エレクトロ作り。その2。

アシッドの頃みたいな熱があるわ。最近急に内面が変わって頭がついていってなくて過敏になったりしてるんだけど曲作ってるときは最高に楽しいわっていうかやっぱ音楽好きなんだよね。妹がまりんの大ファンでMETAFIVEのCDとかは妹が買っててそれ借りてるんだけどお倉になりかけてたであろうセカンドが発売されたんだよねっつってもそこまでファンではないんだけど初回限定なのかライブDVDがついててそれがめっちゃよくてさ、2016年のZeppかなんかでやったやつなんだけど感動しちゃってさ、ユキヒロさん元気だし、小山田事変無かったし(笑)何よりコロナ前の世界がキラキラして見えるっていう、なんか色んな意味でグッと来るものがあったんだよね。

 

あんな天才集団には何も及ばないんだけど音楽っつっても俺の持ち味はあるわけでさ、あんだけ才能ありすぎるとやろうとすら思わない短絡的なものが俺は作れるという持ち味があるわけで(笑)比べるわけじゃないんだけど一応プロ目線で見てはいるんだよね。自分が作ったやつはっていうか全部じゃないけどね。気合入れたやつは。

 

でもそう思うとなぜ小説を書けると思うのか?ってことだよね。小説は技術じゃないにしてもすんげーやつがあってさ、まぁいつも書くようにまりんとテイ・トウワが俺の中で神というか頭の構造違い過ぎて、どうやってあんなのを一から作ってんだ?って話でしょ?でも小説の世界も同じやん!っていうね、まぁ出版されるやつは明らかに音楽業界のクオリティの半分もないと思うからだから「これはイケる世界だ」って思う輩が多いのかもしれないけどね。まぁ俺はそんな不純な動機で書いてないですよ。書きたいから書いているだけです。あと書きたいと思ってたけど俺には無理だと思ってたんだけどルール無用でやってみたら書けたって話なんですよ。

 

まぁそれはいいや。小説はもうかれこれ二週間ぐらい放置だな。音楽一直線になっちゃってるっていうか音楽っていうかエレクトロだけどね(笑)んでLANDRでクラフトワークのカバーをリリースするのに二万かかるとかって書いちゃったけどさ、あれなんだよね、俺ってアシッド出してた頃は年会費払ってたんだよね。んでさっき調べてたらさ、年会費払ってれば手数料無料というか手数料も込みになってると思うとアルバム一枚出すだけでカバーライセンスの手数料の元が取れるじゃん!と思ってさ、ただ分からんけどね、別途にかかるかもしれんのでとりあえず一曲カバーをリリースしてみようかなと思ってるんだけどね。

 

でも年会費一万円払えばリリースし放題ってアウトプットが凄いやつには最高のサービスよね。アシッドの頃にやってたのはアシッドじゃないものを無理やりアシッドにしたりしてたけど今の場合、エレクトロじゃないものをエレクトロにしたりっていうか、基本、ビートを俺の作り方で好みの音色にしてあとベースね。ビートとベースが決まればもうできたようなもんですよ。クラフトワークは大変だけどね。

 

でも手数料かからなかったらなんか出すの楽やなとか思ってさ、またでもあれなんだよね、アマチュアのくせに最善を尽くしたいから音色とかも吟味してさ、一通りの市販されてるソフトシンセで鳴らさないと気が済まないっていう病的な感じだから(笑)シンセで音作るのめんどうで即戦力のプリセットをそのまま鳴らすのって楽じゃん?それに金払うわけだよね。もっと言っちゃえばReaktorとかMaxでパッチ組める人は自作のシンセとか作れるわけでさ、でもMegoとかがMax使ってるのかっけー!とか思ってやってみても結局ダメだったからね(笑)面倒なんだよね。やっぱシンセ買ってきて「じゃーん!」って鳴らして「おっし!これでイケる!」っていうそれがいいのよね。

 

ビートはそういう意味で大枠が808系なのか今のデジタル系なのか生ドラム系なのかとかっていうのが決まってるじゃん?ビートの質感を作るのは好きなのとあとベースに関してもそうなんだけど上物はどうでもいいんだよね。だからカバーが一番いいわけよ。勝手に奏でてくれるから(笑)

 

いかに楽するか?ですよね。前も書いたかもしれないけどあれなんだよね、ゲットーハウスとかを作ってた黒人がさ、レコードのかっこいいところに安いリズムボックス足して適当にラップ乗っけて作ったみたいなラフでRawなのが一番かっこいいと思ってるしなんで今エレクトロなのか?っていうとさ、お勉強的に知識的にはクラフトワークをファンキーだ!と解釈したホワン・アトキンスとかがデペッシュ・モードとかのニューウェイヴも入れつつクラフトワークをファンクと解釈して作ったのがエレクトロなんだけどさ、今の俺がクラフトワークはファンキーだって知識じゃなくて体感したってところが大きいのかな。

 

んでまぁあれね、俺が作るようなもんだからヤクザなマイアミベースっぽいリズムっつーかさ、やたらキックがでかくてハットがチキチキしてて勢いだけで突っ走るみたいなさ、なんかそれさえできればあとはもうなんでもいいや的な短絡的な感じね。なんかトラック物になると病的な作りこみとかを一切しないんだよね。もうある時点で良いと思ったらそこでオッケーにしちゃうのね。一切いじらぬ。

 

ただまぁあれか、ソフトシンセ買いまくって音色を吟味しまくってる時点で病的ではあるのかな。でもまぁリリースにそこまで金かからなさそうでいいなって思ってるってことが書きたかっただけなんだけどね(笑)あとまぁライセンス申請が通るかどうかは別の話なんでね。

 

なんか自分の中で「エレクトロだ!」ってのが来てるのに「いやいや文学研究と執筆でしょ」っていう変な横槍が入るんだけどエレクトロなら気が済むまでエレクトロすれば?ってところだよね。んで飽きるまでやればいいわけで。

 

ただやっぱStudio Oneって本当に使いやすいっつーかDAW自体が進化してどれも昔のやつと比べれば死ぬほど使いやすいんだろうけどStudio Oneは使ってだいぶ経つからワークフローみたいなので詰まらないから作るのが速くなるんだよね。すぐ形になるからそれが凄く気持ちいいわけだ。それに比べて小説はもどかしいよな。音楽の場合、俺の中での正解の音とか響きってのがあってそれは間違いないんだけど小説って分からないからね。

 

ただまぁ面白いもんでさ、今日もクラフトワーク作ってたんだけどすんげー良い感じで作れて「よっしゃー!」って感じで全く飯食ってなかったから飯食うかっつってカレー食ったんだけどそのときに小学校の頃のある種の事件っていうか、生ケツスカッシュっていうどうしようもない話があるんだけど、これ書いちゃおうかなとか思ってなんか連動してるんだろうね。創作において同じような脳の部分を使ってるのかもしれんね。

 

まぁ小説って気が向いたり思いつたら書いてまた止まったら放置してって感じでいいんだなって感じだよね。曲みたいにすぐできるもんじゃないからね。

 

ただDAW関係って二年使ってないだけでさっていうかアシッドの次のドローンとか現代音楽系はオーディオしか使わなかったからソフトシンセとか使わなくて一切調べてないし更新もしてなかったんだけどまた色々とだいぶ変わってるのね。なんかもうなんでも作れるだろこれってぐらい充実してるよね。

 

まぁ俺は何においても1から作れないやつだから(笑)俺みたいな半端ものにとっては良い時代なのかもしれないね。ホント、感覚だけで曲作れるからね。ただあれだな、ギター関係に没頭してたからシンセベースにアンプシミュのプラグインを使って質感を変えるとかっていう発想ができたなとは思ったね。オシレーターを弄るというよりアンプに通して音を変えるっていう発想ね。

 

まぁアンプもそれこそRigも含めればあれ自体が一種のシンセみたいなもんだからね。通ってくる音を如何様にも変えられるわけで。ただ音楽ってさ、前にジャズの話でも書いたけど形式が誰かが作ったやつでもその形式に殉ずるみたいなことができるじゃん?所謂ジャズマンってやつだけどそれがまぁEDMなのかテクノなのかヒップホップなのかさ、新しいジャンルを作らなくても既存のジャンルで自分の色って出せるからね。改めて色々とやってて自分の色をここまで簡単に表現できるって凄いことだな!って思ったんだよね。まぁ長年やってきたってのもあるけどさ、音楽って直感的でいいよね。

 

まぁ目標はあれですよ、小説もウォール伝みたいに考えずに書けるようになる!っていうところなんだけどさ、まぁ今みたいに別のマイブームが来たら小説は一旦休憩でも全然いい感じだね。アシッドで思い出したけどサマーソニックかフジロックか忘れたけどもう終わったんだろうけどハードフロア来てたじゃん?アシッド30年以上やってるとか頭おかしいよね(笑)まぁそれやってれば食えるっていう職業的なアレもあるんだろうけどね。よく飽きないよなーって思うよね。まぁアシッドは気持ちいいからな。電子音をつまみでいじる楽しさってのは何事にも代えがたい快楽があるからね。

 

エレクトロにもその質感がたまらん!っていうテクスチャの世界感があってそれに没入してる感じだね。まぁあとヴィンテージシンセのエミュレーターみたいなのを何百種類と使えるっていうシンセ好きには夢のような世界が広がってるわけでさ、まぁそれで言うと古いけどシンセウェーヴなんてのもあったよね。今もあるんだろうけど。

 

作りこまないプリセットでノスタルジーを再現!とかって結構オツな世界だよね。本当にテクスチャの世界だなって思うんだよね。でも作ってる人たちは若い連中が多いわけだから知らない世界なんだよね。80年代なんて生まれてないか生まれててもシリアスに音楽を聴くような歳じゃなかったわけでさ、俺もそうだけどエレクトロなんて古い一過性のジャンルっていう認識ぐらいしかなかったからね。そこでまぁあれはファンクなのだってのがなんでわかったのかいつわかったのかわからないけど分かるようになって一気に面白くなったっていうね。

 

ただファンクを感じないエレクトロはつまらないんだよね。それだとまぁ80'sサウンドの再現になるからね。まぁだからファンクですわ。DJ Funkは俺の神だけど中学からDJ Funkのレコード聴いて育った俺にとってはやっぱりもうDNAレベルでファンクなんだと思うわ。とりあえずファンクしとけ!ってことだよね。アルゴリズムとかパラメーターに還元されないFeelingの世界だからジャズのスウィング感とかと同じだよね。

 

まぁなんか改めて自分が好きな音楽って黒人音楽ばっかなんだよね。ファンクも超絶的にRawなファンクが好きだしね。基本あのかっこいいベースフレーズとファンキーなリズムとカッティングギターのループっていうそれがもう好きなんだと思うわ。ドラマティックなサビとかBメロとかがない感じね。なんか昔から展開ってダサいなーって思ってたんだけど小説でもその感覚があるのが面白いんだよね。

 

急激に展開するための準備として30ページ費やしてるとかさ、前にも書いたと思うけどどっかで何かが起こるって前にフリとして登場人物の日常生活から入るとかもうつまらないわけですよ。ブランショで言えばもう直にレシから入ってレシで終われって話だよね。「物語はやめてくれ!」って話なんだよね。どんだけブランショの影響受けてるんだ?って話だけど(笑)まぁただ前提が娯楽だったりほとんど映画脚本みたいなさ、エンタメ映画チックなものだったらそれでいいんだけど純文学でそれはないだろって思うよね。

 

ブランショはよく死という概念を出すけどエンリーケ・ビラ=マタスなんかは書くことを追求すると書かないことに行き着くみたいなことを言っててさっていうか「バートルビーと仲間たち」っていう小説ですけどね、ブランショが書くっていうことをあそこまで哲学化したのはやっぱ凄いなって思うんだけど消えるとか断片化するとか抽象化するとかさ、そうならざるを得ないよね。高橋源一郎さんの「さようなら、ギャングたち」とか「ジョン・レノン対火星人」とかっていうヌーヴォーロマンとかとは違った反小説でもない小説なのか?これは?っていうのも消えるっていうベクトルにあるものだよね。

 

ブランショとカフカに相当影響を受けたと思われるリディア・デイヴィスなんかもそういうベクトルだし、それって文学に真摯であればあるほど消えるベクトルに行くんじゃないか?って思うんだよね。あとはカフカを神とする小島信夫と保坂さんの系譜ね。そこで生成して始まりも終わりもないようなやつね。漂ってるようなやつね。

 

小説でも思うのが今の俺の音楽の趣味みたいな偏愛があるからいいんだよね。エレクトロ!っつったらそれしか聞かないとかね、小説でも色々読んだけど結局、普通の小説ってなんかをなぞってるだけだから何かのパターンのバリエーションだから飽きるんだよね。すぐつまらなくなる。だからつまらなくならない小説を探すのが大変なんだけど、どうやらそういうのは決して多くないらしいってのはエレクトロと似てない?(笑)エレクトロもDMX Krewみたいにニューウェイヴ入るとちょっと違うんだよなーっていう初期のDJ Hellとかジゴロっつーかテクノの方面でのオリジネーターってやっぱりWestbamとHellなんだろうなって思うよね。あ、エレクトロね。

 

原型はホワン・アトキンスとかバンバータが作ってそれを逆輸入したドイツがテクノの進化と共に現代エレクトロを生み出したっていう流れがあるんだよね。ニッチなんだけど。そういうのにいち早く気づいてたのが卓球なんだけど早すぎたんだろうな(笑)別に卓球は評価されてなかったわけじゃないんだけどね。「うんうんそうなんだよね」って納得できたやつが当時どれぐらいいたのか?って話だよね。誰もクラフトワークをファンクだとは思わないわけで。

 

まぁ何がファンクなのか?ってファンカデリックの曲みたいになっちゃうけど(笑)歌詞が最高なんだよねこれ。


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でも俺がシカゴハウスとかハウスを経由してファンク感に目覚めたのってやっぱ20代半ばぐらいなわけですよ。あ、もうちょっと早いかな。レア・グルーヴとかを掘ってたからファンク感が身についたってのもあるけど、でもやっぱクラフトワークをファンクだと思うって相当レベル高いんだよね。ホワン・アトキンスみたいなネイティヴじゃないと難しいだろうなって思うんだよね。

 

まぁそれだとアシッド掘ってたときに初期アシッドとかを聞くと初期ハウスとかも聞くようになるんだけどとにかく黒いんだよね。完全なる黒人音楽というかなんというか。ブラックミュージックをリズムボックスの上でやっているだけっていう意味だとハウスもエレクトロもヒップホップもスピリットはファンクだよね。Mojo的なことですよね。パワーとか生命力とかスピリチュアルで言うところのパワースポットにおけるパワーだよね。まぁそういうのをソウルフルな音楽を聴いて感覚を養うってことがファンキーなものを聴くってことになるっていうか逆か。そういうのを聴いてるとファンクが芽生えてくるってことだよね。ヴァイブスとかと似てるけど同じではないんだよね。

 

っつーか作業し過ぎて眠くなったからもう寝るわ。

 

んじゃまた。