哲学を学ぶことと哲学をやることの違い。

mimisemi2010-10-12

いやー書くことが無いね。あっちにいたころはコンフリクトも含めた学校の生活とか不満とかさ、そういうのでガーッと色々書いてたっつーのがまぁ多かったね。まさしく日記ってことなんだが。まぁそれはいいや。で、今日書きたいことはね、哲学を勉強するってことと哲学をやることの違いなんだけどさ、まぁ前にも書いたとは思うんだけどね、すんげー簡単に書くとアレだよね、つまりは哲学を勉強するってのは例えばカント哲学を勉強するとか、ヘーゲル哲学を勉強するとかっていう、つまりは大きな意味での哲学史みたいなもんだわな。学科としての哲学っつーかなんつーか。


で、それに対して哲学をやるってのは自分で哲学をやるってことだよね。ようは何らかの考え方のパライダムとかアイデアとかをくれるってのが例えば哲学書だったりするのかもしれないけど、んでもあくまでそれは自分が思考するっていうものの材料でしかないんだよね。んでも本当の哲学をやるってさ、例えば実存論とかにしても、それこそ実存主義とかさ、そんなのやってるだけじゃ分からないじゃん?まぁそういうジャンルっつーか学派だよね。実存主義になるわけだよね。だから。


そういうのにヒントを得つつ、自分で実存を考えるとかさ、人生って何なんだろう?とかさ、まぁ漠然としたね、虚しさについてとかね、そういうのをあらゆる角度から観察して思考するってのが哲学だと思うんだよね。だからそれにはなんつーかさ、虚しさって意味で脳科学とかクロスしてくるじゃん?あとは認知科学とかさ、まぁようは俺が言いたいのは哲学を本当にやりたければそれこそ色んなジャンルを勉強しないとできないってことだよね。哲学科とかでやる哲学の授業ってのは哲学の勉強なんであってさ、自分で哲学やるのとは違うわけだよね。自分で哲学やるってのは自分で考えるってことだからね。


で、これは正直言ってまぁなんつーか別に大学とか関係無い話なんだよね。まぁ大学で哲学を学んで哲学をやれるだけの下地を作るって意味ではいいのかもしれないけど、哲学勉強だけやってても哲学はできないわけで。恐らくアカデミアとかで書かれる哲学系の研究とかってまぁなんつーかリサーチ結果だよね。分析結果っつーかなんつーか、まぁそれ自体は哲学ではなくて哲学研究なんだよね。かといって別に哲学研究が悪いとか哲学をやるということに比べれば劣るということではないんだけどね。


で、数学の場合どうか?っていうとさ、俺のまぁ臆見なんだけどもね、数学をやるために数学の勉強をするって感じなんだよね。つまりは数学をやるために数学の勉強が必要になるってことね。それは理論をマスターするとかね、自家薬籠中のものにするとかさ、そういう数学的ツールとか数学力みたいなのをつけたところでようやく自分の数学ってのができるようになるわけで、数学の場合は結局、最終的には数学を自分でやるということに帰結するわけじゃん?


まぁPhdとかまでいったらそうだよね?数学を勉強するってのは理論を勉強することで、数学をやるってのは自分で数学を作り出すことだよね。哲学科の生徒はむしろ哲学学者みたいなのになるのが恐らくは多いのに対してっつーかなれる人が多いかは別として、ようは哲学者になるっつーよりかは学者になる場合が多いってことだよね。ようは自分で哲学やってる人なんて雇用されないだろうからね。でも数学の場合、数学でやっていくなら数学者になるしかないわけでってまぁ職業はこれだけじゃないにしても、Phdまで行くなら数学を作らなきゃいけないってことなわけでなんつーか敷居高いよねっていう。


でも最終的に自分の数学ができるようになるって凄い夢があるよね。なんかやり甲斐がありそうだなっていうかなんていうかんでもまぁ才能云々の話が出てくるからアレなんだけどさ、まぁとりあえず今はそれはいいか。その前に能力不足で挫折ってのが多いってのがまぁ一般的な数学事情なわけで、それはオミットできない事実だよね。でもまぁ仮にね、できたとすれば素晴らしいことになるよなぁーとは思うんだけどね。


ということでした。



最近これ読んでるんだけどすげー面白いんだよね。数学だけというよりかは数理哲学向きっていうかさ、いや、扱っているのは数学なんだけど、数学に対する見方が数理哲学的ってことね。さらにいいのが著者の主観で数学がまとめられてるっていうその主観性にこの書籍の作家性があるんだよね。数学的事実とか歴史を羅列しているだけだったら、まぁウィキペディアのコピペっつーかまぁウィキペディアよりは学術的に頼れるウィキペディアみたいなやつのコピペみたいな感じになるからね。でもこれは色々なところで著者の主観なりオピニオンが入ってたりして凄くいいんだよね。そう。こういうのってただの事実の羅列じゃつまらない。まぁようはただの教科書的なのはつまらないってことだよね。そこがようはなんつーか著者の数理哲学観っていうのかな?そういうのが出てる本だから面白いっていうね、まぁそういうことね。