文学三昧な日々。その11。

最近また色々考えるようになって、あ、んであれだわ、やっぱ書き始めの頃のやつとかがつまらなく感じられるようになって大幅に削除したらごっそりじゃないけど結構減ったんだけど骨格みたいなのが見えてくるのね。いや、でもね、字面を埋めるために書かれたようなのを批判的にガンガン削除していくとマジでミニマルになるじゃん?それでプルーストの分量って大変だなーと思ってね。でも分量減らすと楽になりすぎるし、それだと全然成長しないからやっぱマゾ的な圧力をかけ続ける必要があるな。

 

でもあれだよね、改めて小説って何?って思うとさ、特にエンタメってことを考えるとあらゆるほかのメディアが競合だよね。それは音楽がネットとはあんま関係なく独立してた時代が終わって、なんでもネットの時代になってから音楽だけ聴くみたいな時間が減るとかさ、自由な時間に何をやるか?っていうそこなんだよね。そこでなんで文字だけのエンタメを選ぶのか?っていうと全く不毛だよね。まさに前の俺が小説に思ってたことですよ。だったらディティールおおざっぱでもいいから映像メディアで見たいから映画化とかアニメ化されたのでいいやとかさ、文字を読むって体力がいるからね。

 

じゃあ書くメリットは何か?っていうとかっこよく言えばペン一つで何の金もかけずにどんなストーリーでも、それこそ映画とかにしたら億かかるようなものを書けちゃうってことなんだけど、これって別に書き手のニーズでさ、エンタメを消費する側としてはどうでもいいよね。又吉あたりからなのか小説家志望が増えてるってのも、もう完全にオワコンな文学っつー世界にロマンを感じる人がそれだけいるんだろうなっていうことだよね。

 

で、例えばんじゃあ作り手が作りたい!って思うものがどんどん低コスト化していったら文字の世界はいらなくなるのか?ってことだよね。文学っつーかまぁ文芸って言い方をしようかな。まぁ文芸が時代に合ってたのって多分、マジで本当に最近までなんだろうなって思うんだよね。昔は映像とかっつってもやれることが限られてたりすんげー予算使えるやつなんて限られてたわけでさ、でもまぁ今なんて映像でやれることが出尽くしてるってぐらいネタが無いわけでさ、なんかまぁ昔は小説を読むのがリアルなエンタメだったんだろうなって思うんだよねっつーかそれこそテレビとか無い時代はそりゃ楽しかっただろうなと。

 

でも文学の衰退ってテクノロジーの進歩と反比例してるよね。あ、衰退だから比例してるのか。読書離れっていうけど当たり前で例えばそれこそ昔だったら成立してたようなハウトゥー本とかもさ、優秀なYoutuberが動画で20分ぐらいで必要なことをまとめたりなんかして、まぁ何が言いたいのかっつーと昔はハウトゥー的な感じで出せたものが今は優秀なYoutuberとかネットの情報であえて本で出す必要がなくなったってことで需要がなくなったものっていっぱいあるんだよね。いかないけどブックオフの100円コーナーとかそういう前の文明の遺産みたいなのがゴロゴロしてるわけじゃん?ミニ百科事典的なのとかさ、ネットに常時繋がってたら全く意味がないようなものとかね、でもまぁ小説も同じようなものだと思うんだよね。

 

BLが人気なのが分かるのがあれって映像化できないじゃん?(笑)実写でやったらAVになるし、美少年がハーレムで男たちにいじられるSMパーティーみたいなのを映像化するのは難しいだろうし、アニメを作るにしては客層がニッチ過ぎるってのがあるよね。抜くのが目的じゃない人もいるわけだからね。だから完全に時代とマッチしてるよね。あれ。

 

だから中途半端なエンタメ系の文芸ってのがガンガン淘汰されるよねっていうかされてるんだろうなと。90年代に流行ってたようなやつを読んでも古いなーって思うのはやっぱ今だったらこんなのいくらでも映像あるしさ、かといってその90年代の小説の文体とかに味があるかっつーとそんなことはないわけでさ、時代と共に過ぎ去られるっつーものだよね。

 

だからなんつーのかな、文芸って結局、今の時代とマッチしてないんだよね。すんげー不自然っつーか、そういうのと縁がない外野だったから分かることがいっぱいあるんだけど、あえて文字読まなくても楽しいのいっぱいあるし、文字読んで時間の無駄でしたとかリスク高すぎるんだよね。映像だったら早送りで見るとか適当に流しておくってのが可能だけど文字は読まないといけないからね。それでつまらないとかありえないわけじゃん?

 

だからそこで別に新旧関係なくこれは文字じゃないとできないことだ!ってのをやってるのってどんぐらいあるのか?っつーとそんなにないよね。多分8割ぐらいいらないか作家のオナニーですよね。エンタメは別よ。完全にそれがほかの映画とかアニメとか動画とかっつー競合と比べても面白いぐらいのものは別ね。あとまぁBLとかイケメン先輩と恋に落ちる話とかラノベっぽいのとかは読み手の負担が少ない割に得られる快楽が大きいから、そう思うと普通の文学ってクソ不利だよね。もうなんかあんま存在意義ないんじゃないか?って思うんだよね(笑)

 

あとはマニアックな世界だよね。文字でどこまで表現できるのか?とか文字のアートみたいな、まぁ純文学って恐らくそういうもんなんだと思うけど、これは相当マニアックな世界だよね。明らかに文字じゃないとできない面白さなんだけどある程度のインテリジェンスを必要とするし、それこそこれはコア層みたいなもんで、すんげーニッチな分野なんだよね。なんかメインって感じがするんだけどクソニッチなんだよね。

 

あとはもうそれが映画化されるとかさ、あまりにエンタメとしての完成度が高いっつー作品だよね。いやーそんなの書けると思えないわ(笑)で、俺が今やってるようなのも特に今みたいに俺が意識的にさ、過去にやられてたこととかをそのまま知らずに素でやってたらクソつまらないから、二番煎じにならないように過去のものを勉強するじゃん?まぁ最中ですよね。今は。そうするとまぁーあるよね。実験小説とかってもう大体やりつくされてる。解体とか不条理なんて20世紀初頭からあってさ、20世紀のポストモダン文学がそういうのを永遠とやってきててすんげー古いんだよね。あとまぁ古臭い前衛手法とかも陳腐化するよね。

 

文字で必死に笑かそうとしたり面白くしようとしてるのとかもクソ寒いんだよな。当時は良かったのかもしれないけど、今はお笑いのレベルが高すぎるし、ネット番組とかYoutubeチャンネルとかでギリギリのやつとかいっぱいあるから、そういうのを文字でやっても全然面白いと思わないんだよね。

 

閾値が高くなりすぎちゃってるから、例えばギャディスのJRって大部の小説があるんだけど帯に書いてある言葉がクソ寒くてさ、「超弩級最高傑作x爆笑必至」って書いてあるんだけどギャディスの小説を爆笑しながら読めるって相当頭がよくないといけないし、頭が良い俺でも爆笑はしないわけですよ(笑)ただまぁホント、こういう人たちは土壇場だなってのがあって、マジで文字じゃないとできない面白さと表現を追求してたなっていうところだよね。まぁそれはポストモダン系全般そうだよね。

 

なんかさ、あと出版社と文芸で本来必要とされているようなものが微妙にズレてるんだよね。ギャディスを爆笑必至とかって書いちゃうのも特有のズレだしさ、多分、ちゃんと読んでないんだろうなって思うし、なんたら賞みたいなのも結局、決める作家たちのセンスとか知性に依存しちゃうからそれ以上のが出たりさ、時代の先行くものがあったりすると大体選考とかやってるの古い人たちだからまぁM1とかの審査員みたいにさ、昔は審査員が古い連中ばっかで酷かったけど、ナイツの塙入れたりとかサンドの富澤入れたりとかさ、新旧混ざってる感じがいいわけじゃん?

 

文壇みたいなのってそういうのないもんね。もう引退した方がいいような老害がクソほどいるから、なんか仮に俺がああいう世界でやっていくとなったら・・・って考えると無理だなーって思っちゃうんだよね。まぁああいう世界でやっていかないけどね(笑)だから前にも書いたようにそういう世界とは関係ないところでやってる村上春樹って作家としてすげー健全なんだよね。なんか業界べったりの俗っぽい作家って多いじゃん?色々とよく見る名前の作家の本とかもすげー読んでるんだけど、今って検索するとその作家がなんか話してたりする動画とか出てくるじゃん?あーこういう内容のこと書くやつだからこんな俗っぽいやつなんだなーっていうさ、なんか納得しちゃうのね。

 

まぁ音楽とかと同じかな。それは。ただいい作家もいるのよね。普通に職人的にすんげー質の高いものを作ってる作家ってのは当然いる。そりゃ普通にすげーことだと思うんだわ。んでまぁ俺って趣味で書いてるわけじゃないんですよね。音楽もそうだけど、売り込みとか名をあげる!とかには興味はないけど、質としてはやっぱりなんつーか普段自分が好きで聞いてるような似たような音源とかと並べても全然オッケーっていうぐらいの質のものを作りたいわけじゃん?で、それは小説も一緒なんだよね。趣味だからいいやだと全然スキルは伸びなくて、矛盾してるんだけどさ、作家としてやっていく!みたいなこととは全然関係なく今自分が取り組んでいることの質をどんどん上げていきたいっていうのがあって書いてるわけでさ、で、それは趣味レベルじゃないんだよね。

 

かといってプロ目指してるんですか?って言われたら別にそういう職業的な肩書とかはどうでもいいっていうさ、なんでもいいんだよね。絵でも造形でも取り組んでるやつがあって、それは別に画家とか造形作家として今後やっていくためにやってるっつーよりかは今やってることに全身全霊で打ち込んでいるだけっていうところだよね。

 

だからそういう問題意識からさ、文学は完全にオワコンだし、どんだけめちゃめちゃやってもめちゃめちゃで面白いやつっていっぱいあるし、あとまぁベーシックチャンネル的なさ、テクノの極北なんだけど音数少ないし誰でもできそうだっつってマネして劣化バージョンみたいなのをやっちゃってる作家とか音楽でも小説でもいるよね。なんかそういう失敗したのをバカにするんじゃなくて失敗したケーススタディとして読むのも参考になるんだよね。60年代とかに海外のポストモダン作家がやってたような手法を斬新!みたいな感じで今更?って感じでやっちゃって大失敗してるやつとかさ、まぁありゃ痛いわな。本人が一番痛いと思うわ。

 

かといってもまぁなんかすんげーマニアックなのをやりたいわけではないんだよね。マニアックにはなるんだけど、なんかすんげー分かる人にしか分からないようなメタファーとかを使って分かる人だけが笑えばいいみたいなゴダールみたいな感じとかクソ寒いわけじゃん?なんかホントに書いてて思うんだけど、ギャグ小説を書いてるわけじゃないんだけど、文章って滑るよね。ほんとに。展開がうすら寒いとかさ、本人は斬新だと思ってるのかもしれないけどやりつくされた手法なんですけどそれ・・・みたいなのに気がついてないとかね、これもまぁ滑りですよね。

 

だからまぁ滑らないで読んでて面白くてしかも大部でってことになると大変ですよね。あとあれ、前にも書いたかもしれないけど俺的にクソ寒いのがネガティヴなモチーフね。ドストエフスキーの地下室の手記みたいなさ、いや、ドストエフスキーはいいんだけど、ネガティヴキャラが永遠とネガティヴなぼやきをしてるやつとか、そんなのネガティヴ掘り出せばいくらでもネタはあるしさ、あんまロシアの侵略の話とか嫌だからしたくないんだけど、ああいうリアルな絶望と殺りくに比べたらフィクションのキャラが抱えてる絶望なんて所詮はフィクションなわけですよね。

 

だからなんかさ、こんな酷い世の中でさ、それでなんで小説の中でまたネガティヴなことやってんの?っていうさ、自分に酔ってんの?っていうね、ネガティブキャラって本当に多いよね。俺は生活形態は根暗だけど根本明るいからね(笑)だからまぁなんか書き始めの頃に書いてたよくある小説のネガティヴキャラみたいなのが主人公でさ、んでまぁネガティヴなことをボヤいているとかってまぁすんげー寒いんだよね。

 

なんか読んでて何も得られることがないし楽しくもなんともないっていうね。だから結局、俺の持ち味は?っていうとウォール伝的な感覚で養われてきたナンセンスさとかさ、支離滅裂さとかまぁポストモダンとすんげー親和性があるからまぁそこはでも俺の持ち味だからポストモダンはやりつくされてるっつっても別に俺の持ち味の部分はそれでいいわけだよね。

 

だからまぁそれしかないなって感じなんだよね。だから書けばいいってもんじゃなくてさ、まぁそれ言い出すと何にも書けなくなっちゃうんだけど、まぁホント、あれだよね、音楽以上に意味がないよね。素人が書く小説って(笑)でもまぁ小説書くって尋常じゃないよね。ある作家が書くのにまず読むことが必要で全てのジャンルを最低1000冊読んでくださいって言ってて、それだけで諦めるやつ多いだろうし、時間的に無理!って人も多いだろうけど、でも今書くってそういうことだよねSFからミステリから恋愛から時代物から、自分が何を書こうがあらゆるジャンルのものを海外小説と半々ぐらいで読むってこれがまず第一歩だよね。読まないで書けるわけないんだから。天才でもない限り。

 

なんかもっとこういうのって知られてたほうがいいと思うんだよね。そんぐらい無理ゲーな世界なんですよってことをね。ホント、俺みたいにそれに全労力と時間を注げないと難しいよね。俺は幸いなことに色々とやりつくしてやりたいことがないから、逆にそういう途方もない課題ができると楽しくてしょうがないんだけどさ、大抵まぁすぐデビューしたい!とかって思うんだろうけど、下積みってのがまぁそういう膨大なあらゆるジャンルの本を各ジャンルごとに1000冊読むっていうことだったりするわけで、逆にそういうのができてなおかつ日々アウトプットできる人だけが書き続けることができるんじゃないかなって思うんだよね。

 

だからまぁ俺は分からないんだよね。今は燃えてるけど今書いてるやつ一発で終わるかもしれないし、ただやっぱプルースト尺でやることにするなら当分終わらないだろうし。

 

ただまぁ今やってて一番楽しいのがこれだから絶対書き続けたいけどね。本当に死ぬほど楽しいし「これだ!」っていう作品に出合うと死ぬほど嬉しいしね。

 

まぁ今日はそんな感じでこの辺で。

 

んじゃまた。