行方不明の象を探して。その7。

昨夜、机の前に血管の浮いた前腕に頭を乗せて座っていたのだが、普段は相当マシなのにも関わらず、その瞬間だけはとても無力に感じられたものだった。彼女が三回ぐらい

 

「セックスしよう」

 

とすでに呼び掛けていた。嫌だったので

 

「今日はいいよ」

 

と言っても聞かないのだった。机に肘を置いて拳の上に下ろした。白紙のページを眺めながら何を考えて何が起こっていて何を書こうとしているのかを書こうとすると、あまりの下手糞さ加減にイライラしてきて衝動的な自殺願望が生まれてくる時もある。彼女はまだセックスをする気のようで

 

「まだー」

 

と言い続けている。

 

「子供が生まれそうだから」

 

とか適当なことを言ってごまかす。これの何が適当なのかは分からない。すでに考えたことや書くべきことは色々ある。書き出そうとしたりまた考えたりすると彼女が邪魔をしてくる。邪魔といっても書くことの邪魔ではなくて、主観的に邪魔だと思うだけで、彼女は懇願しているだけである。

 

その割に仕事が進んでいないのでセックスを断るのが申し訳ない気がする。別にセックスじゃないのかもしれない。まだ寝ないの?と聞いているだけなのかもしれない。だったら猫のことなんて放っておけばよかったのに、と思ったりした。

 

感じ方次第だなとは思う。何を持って幸せとするのか、例えば生産性にしても幸せ過ぎると頭が鈍る気がする。若干のストレスがあることに喜びを感じないものの、なぜか頭が冴えて生産性が上がったりする。適度なストレスは健康にいいらしい。だからみんな会社に行ったほうが監視の眼があるから生産性が上がるのか?とか考えた。こうして自分の意識しか分析することがない自分。

 

自分の呟きだけを意識する自分。話す問題ではないので呟きぐらいにしかならない。書くほどのことではない。書けることを教えて欲しい。猫が隅から出てきてカーペットの上で伸びをしている。寝ている時に頭をガリガリ引っかかれる場合は猫がそこで寝たいという意思表示をしているということになる。

 

イワシが好きですと言わんばかりに彼女の手からイワシを食べて指を舐めてまたカーペットの上で伸びをする。猫のトイレを掃除しているとあのホテルのことを思い出す。腐ったほうれん草のような尿の臭いが充満しきっている部屋。クレームをつけるほどの気持ちの余裕が無かったことだけが思い出される。

 

「少しでいいのよ。あなたの相手をしてあげる」

 

そういうことではないのに。書くことが忌まわしく思えてくる。そろそろやめようか。こうやって緩い感じで邪魔をされたりすることが無ければ書けないのかもしれない。逆もあり得る。誰にも邪魔されなかったら自分が自分に与えるストレスで頭がおかしくなるかもしれない。適度なストレスは健康にいいらしい。若干邪魔されることも悪くないのかもしれない。

 

あなたは来るのを見なかったのですね。そして、あなたは首をかしげた。なぜならそれはあたしではなかったから。何か勘違いしているのでは?天才ですね。もしくは才能とか。思い出してください。推測しようとしたんですね。

 

でもね、いつかは本物入れようと思うから。まぁいいか。遅れるよ。そのうちって思ってたんだけどね。なんかいい匂いだね。でもさ、どんな香りが自分に合うのか分からないよね。嗅ぐのは他人だからね。でもさ、知らないオヤジでもさ、感じられるところ触られると結構感じちゃうんだよね。

 

と、言った。

 

「そうしたら、笑い出したんですね」

 

それがあの時、聞こえた笑い声なのですね。

 

もう、あなたの笑い声を聞くのが大好きでした。他の人たちは我々の近くに来ていました。でもあなたは遠くにいるようでした。そして再び気がついたら離れ離れになっていました。天才ごっこをやめないからですよ。

 

こっちにする?いやあどうしようこれにする?うん。大きいのにする?今、考えてる。あ、これ、おいしそう。うーん、こっちがよくない?それ、ホウレンソウだよ。あ、でもなんか腐ってる。おしっこみたいな臭いがする。

 

文章が宇宙で止まってしまう。同じような会話。同じように声が聞こえない。言葉を発しない。感動を呼び起こすために。ある夜、君の部屋に行った。あなたは一人だった。はい、その通りです。象は恐ろしく本を読まない。象がスポーツ新聞とダイレクトメール以外の活字をよんでいるところにお目にかかったことはない。時折時間つぶしに読んでいる本を、象はいつもまるで蠅が蠅叩きを眺めるように物欲しそうにのぞき込んだ。

 

象が「オイオイ」と言うまでそれを続けた。永遠と交互に食べ続ける姿を見せつけられたら誰でも「やめてくれ」と思うはずだ。飛びます飛びますを高速でやっているような感じでキュウリとセロリを交互に食べた。早すぎて象が引いていた。象が引くって凄いことだよ。普通象がいるだけで引くのに。しかし象は全く気にせずにこう答えた。

 

「ビールの良いところはね、全部小便になって出ちまうことだね。ワン・アウト一塁ダブル・プレー、何も残りゃしない」

 

「ポストモダンの残骸とか亡霊みたいだね」

 

「あんまそういうの分からないけど、そういう感じかもな」

 

羊はそう言って、食べ続けるのを眺めた。

 

「何故オナニーばかりする?」

 

飛びます飛びますって言いながらハイになっていた俺は実際にトンでいたし、飛びます飛びますってそういう飛びますじゃないし、ギャグも古いし分からないでしょう。そして傍らに置いた読みかけの「甘噛乳首」を手に取ってパラパラとページをめくった。「そして」っていう接続詞を入れれば済む話じゃねーぞ。世の中そんなに甘くないぞ。

 

この辺の元ネタは言うまでもなく村上春樹である。村上春樹は有名だから「元ネタは春樹さんです」と書かなくても分かるだろうから便利だね。どうする?AIが小説を書くようになったら。実際に膨大な量の小説のデータを蓄積したAIがあるらしいじゃないか。人生100年時代だ。100年生きるという想定で行くと金が続かなそう……というのは別として、AIやテクノロジーによって代替可能になってしまうものが相当多くなる、つまりは死んだスキルが多くなるわけだ。

 

俺がやっている中国武術はどうだろう?それは関係ないな。本人のためにやるんだから。ただ習得がマトリックスみたいに「カンフーチップ」で習得可能になったらつまらない話だな。ただ運動関係の本を読んでいると、色々な動きをやれるようになるというのはそれを歯磨きとかトイレに行くぐらいの当たり前の動きとして一つ一つの動きをできるようにならなければいけないわけで、それは空手でもボクシングでも同じで、つまりは正拳突き1000回とかシャドーボクシングとミット打ちをひたすらやるとか、何が言いたいのか?っていうとチップでいきなり脳に入ったところでそりゃ無理だってことだ。

 

でもその身体と脳との伝達の速さというか、10年ぐらい空手バカというぐらい空手に打ち込んだぐらいの脳機能をそのままチップで埋め込むことができるようになったら?でもあんまり関係ないな。そんなのができるようになっている頃には俺も老人だろうし。問題は表現関係のことでしょう。自動生成される絵画や音楽や小説。脅威過ぎる。

 

なぜだろう、才能云々は別にして表現関係のことに全く未来を見いだせない。

 

「おじいちゃんの時代はね、正拳突きを毎日1000回したものだよ」

 

と言うだけでレジェンド感半端ない。でも習得のプロセスの楽しみが無くなってしまったら人生がどんどんつまらなくなりそうな気がする。

 

でもそういう肝心の世の中には狂気が潜んでいるわけだよね?なんでその狂気の人間が潜んでいる世の中に基準を合わせなきゃいけないの?キチガイが多いって意味では甘くないだろうけど、世の中甘いぜっていうのも困ったもんだろう。アフターアワーにかかりそうな洒落たNYのハウスが町中に流れていて、歩いているのはラブラブなアベックばかり。

 

セックスはヴァーチャルで。いや、いいんじゃないか。オナニーはアナログなVRセックスだからね。ところであの話はどうなった?Sleeping Dogsのニンジャチューンラジオで聴けるHexstaticのEastという神曲があるだろう。リッジレーサーあたりのジャジードラムンベースをアップデートしたような音だ。なんで他の媒体で聴けない?リリースがないんだよね。

 

店らしい店の半分以上がスイーツ専門店で、何ならお菓子の家みたいに、物自体が、カントが驚くほどに甘い。それは例えば歩いていて電柱なり壁があったとして、それを舐めてみると甘い。でも虫が寄り付いたりはしない。虫が寄り付かない甘さなら有害な甘さなのだろうって、アイスクリームは甘いのに蟻が寄ってこないのは保存料だのなんだのっていう有害物質が含まれているからなんだよって言ってる割に蟻がたかっているわけで。

 

ってことで続きますんでんじゃまた。