純化されたリアルと究極的な強度。

人は自分が住む場所を決めていくっつー中でAugumented Realityを生きる人もいればヴァーチャルに生きる人もいればっつーかなんかさ、いや、今まぁ俺ってある意味スポーツやってるって言えると思うんだけどそこでまぁ俺は別に参加しないけどサークル的なこととかさ、同門会的なこととかってまぁあれってようはゲームで置き換えるとフレだよね。

 

もちろん関係性はヴァーチャルではないけどただまぁ別に飲みに行くとか人生相談をするとかじゃなくてその一定のテニスなりアーチェリーなりなんなりっていう共通の趣味を囲むサークルっていうことだよね。んでもそれでもはやさ、スポーツが現実かリアルか?なんて全く問題にならないよねっつーのがなんかアーチェリー的なことができるゲーム無いか?って探してるとVRのゲームが腐るほど出てくるのね。インターフェイスとの相性がいいのもあるんだろうけどまぁでも別にヴァーチャルのものとリアルなものは別だけどさ、でも例えばさ、アーチェリー場に行ってるといつもの心の葛藤の原因になる(笑)これでもか!というぐらい完璧なリア充カップルが「やったー!あー右に外れたー!」とかってやってるんだけどあれってカジュアルスポーツとしてのアーチェリーを媒介にしてデートしてるってことなんだよね。

 

ようはそれが関係性の媒介になっててそのアクティビティを通してコミュニケーションが生まれたりするわけでまぁ一緒に映画見に行くとかディズニーランドに行くとかってのと同じだよね。俺はほとんどこういう経験が無いからなんとも言えないんだけどただまぁ一緒に体験するってそういうことだよね。例えばそこにおいてはヴァーチャルもリアルも関係ないよね。

 

VRゲームをオンラインでやりながらチャットで話すとかってのもまぁようはVRゲームを媒介とした会話だよね。なんでそこで会話するのか?ってのがアスペルガーな俺にはさっぱり分からないところなんだけど(笑)まぁ対象化して考えるとただの電話ってのはようは要件を話すだけとか何かを伝えるだけだったりするっつってもまぁ長電話する人もいるだろうけどさ、んでもまぁなんつーの?be togetherって英語にするとオントロジー的に明白で一緒というところにbeという動詞が加わるんだけど日本語にそれって無いじゃん?無くはないか。ただbe自体が動詞になるってところが凄くオントロジカルだよね。そこでtogetherということがbeによってアクティベートされてそこでの関係性とかコミュニケーションが生まれるんだよね。まぁ一緒に食事するとかってのもそうだよね。

 

こんな歳になって色々分かることがあるんだけどまぁ俺みたいなアスペタイプってのは食事だったら食事が目的なわけで食べながら喋る必要ないとかって考えるんだよね。まぁそうじゃないんだってのを学んで普通にするっていうことを覚えたりもするんだけどそういうのを一切やってこなかった俺みたいなのだと本当にこういうアクティビティ関係のことで混乱するよねっつっても実際はそこまで混乱してないんだけど例えばまぁすんげー真剣に没入してアーチェリーをやってる身としてはカジュアルに和気あいあいとやるってどういうモチベーションなの?っていうことになるんだけどそれってあれだよね、ゲームにおけるガチ勢とエンジョイ勢みたいなもんでさ、エンジョイ勢はアクティビティも楽しむけどそこで出てくるチャットとかコミュニケーションとかも楽しむわけよね。まぁゲームかコミュニケーションかのどちらかに比重が行くかはともかく人となんかやるっていうことの媒介だったりするよね。

 

ただそこで根本的に一人でやりたいのと没入したいようなタイプの俺みたいな性格だと結局、PUBGで英語を話そう!っつーのもあんまやってないってのがそんなに別にコミュニケーションを求めてないんだよね。まぁPUBG自体に飽きたってのもあるけどまぁオンラインゲームで英語をやり直す!ってのはまぁ一応コンセプトとしてはあるけどさ、結局、俺みたいなタイプは完全にアクティビティ型なんだよね。それを誰かとやるというよりかはそれを究めるとか研究するっていうところにフォーカスが行くんだよね。かといってもまぁ別にカジュアルにもやれたりもするっていうそこそこの器用さは持ち合わせているとは思うけどね。

 

なんつーのかな、関係がリアルであればアクティビティがヴァーチャルかリアルか?なんて関係ないよね。まぁそれでもリアルのほうがそりゃ目の前に自分の恋人なりなんなりがいるし直に会話するし外に出て外界という生活圏を共有するっていうことだとか色んな共有するところがあってんでもその一方でふーっっつって一息ついてるときにスマホいじってLineとかやってたりするわけじゃん?俺はまぁそれやられたらすげームカつくけどね(笑)そんなにコミュニケーション自体を真面目に考えてる人がそんなにいないってのを知ったのは20代後半ぐらいになってからで相当遅かったんだけどさ、あ、まぁ俺の話はいいか。まぁLineですよね。アーチェリー場に恋人と来ているのにLineをやるってのはどういうことか?ってことだよね。あ、別にそういう人がいたってことじゃなくてまぁいるだろうなということは想定できるっていうところだよね。

 

んでもそれは別に例えば「今彼女とアーチェリー場でアーチェリーやってんだよね」的なことを友達に言うっつーか友達からLineが来ててそういう風に返しただけかもしれないし不倫相手かもしれないし(笑)かといっても別にLineはヴァーチャルでもなんでもないよね。別に電話とかのテキスト版みたいなものなわけじゃん?んでもまぁそれはネットを通じて知り合ったまだ会ったことが無い人かもしれないんだけどんでも自分の経験からいってもそこってリアルだから強いとか相手と会ったことがないから弱いっていうことでもなくてそれこそリアルで向き合ったらこんなことまで話さないだろうなっていうことを一回も会ったことが無い人と話せたりするってこともあるよね。

 

っつーかネットが普及する前って知識人とかがアノニマスな知識の集合体が生まれる的な幻想を持ってたりしたけどっつーか俺も持ってたけど(笑)実際に普及した後ってのはようはリアルからネットの世界に来る人が多くなったから普及したんであってネットがリアル化したっつーかリアルの媒介になったんだよね。ネット初期のミステリアスなリアルかヴァーチャルか?みたいなのはないよね。

 

まぁそういう使い方をしてる人もいるかもしれないけどね。だからまぁ今だにツイッターとかがヴァーチャルの世界だなんていう人はいないでしょう。んでもある意味ヴァーチャルだよねあれ。そういうことを言うことでそう見せるっていうキャラづくりだったりSNS関係の写真とかにしても何かを誇示するためだったりそれでリア充承認されるとかリア充アピールできて楽しい!つーまぁそれでいいね!がつくこと自体が麻薬と同じような効果があるとかって何かで見たけどそうなってくるとメインが何なのか?ってことになるよね。

 

いつの間にかSNSで自分をアピールするために色々やってるだけになってるとかさ、まぁこれはよく言うけど女は男をアクセサリーぐらいにしか思ってないとかって言う話なんかもまぁそうだよね。どっかのブランドもののアクセサリーなり洋服を着てアピールするのと同じだよね。だからまぁ仮にそんなアピールのされ方をしてたらすげー嫌だなって思うよねっつーかそもそもそんな女と付き合うわけないんでありえないんだけど(笑)

 

まぁんでもただ嬉しくてアップしちゃっただけで恋愛に対して真面目ならそれでいいとは思うんだけどただなんか言ってることが相変わらずごちゃごちゃになってるけどようは色々と錯綜すると何が実体なのかが分からなくなってくるよね。

 

なんなんだ?SNSでいいね!を増やすためのデートなのか?とかファッションなのか?とかさ、まぁそれはネガティブな感じだけど主軸がどこにあるかが分からないって意味で最初に書いたアーチェリーの話も同じだよね。デートのためのアーチェリーなんであってアーチェリーそのものに主軸は無いっていうようなね、そこで自分みたいな人間の場合、対象そのものが主軸になるのがデフォだから極める以外ありえないんだよね。っつってもまぁボーリングとか行けば別にボーリングを究めようとは思わないだろうけどんでもなんつーかそのアクティビティ自体が本当に分からないっつーかだから何をやればいいのか分からないってことになるんだろうね。

 

そんな中でまぁ好きになったものは何も考える余地もなくひたすらやりたい!って思うんでそこは強みだけどさ、ただなんつーかカジュアル感が無いよねっていうか多分まぁ普通大体カジュアルなもんだからそんなことを深く考えなくても普通に今度こういうのあるんだけどやってみない?とか行ってみない?とかさ、あとまぁ七夕とかあるとお祭りに行く人とか見かけるけどあれも別に祭りを楽しむっつーよりかはアクティビティの媒介だよね。友達と行くにせよ恋人と行くにせよそこでコミュニケーションが生まれるとか普段とは違う感じがあるっていうところがポイントなわけじゃん?

 

あとはああいうのは物語だよね。俺みたいなタイプはあんなのやくざまがいの的屋が祭りの場を利用して金を巻き上げようとしてるだけみたいなさ(笑)まぁレゴランドみたいなもんですよね(笑)別にこれといったコンテンツも無くただ人が群がってたりするだけで売られてるものはぼったくりばっかでこんだけ金と労力使うならレストランでちょっと良いものを食べようよってことになるんだけどそこで仮にお祭り行きたい!っていう彼女がいたとしてその彼女にそんなこと言ったらまぁ最低の彼氏ですよね(笑)

 

まぁんでも物語って書いたのは映画なりラノベなりアニメなりでまぁお祭りってモチーフじゃないですか?何かまぁ出来事が起きたり風物詩的なもんだったりするよね。日本の伝統という意味では当然そりゃ否定しないけどね。まぁ的屋が儲けるだけの空虚な祭りだけじゃなくて本格的な祭りはまた全然違う意味合いがあるから別に祭りの全否定ではないんですけどね。

 

ただまぁそこでオンラインゲームとかでもお祭りあるじゃん?カウントダウンとかもオンラインゲーム上でやったりとかさ、まぁでも意味合いは一緒だよね。まぁ一人で祭りに行ったりカウントダウンには行かないだろうっていうところでオンラインでやるとルーザー感が半端じゃないわけだけど(笑)んでもなんか行事として成り立つんだよね。だからもうそれは一体それ自体が何なのかがさっぱり分からないよね。ヴァーチャル花火大会っつってもオンラインゲームでも人が集まるわけじゃん?もちろんリアルの花火のほうがいいとは思うけどようはその花火を誰と見るか?っていうことだよね。だから別に花火っつーのがリアルだろうがヴァーチャルだろうがその関係性というのを軸に考えれば関係ないんだよね。

 

んでもそこでだからリアルが重要なんだ!ってヴァーチャルもリアルも関係ないって完全に言い切れる俺がそういう考えに至ったっていうことが重要なんだよね。リアルの花火を最高に好きな人と一緒に見たらそりゃもう最高でしょう。テーマパーク然り。そういう体験の強度なんだよね。極端にアスペルガー的なやつだとあんな化学的反応の爆発を見て何が楽しんだろう?とかって思うのかもしれないけどってまぁ花火だけどさ(笑)んでもそういうやつほどリアルの重要さに気がつけばその花火の素晴らしさに気がつくはずだよね。

 

かといっても別にリアルが素晴らしい!ということではないんだよね。ただ仮にVR花火ってのがあったとして音響から音の振動まで細部まで再現されているVRでVR内のヴァーチャル彼女と花火を見ていてもやはり虚しいでしょう。かといっても現代っ子の男子諸君が行きついたある種の真実であるこんな可愛い子と花火を見れるなんて最高!って思ってても二股されてるとか(笑)なぜか二股と言えば男っていうイメージがあるんだけどナイーヴな草食系みたいなやつがどんどん増えてる現在ではそういう不逞なことをするのは女ばかりというのはある種真実だよね(笑)

 

だからそんな悪夢のような一時は幸福と思える夢を見るよりもヴァーチャルで十分だ!ってことになるのは説得力あるしその選択自体は間違いじゃないよね。でも仮にお互い本当にマジで好きなもの同士で成立している恋愛ってのがあったとすればやっぱそれはヴァーチャルより勝るでしょう。

 

それはどんだけヴァーチャルの技術が進歩しようがリアルの女性とこんな夢みたいな恋愛シチュになってる!っていうところにロマンを感じるわけじゃん?そのロマンが重要なんだよね。アサルトライフルを使えば別にそんなに集中してなくても敵を倒せるけどそこであえてクロスボウを使うとかコンパウンドボウを使う!とかってロマンって言われたりするけどそこなんだよね。ここで言うと万能なアサルトライフルがVR彼女でロマンがリアル彼女ってことになるけどそこで俺的にはもっとロマンを進めてロマンティックが止まらない状態でリアルに弓やっちゃうっていうね(笑)ロマンが軸での生き方だよね。

 

まぁそりゃ女性ってのは男性と違って男性が理想とするような子ってのは競争率がありえないぐらい高いから大抵はもう予約済みだったり結婚してたりするわけじゃん?で、まぁ語弊があるけど俺も含めて売れ残りには問題があるっていうね(笑)んでもそこでほぼゼロに等しいにしてもこんな子とエレクトリカルパレードを一緒に見る時が来るなんて!っていうそれまでのクソだったことが全てキャンセルされるような出来事ってのはあるかもしれないんだよね。

 

あくまで求めていればってことなんだけど。そこがまぁようは潜在性と蓋然性ってことなんだけどね。そこを完全に諦めて恋愛感情を封印するとか女は悪魔みたいな生き物だ!って決めつけて恋愛をしないってことを選ぶのか?っていうことだよね。そこでやっぱり究極の強度を求めればそれは自ずとリアルに行きつくんだよね。ヴァーチャルのアーチェリーゲームで高得点を出すよりも身体と技を極めてリアルで高得点を出すほうがそりゃ強度が凄いに決まってるわけだ。

 

まぁ別に高得点を出すということが目的じゃなくて事柄自体の強度なわけだからまぁそりゃーゲーム内で的中てをするよりも体を鍛えるみたいなことも含めて技術論的なことも含めてリアルに弓引いたほうが強度が凄いに決まってるんだよね。ただまぁそこまでしてそれをやろうとは思わないっていうのが大半だろうから俺みたいにじゃあリアルにやっちゃうか!っていうことにはあんまりならないんだろうけどんでも結局強度に飢えていればそうなるはずなんだよね。究極の強度ってのは絶対的にリアルにしか存在しないからね。

 

まぁそんな感じなんだけど書いてて思ったけど関係性の媒介がリアルだろうがヴァーチャルだろうが関係ないってまさにディズニーランドじゃんね。まぁあれはヴァーチャルなもんをリアルに色々と建設したり人が演じてたりしてそういうヴァーチャルな世界をリアルに作り出してるわけだけどそれを媒介にする関係性っつー特に恋愛ってのと相性が良いということが顕著なのが言わばロマンでしょう。リアル関係とかにあるっつーかリアル世界とかにあるファジーなもんとかを一切取り払ってピュアな純化された恋愛を楽しむというよりかは抽出するという感じだよね。ウィスキーとかのラベルにdistillrieって書いてあるけど蒸留所って意味だけど言わばロマン全般が恋愛とかイデアの蒸留所なんだよね。リアルに不純物は多いけどそれを純化する場所ってのが言わば認識という場なんであって自分自身が蒸留所じゃないと純化されたリアルは生成されないんだよね。

 

自分的に言うと東洋にしても西洋にしても神を求めよみたいな言い方っつーかまぁ宗教的だったりスピ的だったりするものとかでよくそういう言葉があるけどこれってようは神は置いておいて求めよっていうことなんだよね。単純に。で、俺はあらゆる意味でロマンを求めているからロマンを求め続けよってことなんだよね。それが成就するかどうかはともかくとしてそもそも求めないとそれは得られないし求め続けるというのはバカバカしくて稚拙に見えるかもしれないけど色んな古今東西の教義にある神を求めよっていうところから見ればその神をロマンに置き換えればある種普遍的ですよね。

 

だからこそサバイヴなんだと思うわ。現実は強烈に幻滅するようなリアリティをガンガン毎日突き付けてくるけどそこで神なりロマンを求め続けるんだよね。その求道の心っつーのかな。まぁそれが別に神の存在とかに関わらずつまりは信心ってことなんだよね。意志の力を持ち続けるということだよね。pietyっていう英単語が一番この俺が言いたい概念に近いよね。んでもまぁそこで神とか言い出すと途端に胡散臭くなるのは分かるんだけどそこで俺の場合、俺が神とするのはサタンなわけでサタンってまぁ意志の力があるやつには望むなら望むものを与えてやるよっていうもんで世界平和とか慈愛とかとは全く関係ない純粋な意志的なものなんだよね。

 

世界平和を求めてるのに殺戮が永遠と続くし理不尽なことが起こり続けるって意味でまぁそんな慈愛に満ち溢れた神なんているわけねーだろってことになるんだけどんでも神的存在の否定にはならないんだよね。別にそういう世界平和とかとは関係ない神ってのは存在していてそういう意味で悪魔との契約じゃないけどさ、それは文字通りの悪魔じゃなくて個人単位での神ということだよね。ナポレオン・ヒルの著書で悪魔を出し抜け!ってのがあるけどまさにそれなんだよねっつーかああいう人が悪魔を出してくるってのが示唆的なんだよね。まぁ実際は出し抜く必要はなくて敬虔であればいいわけなんだけどね。

 

まぁ実際全ての人が救われるべきとは思ってても救われないし実際にリアルを生きていれば救われるに値しない人間なんてのが腐るほどいるわけで選民的という意味でもサタンが一番しっくりくるよね。現実はカオスなわけでカオスを調停するサタンが神なのは間違いないでしょう。まぁこれは別にシンボリックな意味で実際にそれがあるかどうか?ってのは別ですよ。まぁそんなのどうでもいいわな。そこはカッシーラとかの象徴体形みたいなもんですわ。ある種のゲシュタルトのツールなんだけど論理的に言えば神的なことを言いだせばむしろサタンしかありえなくなるんだよね。んでもそれは世界がカオスになって人が殺し合うみたいなものではなくて個人的な神との契約みたいなものとしてのサタンだよね。

 

ジーザスもアラーも生み出すのは殺戮ばかりで逆説的に平和はサタンが全てを調停することで訪れるっていう言わばカオスをアクセプトするっていうそれだけのことなんだよね。それができないんだなでも。だから宗教戦争は永遠に起こるんだよね。まぁ本当にでも真のサタニズムって究極の平和主義だと思うね。まぁあとペイガニズムなんかとも通じるんだけどね。

 

でもまぁこういう次元でサタンを信望するっていうことができてる人ってのは少数だよね。大抵は俗化されたくだらないサタニズムだったりアントン・ラヴェイみたいな俗っぽい分かりやすい全然間違えてるサタニズムとかそういうのしかないからね。だからまぁ俺が教祖になってもいいんだよね(笑)リアルサタニズムっつーのはそういうことなんですよ。ハイパーカオスを受け入れてハイパーリアルを生きて意志の力を絶やさないっていうことですよね。それのどこがサタンなんだ?ってことなんだけどそれは抽象化された象徴レベルでは確固たるサタンなんだよね。だからそれはすんげー抽象的なもんなんであって具体的なもんじゃないんだよね。召喚すれば出てくるようなもんじゃなくて渇望すれば実現するようなものなんだよね。

 

まぁでもやっぱそこであれですよ、博愛主義的なのと決定的に違うのは明らかに死んだほうがいい人間が大勢いるってことを認めるってことですよね(笑)全ての人に仏性があるなんつっても人を切り刻んだ後にレイプして楽しむような人間が実際にいるわけでまぁそういう人間にも仏性があるなんて言い続けるのは無理がありますわな。だからまぁサタニズムはシンプルにそういう人間は遺伝子レベルで駆逐しなければいけないってことになるんだよね。選んで捨てるってことだね。なんでなの?っつーとそれが単純に人類にとっての害だからなんだよね。

 

そういうところにまで救いがどうのって求める博愛主義的な宗教がいかに狂ってるか?っていうことだよね。まぁ俺が言うサタニズムってのはリアルに即した実践的宗教なんだよね。まぁそれで死ぬべき人間は死ぬべきっつって人を殺してると生活が成り立たなくなるわけなんだけどでもまぁ暗殺の歴史とかを見れば分かるように暗殺って共通善のためにやられてるもんだからね。すんげー悪いことのように教えられるけどまぁそれは権力者にとって都合が悪いことだからモラル的に悪だとされるんだよね。でもまぁ人類にとって明らかに悪なことを取り除くなんてことは明らかな善ですよね。それは危険でもあるけどそこを危険だなんつって日和見主義的にならずに真摯に共通善にコミットするっていうことですよね。まぁ要約すればサイコパス的な意味ではない真のマキャベリズムということになるわけでレオ・シュトラウスとかに通じるわけよ。

 

まぁレオ・シュトラウスヒューマニストからディスられる理由ってのがまぁあまりにもサタニックだからってことでしょう。でもまぁ真理だからねそれが。真理ってのはそんなに見かけが良いもんじゃないわけよ。でもそれをtakeするってことだよね。ジェファーソンがサタニストだったっつー俗説があるけど俗説的なところは抜いて真理という意味ではまさにそうなんだよね。

 

俺はジェファーソンが大好きだけどそんなジェファーソンがサタニストであったというところに究極的な真のステイツマンの姿を感じるよね。まぁ俺がアメリカ好きなのもジェファーソンが好きだからなんだよね。現状はクソだけど根底にあるプリンシパルの部分でそういう基盤があるじゃない?残念ながら日本ってそれが無いからねっつーかあったけど牙抜かれたからね。だからまぁ本来の日本を取り戻すべきだっつー俺はめっちゃリベラルだけど逆説的に国粋主義的になるのもまぁそういう理由なんだけどね。

 

まぁそんな感じで今日はこの辺でいいかな。んじゃまた。