日本の小説に距離感があるっていうかさっつってもまぁ最前線で書き続けてる人は例外なくあらゆるものを読んでるんだけどね。

 

まぁんであれなんだわな、別に小説って方法論の話じゃないからさ、別に方法論がやらされ尽くしててもあんまり関係ないってところはありつつも基本的になんか海外とかって文学っつーと方法論の「おお!」ってのが求められるっていうか、「これは斬新だ!」みたいな期待があるみたいで、まぁそういうのがもうないよねっていうかやりようがないよねって話なんだよね。で、実験小説とかになると普段聞きようがない実験音楽とかと一緒で読みようがないっていう音楽と比べて読むことの身体的コストが高いから実験小説みたいなのは読まれないしっていうか文芸自体が読まれないってまぁ結構さ、文学離れなんてアメリカとかでも80年代ぐらいから言われてたらしいんだよね。

 

だからなんだろうな、普通のロック音楽とかダンスミュージックのトラック物を作るのが娯楽小説とかだとすると所謂、純文学みたいなのはやっぱ現代音楽っぽくなるんだけど映画とかのメディアがサブスクで見放題とか音楽然りなんだけどって前も書いたな。ようはまぁ空いた時間とか娯楽の時間をあえて純文学なんつーものに使いますか?ってのがまぁ休日の朝とかにってまぁ俺は自営業だから休日無いんだけど(笑)朝に景気いい音楽をかけるっつーんで不協和音だらけだったり意味不明な実験音楽を聴く人ってまぁ相当な好事家か実験音楽とか前衛音楽マニアなわけでさ、普通なんかまぁロックとかハウスとかそんなんでしょ。

 

あとまぁ買い物に行くとかさ、街をブラブラするとかさ、雨で外出れなかったりコロナで出れなくても映画見放題とかゲームとか動画とかいろいろあるからそこであえて小説に行くこと自体がマニアックなんだよね。エンタメ小説ですらも結構変なマニアックな文芸っていう世界っつー感じがあるよね。それでしかも純文学となるとさらに人口は少なくなって、んで海外の純文学になるともっと少なくなってっつーか売れないから邦訳が出なかったり、あとはまぁ英語で読む人ってのはさらに少ないだろうっていうね。

 

でもなんだろうな、ロックバンドってとりあえず組めばいいしダンスミュージックも消費されるだけでもとりあえずまぁ作る人はそりゃいるんだけどさ、文芸ってなるとすぐ作れちゃうEDMとかと違って時間かかるから作る人は音楽よりは少ないにしても書く人はいなくないけど基本まぁ売れないよね。相当面白くないと出版できない。

 

だから文芸ってマニアックよね。凄く。よくカラオケとかが流行ってた時期のさ、歌謡曲の消費の仕方が自分も流行りの歌を歌えるようになっておくっていう消費の仕方みたいなのがあったっつー話があるけど、文芸とかもなんたら賞っつってテレビで取り上げられるとそれが売れたりさ、あとまぁすげー昔の話だけど蟹工船とかがワープアとかの話に通じるものがある!ってメディアで言われると売れるみたいな、まぁでもそんなに大した小説じゃないし面白いもんじゃないしあとまぁ文庫で安いから買って放置って人も多いと思うけどまぁその辺で言うと又吉の本とかも象徴的だよね。

 

話題を買うっていう感じでなんであんだけ売れたのか?っていうと元々文芸なんて読まない人が話題を買ったってことで異例の売れ方をしたってことだよね。なんかやっぱ文芸の終わり具合ってやべーなって思うよね。最近毎日書いてるからさ、勝手に俺の中で「俺は作家だ!」って自意識で書いてるから(笑)意識が変わりつつあるんだよね。前は外野で「書いてみるかー」って意識だったのが結構真面目に書き始めるようになっちゃってて「文芸の表現とは・・・」みたいなのにシリアスに悩みだしてるんだよね。

 

で、それはいつも書くように文体とか文章が上手くなれば磨かれるもんじゃなくてセンスなんだよね。変な話、センスがあって面白い話のアイデアがあったらこのウォール伝文体で書いたところで面白いもんは面白いからそれでいいんだよね。文法とかもあったもんじゃないんだけどそういうのは関係ないっていうね。

 

文章とか構成とか技巧的なものの先鋭化ってのは楽器で言うところのギターとかの技術を磨けばよい演奏ができるようになるって信じるようなもんでさ、でもまぁセンスじゃん?音楽のセンスが壊滅的だとクソダサいフレーズを永遠と弾くだけっていうただ弾くスキルは上手いよねっていうのがようは技巧の部分でそれは文学も同じだよね。よく書けてるし人物描写とか情景描写も文句ないしボキャブラリーも豊富で言語の表現力が凄くある!でも話はつまらないよねとか凡庸だよねってことになるのはやっぱセンスなんだよな。

 

結局まぁそういうことなんだよなっていうと結構俺的には楽ではあるんだけどね。別に日本語が下手でも文章が下手でもセンスがあれば面白くなるんだったらセンスだけでやってきた俺なんかはアドバンテージだらけなんだけどさ、逆を言えば時間をかけて技巧を磨いていけばよいものが書けるに違いない!っていう幻想は無くなるから今何も出てこなかったら将来も何も出てこないんだよね。まぁインプットが増えることで出てくるものはあるかもしれないけど、でもそれは音楽のセンスと一緒でクソダサい音楽センスを持ってるやつが聴く音楽はクソダサいわけでそいつがそういうのを何万曲聴こうがそいつが奏でる音楽はダサいわけだよね。

 

センスがアプリオリなのかは分からんけど文芸ってのがここまで音楽的だとは思わなかったんだよね。あとはまぁ徹底的に方法論の表現方法ってのもあるじゃん?例えばケージ的にチャンオペで易でワードを決めて小説を作るとかさ、ランボーの詩を解体してごちゃごちゃに繋げるとかまぁこの辺のアルゴリズム生成的なものってのはAIが担うようになるから例えばこういう文脈があってここ情景入れたいなってことで情景を生成するってやると前後関係を解析した情景の文章が出てきてさ、んでまぁAIには今まで出版された世界各国の文芸のものが情景なら情景でダイアログならダイアログでデータベース化されててさ、んで最も適したものをそこからAIが選ぶってことになると例えば村上春樹風の小説は村上春樹エンジンを使ってAIに生成されればそれっぽいのが生成されるようになるっていうね。

 

ただSFとミステリのマッシュアップを村上春樹風にやりたいからっつーんでもそれをAIに指定すればそれが生成されるってのはなんかあれだわな、音楽ってまぁもうテンプレあるじゃん?あとは音色とかを選んでくださいっていうところがまぁセンスなんだけど、でもそれって前にも書いたけどAIができることって人間がやってたことがAIができるようになるっていうことなわけで、元々の創作自体がそんな感じなんだよね。

 

考えてるようで実際はAIならぬ自分の脳ってのが色々と読んできた中で「これだ!」ってのを選んで生成しているだけで自分から出てきたというよりかはインプットでシャッフルされたものが出てきてるだけっていうね、まぁAIが音楽作るとかってなると夢が無くなるのと一緒でさ、小説も基本的に緻密さは音楽より上だと思うけど、それでもまぁ時間の問題だよね。

 

ラッダイト運動をしていいのか?って話だけど(笑)そんなもん言い出したら凡庸なものに限って言えば絵画もそうだよね。あらゆる芸術はAIで生成可能になるよね。だから自ずと俺の世代なんかはそういうAIに置き換わるのを目の当たりにして便利になったなーと思う反面、こういうので食ってた人たちが食っていけなくなってるんだなーってのをリアルタイムで感じながら生きていくわけでさ、で、俺は健康オタクだからすんげー長生きすると思うんだよね。でもなんか常に表現してないとつまらなくて死にそうだって人間がどうやって何かしらの形で表現をし続けることができるのか?っていうとやっぱそこが凡庸じゃないAI的ではない人間的でファジーなものを追求するしかないんだよね。

 

それでもあれですよ、職業的でマイスターレベルの人たちが書く小説はAIがとんでもない精度にならない限りはそういう人たちは面白い小説を書き続けるからそれはそれでいいんだけど今から書き始めるっつー中でそういう人たちの一員になろうとしても昔よりもさらに席が少ないわけだからあんまやるのは賢くないよね。でもまぁなんだろうね、ファジーなもんも逆に人間がAIの乱用っていうかさ、AIを逆手にとって変なものを作るって可能じゃん?音楽でそういうのあるよね。変なのを生成させて整形して音楽として聴かせるとかね。

 

それがよく俺が言うめちゃめちゃってのも誰でもできるしAIでもできるようになる。バロウズマシンみたいなのができてカットアップも無造作なんじゃなくてバロウズ風のワードセンスで任意のカットアップしたい文章を選べばバロウズ風の小説ができるとかさ、まぁ今でも多分、可能だろうな。

 

だからなんか俺が書く必然性があるものって何だろうな?って思うと無いんだよね。必然性はないんだけど単純にやってこなかった小説を書くっていう作業が面白くてやってるだけでもっと先を見て必然性があるのか?っていうと多分ないんだよね。

 

でもそんなことを最初から考えたら何も書けないからとりあえず書くんだけどね。あとまぁアートフェチじゃないですか?俺。武術でも音楽でも技術ってのに凄いフェティシズムがある。例えばそれが定型でもミステリの描写とか情景のいろんなバリエーションをリファレンスなしでスラスラ書けるとかさ、AIで代替可能でもそれ自体を学ぶってのが面白かったりするからそれは趣味的な技巧を極めるみたいなところで成立はするんだけどね。

 

でもそれが何かになるのか?っていうと何かにならないっていう前提でやってないと無駄に悩むことになるからね。ポストモダンの後の何もない感じという前提をまず持つってすげー重要だよね。あとまぁAI問題ね。問題じゃないんだけどね。官能小説とかもすんげー読んでるっつーか性文化を研究してた時にそういうのはすげー読んでたけど官能小説ジェネレーターなんてのも一瞬でできるよね。あれも描写のデータベースだからね。あとまぁ性器をどう表現するか?っていうところもデータベース的で、まぁそれ言い出すと言語自体がアルゴリズム的でそれの組み合わせ論のバリエーションでしかないってことを言うといつも俺が言う音楽は既存の物のいろんな組み合わせのバリエーションでしかないって話と同じになるよね。

 

それは多分、表現されるもの全般がそうなんだと思うわ。あと分からん、アートの世界は分からんけど、例えば彫刻ってのは彫刻すること自体の技巧が必要だったのが今は3Dプリンターでなんとかなっちゃうから3Dプリンターでいかに面白いものを作るのか?っていうところになるとアウトプットの人的コストがすんげー下がるんだよね。

 

音楽はテンプレとDAWと放っておいても勝手にかっこよくなるようなソフトウェア音源とかでさ、まぁすんげー簡単に音楽作れるじゃん?良いものを作るってことになると別だけど並のものを作るのに大した労力は必要としないんだけどまぁでもそれはDAWを使いこなすっていう人的なコストが必要になるけど文章に関しては全くそれがないよねっていうかAIがもっとヤバくなったらの話なんだけどね。それこそ導入→展開→パラレルワールドでの話→可能世界での別の話→本筋の展開→すべてがクロスして展開するメインの部分→エンディングまでの流れ→帰結・・・みたいな構造だけを作っておけばあとはAIが生成するっていうね。んでまぁここは村上春樹文体でここは太宰っぽくてここはカミュっぽくてこの戦闘シーンは時代小説的な描写なんだけど武器とか設定は近未来のSF設定で・・・っていうパラメーターの問題でしかないんだよね。

 

でもまぁ脳でやってるのってこういうことですよね。AIがそうやるんじゃなくてAIってのは人工知能なわけだから人間が持ってる知能ってのはそういうプロセスをやってるんだよね。ただ凄く頭を使って自分でやってる気になるからそれを創造だと勘違いしちゃうんだけど全てはそういうバリエーションとかパラメーターの設定で生成されているものってことなんだよね。

 

今俺がやってるインプットってのもデータベースに情報を食わせてるようなもんでマトリックスな話になるとまぁそのうちチップ一枚でそれが頭に入るだとかさっつっても頭に入れるってそういうデータ的なことに還元できるほどシンプルなことじゃないんだけど、結局、心ですよね。こういう描写があるとかこういう話でしたっていうバリエーションを増やしてそれの組み換えを行うというより言葉にできない何かがあってそれに感動したり高揚するっていうことだよねってまぁそんなの芸術全般そうなんだけど。

 

そこはまぁもっと高度なAIの話になるから分からないや。AIが人間の心持つことができるのか?ってことなんだけどAIに人間の個性みたいなのができてさ、なおかつ悩むことができてあらゆるデータをチップで入力することができて出力されるものってのがなんなのか?ってことだよね。でもまぁ人間の成り立ちってのは記憶とか幼少期にこういうことがあってっつー経験だからっつってもまぁ経験チップってのもあるからな。まぁなんかその話は今はいいや(笑)

 

あとあれよ、小説っつーかもはや小説の体を成してないものなんだけど(笑)書いてて思うのはやっぱタイピングするってことのコストだよね。単純に時間がかかる。手書きなんてもっと時間がかかってたわけでそのコストってのもあるよね。もちろん今は音声をそのままGoogleのエンジンで文字おこしすることができるから喋ればいいんだけどさ、それでもまぁ結構な身体的コストだよね。そこがさっき書いた彫刻の大変さってことなんだよね。手彫りっていう技術もようは今は人間がやったほうがコストが安いだけでマシンのコストが下がったら職人的な手彫りの作業ってのもデータ化できるから、その職人固有のデザイン感覚ってのをインストールして手彫りさせれば人間の身体の限界を超えたすんげー速度でできるわけじゃん?手作業というコストが無くなるってことだよね。

 

文字関係はやっぱタイピングっつーコストが凄いよね。何万時ってのを決められた文字を写そうとするだけでも結構時間がかかる。でもこういう人間の身体に由来するリミットみたいなのがなくなったときに何でも楽に作れるようになったときにその作られたものの価値ってどうなるのか?ってことだよね。

 

よくこんな長い話を何十年もかけて書いたな。凄い!っていうのもそれが書かれた当時と今における認識じゃん?でもそれが秒で書ける時代になったら「昔の人はこれを手作業でやってたんだよな」っていうまぁ今でもそこそこ大変だろうけどピラミッドとかまだ謎が多いモアイとかをどうやって建設したんだ?っていうlaborの凄さに圧倒されるってことになるんだけどまぁ相対的じゃないですか?それこそデジストラクトみたいなのが可能になったら場所の問題はあるけど例えばギザのピラミッドと全く同じ構造と素材のものを任意の大きさで写像して現物化できますなんてことが可能になるわけじゃん?

 

こうなるとlaborに圧倒される感じってのが無くなるっつーかまぁ過去のものになるんだよねっつーかまぁ昔の人は凄いなってのはいろんなものであるんだけどね。ケージのハープシコードの作品なんかもコンピューターを使うのに一時間何万ってかかってた時代にプログラミングしたのか生成したのか分からんけどケージがどっかの大学に通い詰めてハープシコードの譜面を機械で生成し続けたって今はそれってDAWとかReaktorで一瞬でできるんだけど当時やってたってすげーなっていうこれもlaborの凄さ加減だよね。

 

だから今はまだなんつーかタイピングの凄さとかさ、こんな長い物語をよく考えて書いたよなっていうlaborの余地があるんだけど大局的に見るとAI生成できちゃうとまぁ過去のものになるっていうかむしろ何かを作る上で認識的には近未来にいなきゃいけないんだよね。あたかもそういう超進化したAIがあるかの如く考えて制作しなきゃいけない。

 

そうするとまぁ潰せるでしょ。これやっても意味ないなとかAI的な仕事だなとかさ、俺がト書き的な描写を嫌うのもそれなんだけどね。あんなのいらないじゃん(笑)あんなのに時間をかけるぐらいだったらもっと考えたり伸ばしたりできることってあるわけだしっつってもまぁ練習はしてますけどね。ただあんなのミニマムでいいんだよね。

 

だからなんかさ、ギャディスがどういう経緯で喋りだけの小説を書こうと思ったのかは分からないっつーか研究本を読むほどの余地が無くて、今は色んな古今東西の文学を読むのに必死だから一人の作家の研究本とかを読んでる暇がないってのはあるんだけど、究極的にはああいうところになるよなって思うところがあるんだけどさ、そうなるとなんかあれじゃない?どうでもいい日常会話とかってもう小説なんだよね。

 

会話だから小説だって感じないだけで文字起こしすると結構異様な感じがあるよね。なんかあと言ってる意味わかんないっつーか頭がおかしい人が喋ってるように思えたりするんだけど逆に口頭で小説みたいにarticulateされた言葉でしゃべると書き言葉で喋る人間みたいな感じで異様さがあるんだよね。まぁこの辺なんかも散々文芸とかフーコーだのバルトだのクリスティヴァだのがパロールとエクリチュールだのなんだのっつってまぁ研究されてる文芸の分野なんだろうけどさ、だからいつの時代も小説は可能か?っていう命題が小説家にとってすごく需要な位置を占めることになるんだよね。

 

それはAIの脅威が無かったとかまだやられていないことがあったからよかったとかって話じゃなくて近代は常にそれがある感じがするよね。ただ現代においてはよりどん詰まりな感じがするんだけどね。

 

でもここで結局、突き詰めていくと固有のセンスってことになるからさ、俺が今書いてるやつも最初から普通の小説ではないんだけどありがちでクソつまらないところをガンガン削除していって今のレベルでやれる固有のセンスを突き詰めていくと俺が「うん。ここ面白い」「ここもいい感じだわ」ってのが残っていくんだけど、他者との共有がどんどん不可能になっていくんだよね(笑)結局個人の感覚を突き詰めるってそういうことでしょ。

 

村上春樹が日本初の最初の世界文学だっつーのも最大公約数的だからだよね。共有可能な悪く言えば代替可能な空虚なものばっかりだから個々が勝手にその鋳型に自分の経験とか感覚を入れて物語を感じることができる器なんであってさ、だからあの空っぽさがいいわけでしょ。あとはまぁエンタメになると誰もが楽しい!って思えるような共有可能な感覚のシェアだよね。

 

でも固有の感覚を突き詰めていくとどんどんそういうのが無くなっていくからはたから見ると自己満足で意味不明な文章を書いているっていうことになるんだけど、でも実はそれは凄く文字の表現ということを自分なりに真摯に突き詰めた結果なんであってさ、自己満足で自己陶酔してるわけではないんだけどね。でもまぁ結局、それは意味不明だったりするし広く共有可能なものじゃないから読まれないというね(笑)

 

ただなんか俺がやるギターと同じなんだよね。定型のありふれたロックのフレーズを運指の練習としてやるのはいいんだけど既存の物をなぞるということに何の感動も覚えないからやりたいようにやるのが一番でだからまぁ結局ノイズになるんだよね。で、結構自分でも満足してたりするんだけど当然共有可能じゃないしお前のギターなんて誰も聴きたくないよっていう当然の話がある。ましてやアマチュアが何億って曲をアップロードしてる世界の中で誰が俺のノイズギターを聴くんだ?って話でしょ(笑)

 

なんか結局、俺の小説もそういう感じなんだなって思ったのね。共有可能性ってのは不毛な世界でAIにとって変わられるのと超一流のストーリーテラーが世界中にいてそういう人たちが書いてるからそういうところを追求しても意味ないし、どの道、誰にも読まれないんだったら自分の感覚を追求していった方がいいよね。っつーかまぁあれだよね、読まれる読まれないってのは出来上がったものがあってそれをどう流通させるか?っていう経済とか社会の話だからそれは別枠でさ、作る前から「他者に伝わるかどうか」ってのを考えるのが俺的に不毛ってことだしそんなのを俺がやってもクソつまらないものが出来上がるのが目に見えてるのでやらないってことだよね。

 

だから俺が満足するものが書ければ良くて、んで多少なりとも共感してくれる人がいれば御の字って世界だわな。かっこいい言い方しちゃうと承認欲求と芸術って関係ないからね。まぁ俺のものが芸術なんて呼べるほど崇高なものではないんだけど(笑)承認欲求って必要なジャンルもあるんだけどね、漫才みたいにお客さんを笑わせてナンボの世界とかまぁ承認欲求とは違うかもしれないけどオーディエンスありきのものってのもあるからそれは否定しないんだけど、自己を突き詰めるものに承認欲求をブレンドすると硫化水素が発生しますよってことだよね。んでまぁ作家とか作曲家って「なぜ理解されないのだ!」なんつって自殺しちゃうんだけど、あれは概念エラーなんだよね。

 

優れた作品を作れてても人間的だったり創作における人間の精神っていうところが成熟してないとそういうところに悩むことになっちゃう。でも重要なのは作り続けることじゃないですか?むしろ悩むべきはアイデアが何にもないしWordを前にしてもto doが何にもねー!ってところにあるわけでさ、ただ過渡期の俺とかの場合、あれもやるこれもやるっていうただ技術が追い付いてないだけで習得してやってみてそれを自分の小説に組み込んでいくっていうto doだらけだから楽しいんだよね。

 

ただロングタームで見ると俺のことだから習得は早いしあとまぁ作家とかの缶詰状態ってあるじゃん?ホテルとか旅館に原稿とかワープロとかを持ち込んで永遠と原稿を進めるしかないように強制的に自分を監禁させるっていうさ、ただ今の俺って毎日それだからね(笑)それはまずdistructされるものが無いってことだよね。ついSNSを見てしまう。アマゾンで必要ないものをポチってしまう。ついついゲームをやってしまう。映画とかお笑い番組を見てしまう、っつーのが無いんだよね。別にゲームとか映画とかお笑いがつまらないという意味ではなくて全然見ようと思わないからっつーか見ることもあるけど慢性的に俺はやりつくして退屈病になってるわけじゃん?で、唯一やってて楽しいのが小説を書くことと小説を頭にインプットしたりパスティーシュしてみたりっていうことなわけじゃん?

 

だからそりゃ習得も読むペースもそりゃ早いわけですよ。あと元々学問の専門書を読んでる生活をずーっとしてるからデフォで活字読むのが早くてさ、んで最近小説を浴びるように読んでて小説を読むのも早くなってるからインプットも早いんだよね。だからそういう作業って多分すぐ終わるんだよね。問題はその先なんだよな。考えてもしょうがないんだけどそっから何が出てくるのか?ってことだよね。音楽みたいにやりつくしてもうネタがないとかさ、やってもいいんだけど俺がやる必然性がないとかさ、そっちのほうが怖いからだから今みたいな状態が永遠に続いたら楽しいだろうなーって思うから、それを一番願ってるよね。

 

書き続けて毎日缶詰状態でもうそれで凄く日々が充実しているっていうのが続けば退屈病から逃れられるっていうかさ、だってもうかれこれ二か月半やってるからね。んで飽きてないし詰まってないから続けられるんじゃない?っていう確信がある。生みの苦しみみたいなのが皆無でやりたいことだらけで全く作業が追い付いてないという状態が永遠と続いてるから楽しくてしょうがない。これを持続させるのはどうしたらいいのか?って感じだよね。多分それは読み続けて書き続けることなんだと思うんだけど間があったらその間絶対つまらないじゃん?もう他にやりたいことないからね。

 

っつってもずーっと書いてるんじゃなくてあれよ、あのあれ、某先生が言ってた各ジャンル最低1000冊は読んでコアとなる20冊を探すってのは大プロジェクトですよ。それを書きながら並行してやるとまぁ時間はあっという間だよね。まぁ音楽を考えればね、中二からやってたからずーっとやってたわけじゃないにせよ断続的に最近までやってたわけだから何十年やってたってことになるわけよ。そこでネタが尽きるのはしょうがないかなって思うわけよ。んでさ、今はインプットとかが早くなってあと情報を入れるのも早くなるから必要なのが手元に揃うのが早いじゃん?そういう効率化があるからすさまじいスピードで作業を進められるってのはあるんだけど、それでもまぁ俺がやってきた音楽並に何十年ってそれをやれれば楽しいだろうなっつーかその間は生き生きしてられるだろうなって思うんだよね。何かがあるって最高なんですよ。

 

起きたら「さぁ続きを書くか」とかさ、「あれ読むか」とか「またアマゾンから膨大な本が届いてるから読むか」っていうそのあれよね、好み関係なく色々と名前はよく見かける先生方の作品を読んでみるとかってのもまぁ楽しみになるわけじゃん?あれじゃんね、ゲーマーならさ、エルデンリングやってる生活って楽しいよね。あそこまで進んでてあの武器鍛える必要があるからマラソンするか、とかさ、寝起きにすでにやりたいことがあるっていうね、んで熱中できるっていう。

 

でもゲームは終わりがあるよね。あとまぁ俺っていつも書くけどゲームでも一通りやってるから泥沼になりそうなネトゲーとかももう飽きてるんだよね。構造がこうなっててエンドコンテンツがこんな感じで・・・って分かるともう冷めるっていうかさ、あとまぁ消費って基本空しいからね。それが終わるとロスしか残らないから。

 

でも今みたいにスキルが上がるとか何かを作るって何かが残るしそれまでやってきたことをベースにしてまたさらにステップアップしたものをできたりするじゃん?自己生成コンテンツよね。コンテンツを待つんじゃなくて作る。っつってもコンテンツを作るんじゃなくてハマるというコンテンツを自分で作るんだよね。で、徹底的にハマる。おそらくこれ以上の幸福はないと思うね。結構こんだけ生きてくるとさ、早死にする人とかだと結構あと数十年で死んだりする人もいるって思うとさ、別に焦るってことではないんだけど、退屈だなーって思ってる時間がもったいないんだよね。

 

まぁそういう時間を経て今になってるしやりつくしてきたからクソ時間がかかるようなことにも取り組めるようになったっていうのがあって退屈だった時間は決して無駄ではないんだけどさ、ただなんかやり続けてたいんだよね。だからやっぱあれっすよ、ここ数年だと弓道があったじゃん?あれもまぁ生活が全部弓道になってたからな。読むのも弓道関係の本でフォームの練習と筋トレとさ、んでその後がなんだったか忘れたけどアシッドですよね。毎月何百枚っつーレコードとそれプラスbeatportとかでも死ぬほどトラック買って聞きまくってそれでDJもやったりサンプリングしまくって曲作ったりってまぁこの熱狂はあれですよね、帰国後に二年間ぐらい毎日マッシュアップ作ってたのと同じ感じだよね。ンであの頃は並行して数学もやってたから色々大変だったけど充実してたんだよね。

 

んでまぁその後はキリスト教開眼で神学に没頭じゃないですか?でもまぁ神学ってことでもねーんだよなってことが分かってちょっと落ち着いちゃって、ただまぁキリスト教モチーフの曲っつーかほぼただのドローンだけど(笑)そういうのに没頭してるって時期がやっぱ幸せじゃないですか。んでそれもやりつくして今は小説になってるんだけど飽きっぽい俺が飽きないか心配だわ(笑)

 

でもまぁ例の師匠が言うには飽きっぽいなんて思わないで今みたいに全身全霊で目の前のことに取り組むってことが俺にとって最善なんだって。だから飽きっぽいとか思わないで気が済むまでやるのがいいってことで師匠に感謝なんですよね。

 

これでほぼ13000字か(笑)やっぱ小説家ってすげーよな。モノローグならいくらでも書けるけど、ストーリー考えてフィクションの世界で何十万字書くんだもんな。ちなみに今の俺の小説はモノローグが永遠と続くわけじゃなくて(笑)一応小説にはなってるけど50万字近くにはなりましたね。目標130万字なんで3分の1達成だけど、素人が思いつくようなもんは大体書いたから、ここからが結構大変だよね。

 

まぁまだまだやることがあるからそれで30万字ぐらいは埋まるとしても80万字ぐらいまで割と今みたいな感じで簡単にいけたらどんどん目標を高くして200万字ぐらいにするといいかもね。そうなると分量的に戦争と平和ぐらいになるからな。タイムリーだね。戦争と平和って。あとあれね、何万字書くみたいなのを目標にすると字を書くことが目的化しちゃうから、あくまでいろんな要素とか思い付きを入れていった結果、話が膨れがあっているっていうことがあくまで目標ね。字数を増やすっつーのは最悪だし、一瞬でも字数を増やそうとして無駄に書いた部分はガンガン削除してまぁ検閲対象なわけですよ(笑)だからまぁ仮にあとまた何十万字書いても俺の中の検閲官が厳しい削除要請をするから結構また分量が減るからまぁそれなりに時間はかかりそうですね。

 

ただホント、下手糞だよね。書き始めの頃のやつって(笑)もうほとんど残ってないんだよね。でも多分また数か月書いてたら今書いてるやつがすげー下手糞ってことになって検閲対象になるからどんどんトランスフォームしていって永遠に終わることがなさそうだな。そうなると時間がかかりにかかりまくって俺としては最高なんだけどね。削除もまた書くって行為と同じだからね。それだけrefinedされるってことなのでっつっても衝動で書いたような勢いが残ってるやつは残してるんだけどね。上手く書くことが目的ではないので。

 

毎日書いてるとタイピング早くなるからウォール伝も長くなるな(笑)元々早いんだけど最近どんどんまた早くなった気がするわ。

 

ってことでんじゃまた。