ウォール伝、ディープWebアンダーグラウンド。

Googleに好かれるなんてやめてしまえ!って感じで日々の思索を頭をクリーニングするかの如く書き連ねるブログ。

一人クリスマス独白。

クリスマスイヴなのに病院だったんだが色々とグーグルとかについて調べてたら去年ぐらいに「the four GAFA 四騎士が創り変えた世界」っつー本がベストセラーになったらしくて実にタイムリーだなと思って注文したんだけどね、

the four GAFA 四騎士が創り変えた世界

the four GAFA 四騎士が創り変えた世界

 

 

www.ted.com

 

www.youtube.com

 

 

ってことで病院に帰りに「今日は何組のカップルがセックスするんだろうか?」とか思いつつジュンク堂に寄ってマケプレとかで買った方が安いんだろうけどタイムリーなことはすぐ読みたいから結構色々と本買ったんだよね。久々に店舗で買ったわ。 

 

ツイッターの心理学:情報環境と利用者行動

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僕らはそれに抵抗できない 「依存症ビジネス」のつくられかた

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依存症ビジネス

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新版 インターネットの心理学

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グーグルが消える日 Life after Google

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 アナリティクスの本Kindleでも買ってるのにリアル本も買うとはねっていう(笑)あ、んで別にアマゾンのリンクはアマゾンで買ってね!っていうようなアフィリエイトじゃなくてただ見るのに便利だから貼ってるだけなのでダブルスタンダードとかって思わないでねー。

 

ただまぁ本当に改めて思ったのは「俺が俺が!」っていうエゴの暴走とか自己承認欲求の暴走は世界的現象でそれを利用した商売が腐るほどあるっつーことだね。まぁゲームとかはそういう風にデザインされてるんだけどデザインが分かると「くだらねーな」って思うんだけどSNS的な、ブログとかもそうだし音楽やってる人ならサンクラとか絵を書いてる人なら絵を載せられるページとかまぁよく分からんけど「多くの人に見てもらいたい!」っていうのが本来の目的とかけ離れたドラッグみたいな依存を生み出してるっつー感じなんだよね。

 

そのSNSとかネットっつーのがそういうのを助長しているっていうか昔は注目を浴びる人なんてほんの一部だったのに今では誰もがそうなりうるっていう幻想があってそこにコミットしちゃう人がどんどん中毒になっていくっていう病ですわな。

 

Youtuberが自殺したり転落した後に鬱になったりとか素人が有名になれるブームみたいなのはセカンドサマーオブラブみたいなもんなんだけど90年代前半ぐらいにその反動というかはしゃいでエクスタシーとかやり過ぎた人が廃人になったり死んだりっていう負の部分も出てきてだんだんフェードアウトするみたいな、なんかそういう一過性のものっていうところはあるよね。

 

結局その「俺が俺が!」という欲求が人生のクオリティをめちゃめちゃ下げているっていうことに気が付き始めた人たちがネット断ちとか「凄くなってやる!」みたいな幻想とかを捨ててもっと内面的で本質的な幸福を追求し始めるっつーかね、別に有名になっても意味ないらしいぜっていうのに気が付き始めるプロセスの最中なのかなっていう気がするよね。

 

金もそうじゃん?あればあるに越したことないけどそれが目的化すると全然幸福になれないっていう、だからまぁ幸福って何なのよ?っていうことになるんだよね。ただそれって表裏一体でその幸福が分からないからこそ抵抗できないような依存してしまうようなものにより依存しちゃうんじゃないか?と思うんだよね。

 

虚しさの現れっていうかね、だからこそ「いいね!」をもらえるのが麻薬みたいな効果をもたらすっていう、でもその背景には思想的ではない受動的なニヒリズムとかシニシズムがあるっていうね、行き過ぎた自己承認欲求然りなんだけどこういうのの原動力ってやっぱり虚しさだと思うんだよね。

 

その虚しさを埋めるものすらも虚しいということに気が付き始めてるっていうことだよね。まだその先に至ってない気がするけどまだ「俺が俺が!」という幻想を持っていられるだけマシなのかもしれないけどね。「俺もバズるぞ!」とか「フォロワー増やすぞ!」とかそういうところで誤魔化せている間はまだいいのかもしれないけどその先がヤバいよね。

 

だからまぁなんか結局、俺が長年追い求めてる「より善く生きるためにはどうすればいいのか?」っていうところに行きつくんだけどね。ただまぁ依存は別として好きモノっていうかね、数奇なものが好きでそれを極めてしまった人みたいなのは色んなところでも言われてるけど、今みたいな自己承認欲求地獄の中を這い回って浪費してるだけの人たちとは別に勝手に自分の道を突き進んでいる人たちは自己承認欲求地獄が終わった後に凄く輝いて見えるようになると思うんだよね。

 

そういう虚しい行為に多大な時間を割いていた分を数奇な人たちは自分のことを究め続けていたっていうその差が顕著に出るっていうことだよね。で、それが人格的魅力に繋がるというか昨日書いた「絶対的な個」みたいな感じになると思うんだよね。

 

ただまぁ本当にあれだよね、Youtubeの広告とかでも出てくるけど「見る側から作る側へ」っつってもそれが本当にそれをやりたい!ということならともかく自分も有名になりたい!みたいな理由だったら仮に有名になれたところで先は無いからああいう宣伝とかマジでヤバいと思うんだよね。不幸な人をより不幸にするものっていうかね、まぁそういう幻想を与えてビジネスをするっていうのが基本で誰かが言ってたけど作家ってのは幻想を売る仕事なんだってことでもあるんだけど所詮幻想は幻想だからね。

 

炎上商法とか馬鹿やってアクセス数稼ぐとかその場ではいいかもしれないけど消されてもデータって残るからね。その黒歴史を永遠に背負わなきゃいけないわけでそういうリスクについてもっと自覚的だったり「見る側から作る側へ」とかって簡単に言うのもすげー無責任だと思うんだよね。そういう幻想を与えることでさらに不幸になる人とか将来不幸になる人がどれだけいるか?ってことでしょう。

 

「本当に幸せな人はネットにはいない」っていう誰の明言か忘れたけどマジでそうだよね。そういう本質的な幸福を追求していかないと将来惨めなことになりかねないよね。容姿も劣化して「可愛い!」とか「かっこいい!」みたいのだけでちやほやされなくなるわけだし目立ちたい症候群みたいなもんでしょう。過度なSNSのチェックとかって。

 

もっと深層をディグらないとね。浅いところをディグしてもあるのはディグることができない壁だけなんですよ。ディグった先に光があるようなディレクションを掘らないとダメなんだわ。まぁそれは自戒も含めてだけどね。

 

なんかすんげー真面目な話をしてしまったけど(笑)なんかまぁあれから色々と思うことがあってまた色々考えるモードになってますね。まぁとりあえず続きはまた今度貼るわ。んじゃまたね。良いクリスマスを!

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