早過ぎるMidlife Crisis。

病院行くと出てくるよねぇー。色々と。まぁ病状について喋る人がいないってのは当たり前としてさ、いつも思うのが結構意外なことが出てくるっつーか何気なく感じていたことを言葉にすると凄くそれが明確になるじゃん?で、こういう理由でまぁ調子が悪かったり鬱っぽかったりするんだよなぁーってのが改めて客観的に分かるんだよね。だから多分カウンセリングって精神的に良いんだと思うんだよね。喋るってだけでだいぶ違うよね。


いや、別に特に書きたいことがあるわけじゃなくてさ、マジでまぁ記録みたいな感じなんだけどここ最近またずーっと調子が悪くてさ、例の虚しい病と結局何になるんだ病っつーのかな?それが顕著だったんだけどさ、で、病院に行ったときに俺が自分で喋りながら「なるほど!」って思ったのがね、まぁー色々とやってるんだけど結局何も分からないってことなんだよねってことなのよ。なんかやってれば確かなものとか何かがつかめるだろうっていう期待があるんだけどやればやるほど分からないっつーかまぁそれが分かったら救世主になれるって話なんだけどさ、この分からなさに耐えられないってのはあるんだろうね。分からないって理解できないってことじゃなくて「これだ!」みたいなものがあんまりないってことなんだよねってまぁ当たり前か。だからまぁ「これだ!」を提供してくれそうなものをみんな求めるんだよね。それが宗教だったりフィクションの物語だったりして。まぁーでもあれか、オーディオブック聴きまくってたりかなりハイな状態が続いててまぁそれが沈静化していったってのはあるんだろうなぁーとか思いつつさ、いや、アーレント全体主義の起源とか買ったのはいいけど全然聴いてないっつーのもやっぱ本質的にあんま興味ないんだろうねって思ったんだよね。やっぱり読んでおこう程度のものってやっぱこういう感じになるのか!っていう。まぁいつかは聴きなおすとは思うんだけど。


で、結局何に興味があるのか?っていうとまぁ色々とあるようでないようなさ、で、ちょっと色々と見失った感じがしてるときにファイナンスとかじゃない純粋数学の数学書を読んだりするとやっぱりあれなんだよね。好きなんだよね。で、応用数学と違ってシンプルでエレガントだったりするんで「こっちのほうがいいな」とかって思っちゃうんだよね。んだったらそれでいいじゃん!ってことになるんだけどさ、なんかこの辺のバランスがあんまりまだ取れてないんだと思うんだよね。理論的な美しさとか単純に好きな数学の形ってのがやっぱ純粋数学とかで、んでまぁ当然応用系のは汚くてごちゃごちゃしてるのが多いんだけどさ、でも結局まぁいつも書いてるように数理ファイナンス経由で熱力学とか流体力学とかが実は面白い!ってことが分かったりさ、そういうのに関わる数学自体が好きっつーよりかは内容が好きなんだよね。まぁそれ言い出すと結局は物理が好きなんだってことになるんだけどさ、んでも数学はそりゃ純粋数学のほうがいいしさ、ごちゃごちゃしたのやりたくないじゃん?んでも純粋数学だとそれ自体なんでさ、何かしらのそれがきっかけでなんかのからくりとかシステムが分かるようになるとかさ、そういうのが無いよね。トポロジーとか圏論の本を読んでても「ということはアレもそういうことなのか!」とかっていう副次的なものはないよね。いや、だからこそ純粋数学が純粋たる所以なんだけどね。


いや、で、あとあれなんすよね、ぶっちゃけ応用系って才能いらないんすよね(笑)純粋系は色々と頑張っても所詮は最後は才能ってのが分かりきってる中で応用系とかって社会科学とか心理学とかをやるのに取り立ててずば抜けた才能が必要じゃないみたいな感じでさ、頭がある程度良くて時間を費やしてればやれるようになるっていう感じなんだよね。だからこそ「これなら俺にもやれそうだ」とかって思っちゃったりもするのよ(笑)純粋数学とか物理からファイナンスとか経済学に行くやつが多いのは金銭的なイニシアシブもさることながらガチの理論物理学とか純粋数学に比べてそこまでの才能は必要としないって理由はあるだろうなーってマジで思うんですよ。当事者として(笑)んでもまぁ俺の場合はそれもあるけどやっぱ知らないことを知るってこと自体が俺にとって最高に快感なことだし、出てくる数学自体が俺の好みとは違っても知識として考えれば当然無駄じゃないよね。そりゃそうだよね。確率論とか偏微分とかがあんまり得意じゃなくても知っておくに越したことはないわけで。で、あと実際に得意かどうか?っていうとぶっちゃけ得意ですねっていうか多分俺は数学全般なんでもできるんだって結論に達しましたね。んでもこれと才能って関係ないんだよねぇー。ようは音楽で言えば色んな楽器をそこそこ出来るしリズム感とか音楽自体を凄く分かってるってのがあるだけで別に凄い曲を作れるわけじゃないし名演奏が出来るわけでもないっていうそういう感じだよね。


まぁ才能の話ってなんかさ、いや、あれなんだよね、ネットとかでもそうだし歌多丸のラジオとかでもそういう話があるんだけど最近の漫画とか映画とかの物語は元々なんかを持ってたやつがそれを見つけるまでのプロセスになってるっていうさ、凡人が置き去りになってるってことなんだよね。いやーそれは確かにそうだなと。何にも持ってないやつが1から色々とやって凄いやつになる!っつーよりかは実は凄いやつの子孫なんでしたとかさ、実はなんかの天才なんでしたとかさ、確かにこういうのってがっくりするっつっちゃーがっくりするよね。そういう意味でなんかまぁすげー負け犬マインドになってるなぁーとは思うんだけど最初から数学が死ぬほど出来たみたいなやつがすげー気に食わないんだよね(笑)大体まぁ研究者としても教授としても大成してるのってそういう感じの人ばっかなんだけどさ、まぁこれは前にも書いたか。mathematiciansっつー数学者の写真とインタビューで構成されてる本があって出てくる数学者のほぼ100パーセント近くが元々才能があった系なんだよね。いやーありゃホントに読んだときにショックでしたよねぇー。まぁもう3年ぐらい経つけどさ、いやーそりゃあんたらにとっちゃー楽でしょうよ!っていうそんな話ばっかなんだもんね。まぁ楽ではないのか。そりゃ努力とかもしてるんだけど元々持ってるものが違いすぎるっつーのもさ、んであそこまで差があるっていうか才能が明らかだとなんかムカつくんだよね(笑)俺なんか負の面がやたら一流の数学者とか偉人並に凄いっつーか酷いのにさ、プラスの部分がそれほどじゃないんだもんね。そりゃームカつくよ。だったらせいぜい負の部分を普通よりかは若干大変ぐらいにしてくれって思うんだよね。まぁそれと引き換えに考える能力とか数学を理解できる感覚とかはなくなるってことなんだとしたらまぁやっぱ俺は超一流の負の部分を選ぶけどね。


で、結局それのペイオフはそれほどでもないプラスの部分を若干でも持ってるなら最大限に引き出すしかないってことなんだよね。そうじゃないとマジで苦労だけの報われない人生になるもんなぁー。いや、それは価値観とかの問題じゃなくて普通の症状としてですよ。どんだけ生活に恵まれてたって症状は出ちゃうんだから。もちろんストレスがトリガーになる部分はあるんだけどさ、今みたいにストレスがそこまで酷くない状態でも勝手に出てくるんだもんね。もうなんか自然現象みたいなもんだよね。だからまぁあれなんだよな、一般的に躁鬱とかってのは治らないし一生通院が必要なんだよね。


なんかでもさ、気分障害とか躁鬱の人ってそうなんだったらさ、それだけで大変なんだからなんか与えてやれよ!って思うんだよね。神の設計が杜撰すぎるんだよな(笑)で、一番ムカつくのは副産物として鬱気質とか不安神経症とかが付随しそうな感じのスキルを持ったやつが全く健常者ってことね(笑)暗黒剣士っつって暗黒使っても自分のパワーが減らないし普通にアンデットにも効くみたいなさ(笑)他のジョブの人どうなんのよ?っていう不公平な感じね。まぁプラスでみればあれか、純粋数学にそこまで卓越した才能が無い分、結果的に応用にまで手を出すようになって知識の幅は広がったみたいなことかな。なんか寂しいなぁー。才能を見限って応用に逃げたわけじゃないんだけどなんかそんな感じになっちゃってるってのはあるよね。そこでまぁ純粋数学に戻ると「やっぱこれが好きだ!」って心底思うんですよ。でも凡人が出る幕は無いっていうエリート中のエリートみたいな世界じゃないですか?まぁ別に業界がどうのとか他者と競争って話じゃないんだけどさ、なんかでもトップに配分が不公平な色々と持ちすぎてる天才が君臨してるっつーのが気に食わない世界なんだよねぇ。それに比べて応用はまぁ応用って名前通り泥臭い世界だからさ、実際にそんなに頭が良くなさそうなやつでもやたらデータ集めてきてそれなりのアウトプットにするやつとかいるからね。そこはまぁ救いがある世界ではあるよね。だから大学とかでも人気がある世界なのかな?(笑)


まぁだからどっちって決めないでどっちもやればいいんだよね。少なくともやっぱ経済とか金融に関しては興味あるわけだしさ、特にやっぱメカニズムとか理論的な部分が好きなわけじゃん?ダイナミズムとかね。あとまぁあれなんだよな、一般的な理解だと本当に誤解が多いジャンルでもあるんだよね。大雑把な理解だと実はすげー間違った理解をしてしまうっていうジャンルだよね。だからまぁ別にそこまで頭が良くなくても理解できるディティールを知ることでちゃんと理解できるようになるっていうまぁPeople's Scienceって感じだよね。peopleバカにしすぎだろ!って話なんだけど。でもまぁ純粋数学純粋数学至上主義になるとまぁ途端にバカな世界になるんだよね。数学の才能なんてほぼ生まれつきのものなんだからさ、まぁそれを誇るのは分かるけど、「俺はこれをやってればいい」っつってふんぞり返って他を見下すっつーのはまぁ本当に傲慢なことだしさ、色んなことを理解するっていうことを放棄してるじゃん?


応用数学なんて奴隷がやるもんだ!とかって思ってたりするんだったらまぁそれはそれでかなりのバカですよね。いや、結構そういう人が多い感じがしててそこが冷める点でもあるんだよね。べら棒な才能は認めるけど総合的に人間としてみたときに魅力が無いとか数学は凄いけど知識が凄いわけじゃないとかさ、まぁそれ言い出すと科学者全般そういうやつが多いんだけどさ、んだからそういう意味だとそんな人間でいいのか?っていうとさ、色々なことを知ることに楽しさを感じるってほうがよっぽどいいよねとは思うんだよね。ああいう生まれつきの才能には嫉妬するけど才能あるからこそ無知になっちゃってる部分ってのがあるわけじゃん?まぁ別に本人が傲慢じゃなければいいし、別に何かに関して知らないってことが無知ということではないからさ、いや、数学やってるなら物理も経済も理解しろよ!って話にはならないじゃん?んでもなんかね、「私は数学者なので・・・」みたいなああいう感じすげー嫌いだなー俺は。あとそういうやつが「自分は数学者なので・・・」って前置きをした後で門外漢として経済とか哲学とか政治を語るっていうあの自分の確固たる数学の才能に保険かけてる感じね。なんかあれはすげーダサいんだよな。あんだけ才能あるのにあんだけダサいっつーのもあれだよな、僻みとかじゃなくて才能ってありすぎたらありすぎたで問題が出てくる場合もあるんだなってすげー思うんですよね。


だから結局あれなんだよね、自分の数学の能力とか才能どうのって以前に自分がどうありたいか?っていうそれなんだよね。まぁ今みたいな幅広い興味をどんどん広げつつ比類の無いぐらいの数学の才能があるに越したことはないんだけどそりゃ無いものねだりなんだとしたらさ、まぁ数学の才能がそこまで無くても好きだからやる!っていうそこに尽きるよね。で、それだけじゃなくてまぁ元々の知識欲の強さも発揮して色々やるっていう。いや、そんだけ色々な数学独学でやっててそれだけで凄いと思うよって思うかもしれないけどさ、数学とか物理の頂点ってそんなのどうでもいいっつー世界なんですよね(笑)逆にこれは努力でどうならない部分が多すぎるんで「君も数学者になろう!」みたいな夢は変に持たせないほうがいいジャンルですよね。実際にまぁ数学とか理論物理学なんて博し崩れの墓場みたいなジャンルだからね。いや、俺が仮にアメリカで大学院とかに進んでたとしても相当進路に悩んでるだろうなーって思うんですよ(笑)環境が整ってればなんとかなってたかもしれないとかさ、コネがどうのとかそういうジャンルじゃないからね。まぁ逆にそのコネとかの世界っていうレベルの数学とか科学のレベルなんであればそりゃ環境さえあればなんとかなるけどまぁ俺が求めてるのは本質的な部分じゃないですか?なんかそれってあれなんだよね、一般的には環境も大事で仲間や教授などと切磋琢磨しながら磨いていくものだっていうイメージがあるけど、いや、それはあるけどさ、仲間と切磋琢磨してれば神がかったトラックが作れるようになるのか?って違うじゃん?それはまぁあらゆるジャンルにおいてなんだけどね。で、多分あれだよね、俺みたいな気質のやつが「結局は生まれつきか」とか「才能無いな俺」とかって思って自殺しちゃうんだと思うんだよね。ましてや下手に得意だったりすると余計にダメだったときのショックが大きくなるんだと思うんだよね。


まぁ俺は色々やってるからまだマシだけどさ、マジでこれ一本でやってきた!って人はもう立ち直れないと思うんだよね。この壁ね。分かってたけどやっぱそうだったか!って感じがしてるんだよね。今。もうだって数学やり始めて結構経つじゃん?それでまぁ色々分かったことがあるってことなんだよね。かといっても「大学行ってなくてよかったー」みたいなさ、「俺セーフ!」みたいなダサい感じは凄く嫌でっつーかそういう現状の認め方って最悪だと思うし、俺は現状のどうにもならない感じの自分を直視し続けたいよね。伸びるんじゃないか?なんて期待はしないででもまぁただ実際にそれが好きであるっていう事実を認めるって意味でね。そういう意味で結局はよく一般論でも言われるように才能っつーよりかはそれがどれだけ好きか?ってことなんですよね。それが死ぬほど好きな人にはやっぱ誰にも適わないですよ。適正か尋常じゃない愛かどっちが勝つのか?っつったら愛ですよね。まぁ愛と適正両方あれば最強なんだけどまぁ頂点に君臨してる人たちが実際そんな感じの人たちばっかなんで「でも結局は愛だよね!」なんつって済ませられる話でもないんだよね。何もかもを持っててなおかつ対象への尋常じゃない愛も持ってて特に障害も持ってないってそりゃ最高にムカつきますよね(笑)


あとなんか俺ってあらゆる意味でそれっぽいのよ。精神的にもアレだし客観的にも本が山積みになってるような感じのところで生活してるって感じだし条件はばっちりなのになんかあんまその割に凄くないんだよね。こないだのThe Manzai見てて本当に思ったんだけどさ、見た目がすげー面白そうだったりなんかを期待させてくれるような雰囲気でネタがすんげーつまらない!みたいなさ、いや、なんかあれだったら逆に芸人の道を完全に諦められるぐらい何もかもがダメなほうがまだ救いがあるんじゃない?って思っちゃったよね。なんかあの中途半端な感じとさ、でもまぁ雰囲気だけはあるみたいなさ、で、似たような年齢で・・・っていうなんか全体的に今の自分を見てるような感じでしたよね(笑)逆に見た目が面白そうってのがすげー逆に悲壮感を増してる感じなんだよね。あれだよ、あれ、雰囲気だけの女優みたいなさ、雰囲気は大女優だけど演技を見るとガッカリ!みたいなさ、まぁでも雰囲気ってそれだけで機能として成立してるからいいじゃないですか?変な話、音楽でもバンドとかでなんとなく雰囲気が出るって感じならそれだけで重宝されるよね。まぁあくまで見た目の世界の話なんだけどね。んでもまぁ俺がやってること全般見た目関係ないしさ、雰囲気関係ないから本当に中身じゃないですか?いつも言ってるように中身が重要なんだよね。


んでもホントに改めて思うんだけど俺ってこんだけ色々やってるのに思ってるより引き出し少ないよなぁーっていうさ、だからといってまぁより知識を増やして理論武装して無い自分をあるかのように見せるみたいなそういうことはやりたくないんだけどね、なんかだから葛藤なんだよね。いかにそういうルサンチマンに陥らずに同じ世代のやつが成功をおさめていったりするのを横目で見ながら無駄に歳を取り続けるっていう中でモチベーションを維持しつつ本質を追求していけるか?ってことなんだよね。そう。だから結局弱い自分を強く見せようとする的なルサンチマン的なものが動機付けだとそれって本質の追求じゃないじゃん?所詮は実存の問題を色々と何かをやることで埋めようとするっていうまぁ虚無を消費とかどんちゃん騒ぎで埋めようとするようなセレブと同じですよね。あとまぁ結構あれなんだよね、俺は俺で色々とやってるからいいんだ!とかって言いつつもさ、何気にパッと年齢見たりすると普通に中堅で頑張ってるとかさ、会社勤めした後に独立してなんかやってる歳とかさ、いやぁーそういう歳なんだよねぇーっていうさ、今はまだいいよ。芸人で言えば余裕で若手って言える歳だけどこのまま歳とっていったら何も無いままホントにつまらない冴えない中年芸人みたいになるんだよなぁーって思うと危機感の臨場感が半端じゃないよね。常にこめかみに銃を突きつけられてる感じなんですよ。こないだのThe Manzai見てて「こいつらの10年後悲惨だよなー」とかって思ってたけどいや、全然人事じゃないどころか自分のことじゃん!っていうさ、なんかそういう感じがありましたよね。あ、まぁ別に良いコンビもいたけどね。まぁただ8割ぐらい「10年後悲惨だよなー」ってやつらが多かったからなんかそういう危機感を喚起させられる感じでしたよねってことなんですよね。


まぁ別に年齢なんてどうでもいいんだけどさ、いや、芸人としてダメでも他の道があるしその道でそこそこやっていけたり成功するかもしれないわけで別に現状の芸人としてめちゃめちゃ面白くないってことでその人間の人生までを否定するってことにはならないんだけどさ、でもまぁやっぱ時期って大事よねってことなんだよね。年齢なんて関係ない!スタート!って思ったときがスタートなんだ!って言えてるけどでもまぁあくまで物事の一面でしかないよね。ただの綺麗事みたいな部分も多いわけで。逆にそんなヒューマニズム持ち出してきて自分を安心させるなんてまぁ最高の甘えですよね。まぁそれでもいいんだけどぼかぁーそういうのは嫌いだなぁ。やっぱダメな自分を認めて見据えでいやになるぐらい見つめてナンボだと思うので。んでもさ、さっきも書いたけどそこで弱いとかダメな自分ってのを認めて、んでそれからどうしよう?ってことで強者に対抗するためには・・・みたいな感じで何か始めるとそれはもう動機付けがルサンチマンだから人生棒に振ることになるっつーかまぁそのコミットメント自体がダサいってことになるんだよね。自分がダサいのはいいとしてコミットメントがダサいってのは人間的に最悪だと思うんだよね。だからそこをいかにルサンチマンに囚われずに自分がやりたいこととか追求したいことをやり続けるか?ってことなんだよね。つまりはまぁ自分との闘いですよね。まぁもう今後は本当にこれが課題だなぁーって思ってるよね。諦めたら何も残らないから諦めるなんていう選択肢は無いんだけどさ、でもやってる中でやっぱ葛藤するわけじゃん?やめたくなるってことじゃなくてなんか色々とすっきり理解できなかったりさらっと理解したいところで躓いたりとかさ、すげーバカな自分ってのを見なきゃいけないんだよね。


特に数理系だと顕著なんですよ。もう自己嫌悪に陥るもんね。まぁでもそれが辛ければ辛いほど理解したときの快感とかね、クソみたいに難しい!って感じてたものが気がついたらスラスラ読めるようになってた!って気がついたときの快感っつったらまぁヘロイン並じゃないですか?まぁだからやめられないんだよね。才能とかセンスとかそれで何を成すのか?っつーよりかはただの快楽って感じがするんだよね。それでいいと思ってるし快楽主義者の俺としてはそれが一番自分に正直なやり方だよね。で、まぁそんな中で色々と大きなこととかミッション的なこととか社会的なことにもコミットしていけたらまぁよりいいですよねってことだよね。そこを「俺には大きい目標があるんだ!」とかって言うとまぁ絶対嘘になるのよ。だってやっぱ快楽のためにやってるわけだから。色々分かるようになるとさ、普段は自分のバカさと対峙してるんだけどその一方で例えば普通の書店に行って買うようなものなんて無いなって思うときにまぁそれは寂しくもあるんだけどまぁそれだけ色々と手を出していることの知識が高次化してるってことじゃん?まぁ別に一般書をバカにするってことじゃないんだけどね、ただ結局はヘビー級の専門書が一番いい!ってことになるんだよね。得られるものが結局一番多いのはそれだもんね。んだからもう買う本が大体あれだもんね、大著ばっかになってるもんね。まぁ結果的にコスパが一番いいんだけどね。


確かにまぁ色々と読めるようになってるしその結果、数理ファイナンスなんかにも手を出してまぁ普通にこなせてるってのはあるんだけどさ、でもまぁ色々と取り組んでいる中でやっぱまぁリアルに時は過ぎてるよねってのはあるよね(笑)えー!もう数学やり始めて4年とか経ってない?っていうさ、いや、リアルに留学してた年数と同じ感じになってるじゃん!ってぐらい時が経ってるんだよね。だからまぁそんだけやってれば分かるようになるのは当たり前だしさ、あとまぁいつまでも初学者気分でやってないでだんだんとプロフェッショナルっぽくなっていかないと何も成長しないよなぁーとは思うんだよね。そこがなんかさ、専門家とただの読書好きの違いだよね。ただの読書好きの中年って最高に惨めだからなぁー。まぁ何か本業があったりさ、資産とかあったりすればいいけどさ、何にも無いただの学問好きなんだけど専門家って言えるほどプロではないって最高に惨めなんだよね。で、若ければいいんだけど年齢補正って凄いよね。若いってことは。おっさんになるとなにもかもが惨めになるもんね。若い読書好きの青年ってなんかかっこいいけど読書好きの中年って惨めだもんね。いや、惨めじゃないわ。「ただの」が付くと惨めなんだよね。それしかないしそれしかやってない割に無駄に歳を取っててそんだけ長いことやってればさぞかし高度な知識をお持ちなんでしょうね?っつって実際はホントにただの学問好きみたいな知識のレベルってマジで惨めだよね。この惨めさってコミットメントの期間が長くなればなるほどどんどん強くなっていくよね。


やめちゃう人ってそれが多分なんか雰囲気で分かってるんだよね。だから自己防衛のためにやめるってのはあるんだろうなぁーって思ったよね。なんかやっぱ加齢と共に分かることってあるんだなぁーって思いましたね。でもまぁまだそんなことを言う年齢じゃないっていうぐらいのときから危機を感じてるぐらいじゃないと遅いんだよね。舵取りが遅くて失敗してる人ってのも多いよね。なんでもっと早くに気が付いて何かをやらなかったんだろうっていうさ、クソみたいにハゲ散らかして今更になってスーパーとかで売ってるような育毛剤で育毛始めるみたいなもんなんですよ。育毛剤っつーレベルじゃないだろっていうさ、それをまぁさっきのスタートに年齢は関係ないってことで言うとさ、いや、それを育毛に置き換えるとそうでもないじゃん?っていうか完全に綺麗事になりますよね(笑)育毛を始めるのは早いに越したことはないんですよ。散々不規則な生活してタバコ吸って酒飲んで油っこいもの食べてさ、んでハゲ散らかしてから焦ってしかもスーパーで売ってるようなレベルの育毛剤でなんとかしようとするってなんかその人の人生に対する態度が現れてるよね。凄く適当で真剣さが無いっていうさ、それであげくのはてに「えーこんなに高いのー!」っつって買わないでそのまま去っていくっていうさ、わざわざ閉店直前に来てあれだもんね。


あ、スーパーでバイトしてたときにそういう客がいてまぁそんな風に考えたことがあったんだけどあれからもう8年ぐらい経つわけじゃん?で、今になってその例のハゲを思い出してるわけよ。で、あのハゲは別に他人じゃないんだ!っていうさ、適当に生きてるとあんなハゲにもなりうるっていうさ、8年前の俺っつったらやっぱりまだ美青年だったしねぇー、やっぱ若かったんだなぁーって思いますよね。今は完全にあれだもんね、美青年がだんだん劣化していってる初期みたいな顔だもんね。まぁ別に若さを売りにやってきたわけじゃないからあれなんだどまぁ若さとか美貌だけを武器にしてきたやつとかはこんぐらいになって劣化し始めると本当に惨めだろうなって思うよね。それもまぁようは本質の問題なんですよ。中身の問題でさ、中身がないとまぁ見た目だけとかだとどうせいつかは劣化するわけだし、将来的に破綻するのが分かりきってるじゃん?だからこそ若いうちに若くて綺麗なんてことに酔ってないでどうせ劣化するっつーのを認めてこれからどうしていくのか?っていう日々の振る舞いを決めていかなきゃいけないんだよね。大体あれだよね、女でも変な若作りみたいになってるやつとかって大体この加齢に対する意識が低いやつが多いよね。若い頃は良かったんだろうけど今それじゃーねぇー・・・っていうような(笑)やっぱ考えてる人って見た目にも出るよね。だからあらゆる意味で内面がクソだったり腐ってたらもうそれだけで終わりってことなんだよね。ニーチェのthe last manはまさにこれでしょう。だからこそのwill powerの必要性なんだよね。結局まぁそういうやる気とか人生の取り組み方の問題でさ、まぁんで能動的にやってる人ってまぁ大体見た目も若いじゃん?だからまぁよく言われるように老化って内面からなんだよね。マジでそう思うよね。


あーでもあれだわ、もう恋愛とかするのには遅すぎる!みたいなさ、まぁそりゃ熟年なりの恋愛はあるんだろうけどやっぱ若い子とヤリたいんだよね。だから若い子がまだ振り向いてくれる時期になんとかしないとマジで一生童貞になるぞ!ってことなんだよね。まぁ童貞なのはいいんだけどやっぱ若い子とヤリたいってのはすげー強いのよ。だからまぁあれなんだよね、おっさんが女子高生を買ったりする心理も分かるんだよね。あーこういう感じで惨めになっていって金で買おうとするんだなぁーっていうさ、でもマジで何にも持ってないやつにとっては方法ってマジで金しかないもんね。うわー。惨めだわ。マジで。こないだもさーっつーか最初に書いたように病院行ってきたじゃん?で、若い子見るとさ、いや、どんどんああいう若い子と年齢が離れていくんだよなっていうさ、まぁそりゃその時点で見た若い子に限って言えばその子も歳をとっていくから年齢が離れていくってことはありえないんだけどまぁようは一般的に見かける若い子とはそりゃ当然歳は離れていくよね。まぁあとはあれだよな、内面でモテまくりみたいなさ、いや、いるじゃん?才能ある人ってモテるからね。


まぁこのモテって要素は良いdriveの要素だよね。sex driveをwill powerに変換するっていうさ、んでもまぁやってるサブジェクト自体はキモくてもいいのよ。ようはそれが極まればっつーか何らかの形で凄くなればまぁモテ要素になるわけよ。だからまぁ何かを極めるってまぁ結果的にモテ要素に繋がるってことでもあるよね。いや、枯れそうならあらゆる欲望を導入して全てをwill powerに変換すればいいんだよ。もう何でもそれに結びつけちゃっていいと思うんだよね。だからもう本当に狂気のレベルでさ、「これ完全に理解できるようになったら若い子とヤレる可能性が高くなるな」とかっていうさ、妄想のレベルでもいいのよっていうかその妄想とか欲望の使い方だよね。なんかやっぱそこは俺は快楽主義者だからさ、快楽主義的な面ってのもやっぱ使っていきたいんだよね。あとまぁ自分の人生で体感してるように無欲になると何もかもがつまらなくなって鬱とかって次元ではないこの世とのお別れをしたくなるって意味で無欲ってのは生きるうえでは全然プラクティカルじゃないって帰結に達したからこその欲望なんだよね。だからまぁ若い子とヤリたい!って思ってるのは事実なんだからそれを隠したらダメだわな。あ、ちなみにこれって童貞卒業したい!とかセックスしたい!ってことじゃないんだよね。若い子とヤリたい!ってことなんだよね。


多分、無欲でストイックに学問なんてありえないと思うんだよね。ストイックに見える人でも多分結局は快楽のためにやってるんだと思うわけよ。まぁもうそれって人間の原理だもんね。そもそも知識欲って欲望なんだから無欲で学問なんてそもそも成立しないんだよね。いや、何よりそこに愛がないじゃないですか?無欲なんだったら。愛がないとダメよ。マジで。愛が全て!って最近その道理というか合理的な意味での理由ってのがすげー分かるようになったんだよね。伊達に色んなラブソングで歌い尽くされてないなーって思ったよね。役に立つからとかさ、仕事に繋がるからとかさ、まぁ色々とやる理由はあるけどやっぱそれが好きでたまらないからってこれに敵うものはないでしょ。だからまぁさ、その好きなことがあったらまぁそれはもうすげー大事にしなきゃダメだよね。で、俺もなんかあれなんだよね、若い子への欲望ってのを抑えたり誤魔化したりするんじゃなくて欲望できているってこと自体がすでにニヒルに対抗する精力っつーか勢力なわけだからさ、それはそれで肯定したほうがいいんだよね。基本的に虚無に対抗できるのって愛だと思うんですよ。パッションね。まさしくこれがプラトンの言うエロスでしょう。


うん。こういう理屈の部分は完璧ね。だからもうあとは実践だよね。いや、なんか今日はありがとうね。付き合ってくれて。なんかまぁ色々と書けたから良かったよ。いいなぁー。ホントにさ、メロドラマとかJ-POPとかではないさ、合理性とか論理性を追求した結果、有効なのはエロスっていうその行き着き方が凄く好きね。ポエジーとして愛が全てだ!って言ってるんじゃなくてプラグマティズムとしての愛ってのが論理的な帰結として導き出されてるんだもんね。そのプロセスが好きだわ。たまんないわ。マジで。まぁそんな感じでんじゃまた。